はつかねずみと日本人
ハプロを話すのにどうしても傍証が役に立つときが有る。以前は豚の遺伝子からルーツを探る立ったが、今回ははつかねずみの遺伝子からになる。ハプロってタイトルと違うじゃないか?といわれると思う。ただ最終的にはハプロだけでは駄目で、それを様々な物証とつなげていくのが大事になる。その1つになる。以前豚でやったのだから良いだろう。
はつかねずみは穀物とともに広がってきた。それによって、人間が穀物で食料を自給する時代には移動ルートを探れることになる。これは農業だけじゃない。採集によって集められた穀物も含む。農業の前にこの時期がある。それによって農業が始まったと言われている。素朴な疑問で、何故人類は近代になってやっと農業を始めたのか?人類誕生から10万年以上の時間があるのに農業をやり始めたのはこの1万年の少ない時期になる。
それは採集の比重が狩猟に対して高くなったからになる。なんらかの原因で採集による比重が高くなったと見ている。そこで考えられるのが、氷河期の終りになる。農業が暖かくなって始まったのではなく、植物由来の食物を動物由来の食物より得やすくなったのがこの1万年付近だけなのじゃないか?と私は見ている。ただ日本の場合今回の話しに関係してるのは新石器時代と言われる農業時代なので、これは考慮する必要が無い。
結論から話すと、日本には大きく分けて、2回のはつかねずみの流入がある。系統的に北方由来と南方由来になる。時期は北方が2000年前付近、南方が4000年前付近。ハプロ的な動きが大体この時期と場所で分かってしまう。
ただこれ注意深く扱わないといけない。おそらくどっちもO1B2の移動になる。じゃ何故2回目は北方由来なのか?でおそらく混血。ツングース系の扶余の登場はこんなに早くない。天皇制が出来上がった頃に扶余との関係が深くなる。馬が入ってきた時期とほぼ一致する。だから馬の流れでこっちは分かる。
朝鮮の歴史を見るとここで3国時代の前身となる国家が出来上がる。多分これ。この民族は南方由来だけじゃなくて北方との混血だったとなる。これはもう分かっていて、N系の北方系の狩猟採集民族と混血している。狩猟採集から農業へ多分移行したためだと見ている。本当はもっと早くから朝鮮半島では農業は発達している。そのためこれは疑問もある。
扶余族の様な騎馬民族の方が都合が良いのだが、歴史的にはっきり残ってしまってるため、この候補は相応しくない。そこで海から直接だったのでは?って考えがどうしても浮かんでしまう。私の説にはものすごく都合が良い。時期的に夏王朝の始まりと重なる。ただ私は山東省からの移動で、江南から直接は苦しいのじゃないか?と見ている。
以前も書いたように、朝鮮半島に向かうのに南部直接ルートに進むときに、日本に流れいった可能性になる。ある意味山東省からの移住は海岸沿いルートに近い。海外沿いルートならかなり昔から発達した航海術がある。
北方のN系や中国から流れてきたO2系との混血を高めたO1B2が2回目の流入と見ている。だから日本には大きな系統では2系等だと見ている。2回目以降中国集団が入ってきても多分朝鮮からなので、はつかねずみの集団は変わらないとなる。O2はこれによっていつ入ってきたかが定かじゃないと見ている。
N系は母系しか基本入ってきてない。これは、シニガイ文化ですでに父系が入れ替わっている理由で説明されている。現在C2B系とO1B2系があの当たりにいるがN系の頻度は大きく下がっている。その理由にN系は母系集団であり父系が特別残ってないのでは?と見られている。2回目の集団は、N母系とO2系、O1B2系の朝鮮民族集団であったと私は推測している。
南方由来と書いたが、明確には中国南部まで特定されている。ほぼO1B2の移住と見て良いだろう。時期的に初期の水稲稲作の北上とほぼ一致する。陸稲による移住じゃなかったのか?ならこれはまた別の話がある。
実はこのどちらでもな少数集団が存在してて、この時期が縄文初期になる。おそらくこれが謎の海の民だと私は見ていて、だが1つ大きな問題がある。さといもなどの南方農業が由来になっていて、穀物?となってしまう。そこで陸稲となる。稲作前にすでに発展していたさといも農業。これと陸稲は同じルーツなのでは無いか?と見てる点。
彼らは誰か?おそらくB系の海の民の母系集団。
