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smile  作者: 平 松男
3/6

3話


 翌朝、何処からどう見ても平日の朝。タイムカプセルに埋めるべきなのは昨晩の葛藤にした方がいいかもなと思いながら、階段を降りる。


 噛み殺すなんて物騒な字面を授けられてしまうほど欠伸(あくび)っていうのが悪いものには思えない俺は、憚ることなく大口を開ける。もしかしたら前世で償えないほどの罪を犯したのかもしれないが、生憎欠伸の前世に思いを馳せられるほど平日の朝は暇じゃない。受験生でなくたって忙しいのが人の世の朝の常なのだ。


「これ、書いたよ」


 一晩悩んでやっと書けたそれは例の交換日記。

 どこか懐かしい匂いのするその響き。経験者ならば甘酸っぱい記憶でも心の箪笥から引っ張り出してニヤニヤと眺めるのだろうが、 俺はと言うと綺麗に畳んで引き出しに仕舞ってしまいたかった。


 俺は頭が良い。勉強はできるし、テストの結果は上から十番以内。体育や音楽を除いて通知表は基本的に五以外は取らない。


 だが所詮、それは正解の用意されているものに強いというそれだけのことだった。


 大袈裟に言えば、自分は井の中の蛙であったと気付かされた。けれどおそらく諺の中の蛙も一人ぼっちだったはずだと考えたら、案外蛙とは上手くやっていけそうな気はするな。初めての友達が井の中の蛙って至極残念な気もしないではないが。


「あら、博巳もやればできるのね。さすが自慢の息子だわ!」

「そうだな、今後、自慢するのは息子だけにしてくれ。何中学生と張り合ってんだ」

「博巳も私のことを自慢すればちょうどいいじゃない? で、その様子だと納得できることが書けたのね」

「俺が納得できてもって話だと思うけど。とりあえず、ゲコゲコと鳴きたくなったよ」

「鶏肉みたいだもんね、蛙の食感って」

「人の友達を食うんじゃねえよ!」

「……博巳。私、晴海ちゃんと友達になってとは言ったけど、そんなレアな友達を作れとは言ってないわ」

「今のは盛大な一人言だ!」


 なるほど、残念な自分を自覚してしまうと会話も自ずと残念になってしまうようだ。必要最低限の会話以外をする予定もないが、今後の学校生活に支障を来さないようにしないとな。


 そういえば、不毛な会話をする割に、おはようなんてテンプレートは口にしないなとどうでもいいことを思いつつ、我が家を後にする。もちろん行ってきますなんて言わない。


 学校というのは俺にとっては一人の時間だ。何百人という人間が蠢く中でこそなのか、余計に際立って孤独を感じるし、しかし孤独も長く続くとやり過ごす心持ちもわかってくる。それが寂しいとはもう思わないが、今日の一人は普段とは違うように感じられた。


 思うのは、福内晴海と佳奈ちゃんのこと。


『もしも佳奈ちゃんが泣いていたら、隣にいてあげなさい。もしも佳奈ちゃんが笑っていたら、一緒に笑ってあげなさい』


 考えに考えて、これ以上ないと思えるようなことは結局書けなかった。むしろこれ以下はないなって、消極的理由で自分を納得させたんだ、無理矢理に。


 だって、根本的に俺と佳奈ちゃんは違うから。


 佳奈ちゃんはたぶん、向こう側の人間だ。本来キラキラと輝いているはずの、人垣の中でも周りに劣らず光を発することのできる人間。


 比べて俺は、俺は何だ? 恒星になんて間違ってもなれやしない、それどころか一度も光を浴びたことすらない、誰にも見えない星の屑だ。あるのかどうか、居るのかどうかもわからない、そんな人間だ。学校において存在さえ曖昧な俺が、どうして偉そうに佳奈ちゃんを救おうとしてあげられる?


 わかってる。土台無理なんだ、そんなこと。


 でも、やらなくちゃいけないんだ。

 だって俺は、福内晴海がようやく心を開きかけた先生なんだから。


 見栄っ張りで薄っぺらな見せかけの強がり。机の端に溜まった消しゴムのカスみたいな、正解でもないし、頼りない虚栄心で鉛筆を走らせた。立派なのは文字の形だけ、中身なんか、それこそ中学一年の頃からきっと変わっちゃいない俺の、でも、それは願い。


 もしも俺に共に泣いて、共に笑ってくれる友達がいたらって、叶いもしないいつかの願い。

 影の濃さでしか夜を夜だと認識しなくなった俺に、共に夜空を見上げる友達がいたらって、もう願うことも許されないような。こんな俺が今更願ってしまったら、それこそ東シナ海に行かなきゃならない。


 聡明?

