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smile  作者: 平 松男
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2話


 福内晴海は週に三回、古市塾に通っている。入塾して三ヶ月というと単純計算で十二回、最初の一回はノートを受け取るだけと考えたら十一回のやり取りを母さんと交わしたことになる。


 他人が身内に渡した手紙を、許可が下りているとは言え第三者の俺が見るのは気が引けた。


「母さんと晴海ちゃんのラブラブっぷりをとくと見るがいいわ!」


 一体何が母さんをそうさせるのか、あんなに自信過剰な啖呵は俺でも切らない。間違って他人の十字架でも背負って生まれてきたんじゃないのかこの人。とくと見るがいいなんて一話の冒頭で倒される奴か、はたまた最終話に地球を侵略できない奴でもないとそもそも似合わない台詞だ。参った、そんな人の子として生まれたなんて、妙な十字架を背負ってるのは俺の方じゃないか。


 ネジが足りないんじゃなく、たぶんネジ穴がキテレツな形に歪んでいるんだろう。だんだんと母親の頭を不憫に思いながら恐る恐るノートを開く。ちなみに表紙には女子中学生が書いたと納得の丸っこい文字で交換日記と書いてあった。ご丁寧に名前まで丸文字で、ミミズというよりはダンゴムシを連想させる。


 角度のある階段を昇って突き当たり、自分の部屋の自分のベッドに寝そべって、その表紙を捲ってみた。


『算数から数学になってドキドキしました。でも何だか思ってるより簡単でした』

『そう、晴海ちゃんは賢いのね。でも油断は禁物よ、毎日の復習は忘れないこと』


『英語の発音も思ったよりできました。たぶん外国でも暮らせると思います』

『まあ、晴海ちゃんは英語も喋れるのね。ブラーボ!』


 おい母よ。ブラーボは英語じゃない。


『国語は小さい頃から得意なので、正直授業が退屈です』

『奇遇ね、私も昔から国語は得意なの。気が合うわね、私たち』


 ふむ。表紙を捲ったばかりだからか、書かれているのは主に学校の授業についてだな。でも考えたら、勉強を教えてもらう塾の先生に向けて書くんだ、何の不思議もない。


 それに対する母さんの返事はやはり、どこかキテレツな匂いがしたが、この程度なら何とかなるか。何、仮に何ともならなくたって、そもそも橋は叩き割る予定なんだと思えば大した苦でもない。一人称を私にする違和感にさえ慣れてしまえばどうということはないだろう。


 ところが、だ。

 安易、だった。

 何と言うかもう、浅はかだったのだ、数ページ分しか福内晴海を知らなかった俺は。元来思慮深い人間だと信じて生きてきたが、想像も追い付かない展開をみて初めて人間というのは己の器を意識するんだろう。


『真美ちゃんの誕生日プレゼント、何を贈ってあげたらいいと思いますか?』

『手作りのものなんかいいんじゃないかしら? カードとか、友達と集まってケーキやクッキーを作ってみるとか』

『それはいい考えですね! 全部やってみます!』


『お部屋の飾り付けもケーキも全部、佳奈ちゃんや愛ちゃんと一緒に頑張りました! 先生、私ケーキ作る才能もあるみたい』

『晴海ちゃんの前途は洋々ね。私みたいにいい女になるのよ』

『このままだと、先生よりもいい女になっちゃうかもしれませんね』


『初めて告白されました。でも断りました。先生が旦那さんとお付き合いした決め手ってかいしょうってやつですか?』

『難しい言葉を知ってるのね、晴海ちゃんは。どうして断っちゃったの? 私の話はまた今度ね』

『だって、全然私とつり合ってなかったんです』


 何て自信過剰な女なんだこいつら。伸びきった鼻の先でコマでも回す気か。確かにお前らは似ているよ、それは認めよう。だがこの天狗っ鼻女子中学生十二歳独身と俺が合いそうだって? 冗談じゃない、俺ほど身の程をわきまえている男子高校生なんて最新のカーナビ使ったって見付からない。失礼にも限度ってもんがある。


