4話
「先生って面白い人ですよね! 私、すぐに好きになっちゃいました」
母さんに限らず、その人のことを上辺しか知らない人間がよく言うのがこの台詞だ。そんなに簡単に人のことを好きになれるのなら、人生ってやつはさぞ楽しいんだろうな。噂じゃご丁寧に色づきまで変わって見えるらしいし。
「ま、母さんは人に好かれる才能でもあるんだろうな。あの通り快活で、黙ってれば見目も悪くない」
「えっと……息子さん? って呼んだらいいですか?」
「古市でいいよ。母さんは先生なんだろ?」
「わかりました、じゃあそれで。で、古市さんは、素直じゃないんですねっ」
「言ってくれるね、いきなり」
「だって先生って美人ですよ、私から見ても」
「だから悪くないって言ったろう。あんまり身内贔屓をしたくないんだ、俺は慎ましい性格なんでね」
「いえ、どこか素直に認めたくないっていうかんじがしました」
「君から見ても?」
「どういう意味ですか! 私は年相応に素直です!」
「そういうことにしとくよ、えっと、福内さん」
「言いましたね? 聞きましたからね、そういうことにしておいてください。あと、晴海でいいですよ。大人じゃない人に苗字で呼ばれるのって、何か変なかんじがします」
「悪いな、俺も誰かを下の名前で呼ぶと変なかんじがするんだ、諦めてくれ」
「どうしてもですか」
「……わかった、努力はするよ」
「はい、努力してください。そして晴海と呼んでください」
「福内さん」
「もう、古市さんは意地悪ですか!」
福内晴海の家に着くまで十五分ぐらいか、もちろん徒歩でだ。母さん以外とそんな時間話したのは久しぶりで、認めたくないが楽しかった。いや、素直じゃないんだな、これは。わかったわかった、楽しかったさ。
「ここが私の家です、どうもありがとうございました!」
「気にするな、意外と楽しかったよ」
「はい、私も本当に意外でした。お友達がいらっしゃらないと伺ってたのに楽しかったです」
母さん、まんま話したのか。帰ったら家族会議だな。
「まさかとは思うが、友達になってくれるのかい?」
「いえ、それはさすがにお断りしました。頼まれてなるものではないでしょう?」
正論、だな。
五歳も年下の女の子の口から聞く言葉とは思えないが、俺は大きく頷いた。どこまで掌の上か知らないが、母さん、全てが思うようにはいかないのも人生ってやつらしいぜ。
ここで帰ってしまっても良かったのだが、久しぶりの会話がそうさせたのか、玄関はすぐそこだというのについ話を続けてしまう。
「まったくだ。そうするぐらいなら、いない方がいい」
「そこまで言い切る古市さんはどうかと思いますが、私もそう思います」
「福内さんはアレだな、口の利き方以前に色々気を付けた方がいい。言葉ってのは案外暴力的なんだ」
「私みたいな中学生の言葉で傷付いてしまいましたか、迂闊でした」
「自覚はあったのかよ! 母さんのこと好きになるだけはあるよ!」
さしずめ同じ穴の狢、悪い意味でこの子の将来には期待してやってもいい。忍者候補の筆頭だ。
「じゃあ俺は帰るよ。また会うことがあれば」
「あ、あの!」
踵を返し、顔だけまた少女の方を向く。夜の色に隠れて顔色は窺えないが、あれだけ達者に喋った福内晴海が初めて見せた、言葉を探している逡巡がそこにあった。
「せ、先生に、よく御礼を言ってくださいね!」
来た。
勘の良い俺は察した。交換日記のことで間違いないだろう。そしてこの返事、正解を当てた自信なんてないが、少なくとも間違ってはいなかったようだ。
かと言ってここがネタバラしをするタイミングでもあるまい。努めて知らない振りをする。
「なんだ、今日の授業はそんなにわかりやすかったか」
「そ、そうですそうです、当たり前じゃないですか!」
「わかった、よく言っておくよ。ちなみに俺も今年は受験生なんだ、お互い勉強頑張ろうな」
「そうなんですか。せっかくですけど私の心配は要りませんから、私は私の分も古市さんの心配をしてあげますね! では!」