 模範生?

 成績抜群?

 思慮深い?


 どれだけ(うそぶ)いて取り繕ったって、本当の俺は、猫を剥いで見えてくる俺は、ただの一歩も踏み出せない臆病者の小心者だ。だから自分を偽って、何かになりたくて頑張ってきた。一番大事なところから目を背けて、頑張った気になってきた。


 福内晴海は俺のそんな努力を、人生を、たったあれだけの言葉で丸裸にしやがった。


 先生を名乗って大人びたことを書こうとしても、どうしたって俺は怖かった。怖くて、怖くて、怖くて堪らなかった。


 実は一度だけ見たことがある。教室にしている一室の、開いた襖の向こうを一度だけ。福内晴海は輝いていた。肩までの長さで揃えた、利発そうに煌めく艶のある髪の毛を携えて、その目に淀みなんてなくて。まるで流れ星に轢かれたみたいに一瞬で理解してしまった、あっちの人間だって。


 そしてこの子に見透かされたら嫌だと、はっきりと思ってしまった。


 ああそうか、今日がいつもの一人と違うのはこれか。普段なら学校なんてさっさと終わらせて帰りたいのに、今日だけは帰りたくないんだ、俺は。


 福内晴海の答えを、あれを見てどう思ったのか、どんな反応を見せたのかを聞くのが怖くて堪らない。


 しかし太陽は月にバトンを渡すのを待ってはくれない。子供のように駄々を捏ねてみせたって夕方には放課後になるし、放課後が終われば家に帰らなきゃならない。塾の時間は始まるし、福内晴海はやって来る。


 もはや憂鬱になることすら億劫に感じていた俺にできることと言ったら、右足と左足を交互に出すぐらいしか残ってなかった。無論、方向は前にだ。


 自室に閉じ籠ってやみくもに時計と睨めっこをする。課題も予習もする気にならないが、こういうとき頭が良いと重宝するよな、我ながら。三年になったとは言え一日ぐらい何もしなくてもその点の心配が要らないのは有り難かった。


 眉を吊り上げたと思えば口がへの字になったり、かと思えば真一文字に結んでみせたりと、意外とアナログ時計というのは表情が豊かだ。なんて、どうでもいい事実に気が付いてみても仕方ない。睨めっこだと定義付けた以上笑わせてくれないと負けることもできないし、このままタイムアップを待つしかないのかと更にどうでもいい心配が頭を掠める頃、終わりの時間が近付いてきた。


 そっと階段の下に意識を這わせる。先生ありがとうございましたと元気な声で帰って行く生徒たち。果たしてこの中に福内晴海の声はあったのだろうか。


 忍者疑惑が湧いて出ている母さんほどではないにしろ、足音を消す努力をして階段を降りる。古い家だから気を抜くとギィと音が鳴ってしまうから細心の注意を払い忍び足。なんだ、俺には泥棒の才能まであったのか。母さん、博巳は自慢の息子だぜ。


 ところが予想に、いや、期待に反して玄関には一足、小さめのローファーが綺麗に揃えて佇んでいた。漫画みたいに台詞の吹き出しを設けるならさながら、最初からここに居ましたけど何か? なんて言ってそうな光沢のある小生意気なローファー。


 教室からは母さんと女の子の声がしていて、内容までは聞き取れないがなるほど、大方これが福内晴海の声なんだろう。


 露骨に聞き耳を立てるのも気が引けてその場をやり過ごす。出そうな気配もないが仕方ない、トイレにでも行って部屋に戻るか。


 速やかに選択肢を絞って行動に移し、再び足下に注意を払おうとしたとき、けれど我が家が誇る忍者もどきから声が掛かった。


「あら博巳、ちょうど良かった。晴海ちゃん、家まで送ってあげてくれない?」


 この人のお願いが即ち命令であることを、俺は細胞レベルで知っている。 


「拙者、自分の部屋にドロンしたいでござる」

「あら、蛙の次は忍者のお友達ができたの? 今度紹介してほしいわね」

「俺の友達はびっくり人間のオールスターかよ!」

「ふふ、だったら晴海ちゃんが初めて普通のお友達かもね」


 その語尾に、某ゲームで無敵状態になったときを彷彿とさせる軽快な音が聞こえた気がした。確かにあんたは無敵だよ、ある意味な。



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