海の民の扱いが難しいのは、日本には海の民の候補が数多く居る。最初期のアボリジニーなどの狩猟採集集団の中で船を扱う集団があったと言われている。渡辺謙が白血病になった時に移植のために南米の人の骨髄が必要になったのを知ってる人もいるかと思う。昔はこれインデアンの移住で母系がアジア系だからだとって軽く見ていた。
どうもこれ違うようだ。DNAを調べるとアマゾンの奥地に住む集団がアボリジニなどに近い集団が居たらしい。他にもアマゾンの奥地じゃなくても、南米のそれなりの数の人にそっち系の混血した証拠がみつかるらしい。日本人もその血を引いていると言うことになる。オーストラリアから遠洋航海に出たとの話しも有る。
これもはみ出すが、ラピタ人の移住で南米に移住した証拠があるらしい。さつまいもの存在になる。ただ、これは時期が違う。多分これとは別に海岸沿いに移住した集団が居た可能性がある。そもそもB系ラピタ系の母系集団は北米のナデネ族と繋がりがあるといわれている。後の時代にも海岸沿いに移住する海の集団が居たとなる。
このB母系集団は比較的新しい集団で、アボリジニなどの集団はB系とは関係ない。先住民である海の集団にB系は学んだのか?これは分からないが、それらより前にすでに海外沿いに移住する集団が居たのは確かだと見ている。
じゃ縄文初期はコレか?なら多分違う。時期遅すぎる。分かりやすく言うと、北米のインデアン到着前にすでに来ていた集団が居る。なら1万年以前になってしまう。根本的にこの集団は漁労が目的で、採集は小さな比率だったと見てて、全く別の文化だとも言える。D系がこれらの文化を吸収したか?は分からない。
ただD系流入の初期の時期に来ていた集団で多分南米のC1Bの集団はつかねずみの移動とは関係が無い。日本固有のC1Aも漁労は疑わしいと私は見ている。何故ならこの集団の亜種は欧州に内陸部から移動してるのと、最近中国でも見つかって、中国からの希少集団がたまたま日本に残っただけじゃないか?との疑いが出てきたからである。
D系がアボリジニ集団から混血によって父系が入れ替わって受け継いだと私は見ている。元々D系はオーストラロイドに近いといわれてて、アマンダン諸島の集団は形質的にもろその系等であるのが分かる。
よってラピタ人化するまえのB系集団が縄文初期の海の民であったと私は睨んでいて、その相方はO1Aだと見ている。O1B2はどうか?なら時代的にまだ発展してなかったのでは?と見ている。じゃO1B1は?これが難しい。O1B1は台湾より東の海にはあまり発達してない。日本もそういった海の島の1つだと見ている。
陸稲以外に無かったのか?ならこれが大きな問題になる。日本の穀物は大体ルーツが分かっていて、例外的にになら、そばヒエが縄文期の早くから存在するが、これは北方ルートだと分かっている。実際そばのルーツは中国南方にあってややこしいのだが。日本海沿岸に発達したソバ文化圏が日本より古くからあり、多分ここからだろうと見られている。
はつかねずみがさといもと移動するか?なら分からない。あわきびが東南アジアルートで比較的古くに発見されている。だが、日本に入ってきたあわキビは物的証拠から縄文後期だといわれてて、中国先史時代から栽培の痕跡がある朝鮮ルートだと見てほぼ間違いない。ひょっとしたら、O1B2の旧47Zの藤原系はこの集団だった可能性は否定できない。
ただこちらは都合が良い4000年前の中国南方移住集団が居て、こっちだとしたほうが都合が良い。日本のO1B2に偏りがあるのは、基本藤原効果だと見てるが、それ以外にこの2000年のずれが原因じゃないか?と見ている。日本でO1B2が見つかってないのは、あくまで5000年前であり、それ以降ならいつきたか?は全く分かってない。
数多くの縄文集団を調査した斉藤氏が言うには、大陸からの流入の大きな影響は皆無と言ってよいらしい。来たとしてもDNAの検査にひっかかってない小集団だとすると、まるで発達してないO1Aはとても都合が良い。
根本的には母系のB集団と入ってきたO1Aが陸稲の担い手だったのでは?または縄文人が直接海の民だった可能性も十分ある。アボリジニの海岸沿い航海術を発展させたと取れる。遠洋航海を覚えたB母系のラピタ人も元はアメリカ移住組みにも含まれる点から、おそらく海岸沿い航海術しか持たなかったため。