後ろ姿に片手を振って帰る。小生意気な靴を履いた中学生は、全体的にとても小生意気だった。というか非常に生意気だった。
あの野郎、もしも今度話をすることがあれば徹底的に叩き込んでやる。最初は話し方から、最後は古市博巳の偉大さまでフルコースで。
「お帰りなさいってあら、嫌だわ気持ち悪い、ニヤニヤしちゃって」
「俺は真っ直ぐ育ったつもりだがな、そう見えるんなら母さんが気持ち悪く育てたんじゃないのか」
「私嫌よ、友達にとは言ったけど、息子がロリコンだったなんて。せめて二次元にしときなさい」
「非実在青少年を自慢の息子に勧めるな!」
「それも嫌ならあと三年待ちなさい、ね? その頃には博巳なんか相手にされないと思うけど」
「最後にひどいことを付け足すな! あと三年もあれば友達だって彼女だって作ってやるさ」
「そう言って作れなかった人を、たくさん知ってるから言うんじゃないの」
妙に説得力があって寒気がしたが、今に見ていろ。そしてそのまま三年見ていろ、きっと何かが変わってるはずさ。確か三年前の初詣で神様に同じことを言ったような気もするが、神様だってバカンスぐらい行くんだろう。正月だけで数えきれない依頼を受けるんだ、俺が神なら発狂してる。
とは言え冬になったらまた、神頼みってやつもするんだろう。我ながら都合のいいやつだなとは思うが、そこは神に生まれてしまった自分を呪ってもらうしかない。アドレスでも知ってりゃ励ましの言葉でも掛けるんだが、ってそれはまるで友達みたいだな。
「その気になりゃ神とでも友達になれるのか、俺は……」
「電波的な息子、なんて流行らないから絶対にやめてね。母さん熱が出そうだわ」
「今のも盛大な一人言だ!」
中学生だの蛙だの神だの、俺は友達を作る前に差し当たってこの癖を直すべきなのかもしれない。
今まで一人が長すぎたんだと言い訳をしながら階段を昇る。致命的な癖に関してはまあ、それでも今すぐにって訳じゃない、なんたって俺は受験生なんだ。今度は遠慮なくギィと鳴らして三段目を踏んだとき、大事なことを思い出した。
「あ、そうだ、ノート!」
「犯罪者の名前とか書かないでね」
「そのノートじゃねえよ! 第一、神は友達であって俺は神じゃない! それに現状神ですら友達じゃない!」
「なんて寂しい一人言なのかしら……」
母さんが一言多いのは生まれたときから知ってる、から別に気にしない。そうしないと俺の一日は一人言で終わってしまう。それはあまりにも、虚しいじゃないか。
古い階段を駆け昇ってノートを開く。あとでうるさいって怒られそうなもんだが、それは福内晴海に余計なことを吐かした罪と相殺ってもんだろう。あ、そう言えば家族会議してないな。
目に飛び込んで来るのはもはや見慣れたダンゴムシ、それを一匹ずつ追い掛けて意味を把握する。まるで昆虫採集でもしている気分だ。
『嬉しかったです、ありがとうございました。何度も消したあとが見えましたし、私のために悩んでくれたんだなって思いました』
中学生ってのは消した跡まで見るものなのか、福内晴海だからそうなのか。どちらかわからないが、今度からは気を付けておこう。
『佳奈ちゃんに全部、先生の書いてくれたことを話しました。私はそうしたいからって。佳奈ちゃんは泣いちゃったけど笑ったから、私も隣で一緒に笑いました。いつか、みんなが仲良くなれたらいいなって思います』
一気に脱力した。
不思議な充実感、と同時に安堵が襲ってきて、思わずベッドに倒れこむ。
そうか。俺は福内晴海の、佳奈ちゃんの力になれたのか。
友達のいない俺が、キラキラと輝く彼女たちの役に立った。それはまるで実感のないご褒美のようで、でも、いつか轢かれた流れ星を掴んだようだ。
なんだ、俺にもできるじゃないか。
仰向けになって両手を握る。
窓の外に見える星を、掴む。
蛙でも神様でも流れ星でも、何でも持ってこい。一人のやつはみんな、俺が友達になってやる。
そんな大それた一人言は、やはり誰も聞いてなかったけど。