 途中から、とにかくこんなかんじで二人の(♀)がイイ女自慢対決を繰り返していた。お前らは泳ぐのを止めたら死んでしまう魚か何かと言いたくなるような続けざまのラッシュ、ラッシュ、ラッシュ。俺の面の皮は薄い上にデリケートなんだ、これの相手をするなんて雲の上で日光浴するより肌に悪い。


 最後まで読み終わる前にもう、人の日記を読む罪悪感なんて迷子になっていた。罪悪感の友達の、少なくとも遠縁の親戚ではあるだろう、羞恥心とか遠慮といったカテゴリーの感情を連れて是非二人の下に辿り着いていてくれたらと願わずにはいられないが、願うだけ無駄だということは火を見るより明らかだ。


 やっぱり断ろう。校則を侵す覚悟と、石橋が落ちてしまった谷へ飛び込む覚悟、どっちを取るかなんて俺の中じゃあらかた決まっていた。


「返事、書いといてね。明日晴海ちゃんに渡すんだから」


 引き戸の向こうから、できれば聞き間違いであってほしい母さんの声がした。読み耽って階段を昇る音に気が付かなかったのか、それともまるで忍者よろしく足音を消す技術でも体得していたのか。もしかしたら後者かもしれないと、少しでも思わせる時点でこの人はどうかしている。


 二つ返事で断ろうかとも思った。

 が、どうせなら最後まで読んだって同じこと。読んでいないのはあと二ページで、返事をする必要のない手前のページは飛ばすことにする。目を通すだけ通して突き返してやろう。


 そして該当するページにもやはり、ダンゴムシが踊っていた。


『佳奈ちゃんが、仲間外れにされているんです。無視されたりとか。先生、どうしたらいいでしょうか』


 所々、不自然に濃くなっている筆跡を見て何故か、丸まったダンゴムシの背筋がピンと伸びたような気がした。


 本当に、本当に大人というのはズルいと思う。あれだけくだらないことを並べて見せた挙げ句、言葉も出ないような事態を澄まし顔で寄越してくる。


 ああ、まったくもって浅はかだった。たったこれだけの文章に確かに俺の想像は置いていかれて、自分の矮小さを思い知った。


 だって、これだけプライドの高い女の子なんだ。


 対極にいるはずの俺だって、どうしようもないときにどうしたらいいんだなんてあやふやで返事に困るような質問は絶対にしたくない。相手を困らせることはもちろん、それ以上に弱みを見せたりなんてしたくない。


 それが、この福内晴海だぞ。どんな顔をしてこれを書いたかなんて、想像できない方が無理というものだ。


 溢れそうなものを堪えて堪えて我慢して、調節の効かなくなった握力で書いたんだろう。


 たった一人でいる人間の気持ちを本気で察するってのはそういうことなんだ。


「……何て書けばいいんだよ」


『俺も』

 じゃない、

『私も一人でいるから佳奈ちゃんも大丈夫だよ』


 違う、何だこの返事は。逆の立場ならその場で破り捨てて、東シナ海でも行って一生油田でも掘ってろとか言って浴びせてもまだ足りないぐらい違う。


『晴海ちゃんは、どうしてあげたいの?』


 これも違う。自分のプライドを折ってまで救いを求めてる相手に、まだ中学一年生の福内晴海にこれは、あまりに厳しすぎる。本当に立場が逆だったなら、相手が俺だったなら充分過ぎる返事だというのに。


 これも違うこれもこれもと、悪い冗談のような螺旋階段をさ迷っていた。ノートに映る自分の影が夜の色になるまで、時間が経つことも忘れて。


 それは課題に手こずったことなんてまずなかった俺が初めて鉛筆を手に固まった、そんな夜だった。



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