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 共存陰陽隊本部の地下五階にある、光の差し込むことのない埃臭い座敷牢。


普段、一般の隊員すらも出入りを禁じられている監獄の地下五階からは、時折不気味な呻き声と食事を運ぶ看守係の本部護衛の足音が聞こえるばかりで、それ以外の音はほとんど聞こえて来ないような場所でした。


時間の感覚すら失われるこの部屋で、乾は胡坐をかいて真っ暗な宙を見つめていました。


 目に浮かぶのは、龍壬にとって最大級の術をいとも簡単に弾き返した元弟子の姿でした。中学在学中の修行で術の発動に失敗して以降、術が使えない身体となったはずの時雨。それが原因で、時雨とは中学卒業後に師弟関係を解消するまでに至ったのです。


乾は時雨が家を出て行った後、隊員たちの噂で時雨は盃の付き人となり、娘の輝夜の家庭教師をしていると聞いていました。そして同時に、時雨が術を使えるようになったらしいという話も小耳に挟んでいたのです。


しかし、乾は時雨があれほどの術を返すほどの能力を持っているとは思ってもいませんでした。龍壬自身も誤算だったに違いありません。――いえ、むしろ、龍壬の後ろにいる他主義陰陽隊にとっても。


 なぜ、他主義陰陽隊はわざわざ龍壬を使って時雨を殺そうとしたのか。そして、なぜ龍壬はそれを承諾したのか。謀反は死罪に値する。それを特殊部隊総隊長補佐の龍壬が知らないはずはありません。しかし、あの時の龍壬は、本気で時雨を殺そうとしていました。


「……死罪覚悟ということか」


 乾はかつて自ら命を絶とうとした、馬鹿な男のことを思い起こします。それは、妻子を殺され、自ら捨てた親に頼ることもできず、睡眠薬を大量に投与して自殺を試みた馬鹿な男のことでした。


毎日のように様子を見に来ていた乾が男を発見し、奇跡的に命を取り留めた男は、こう言ったのです。


「もう、なにも失いたくはなかった」


 生きている限り、大切な物は増え続ける。またなにもかも失う悲しみを味わう位なら、死んだ方がいい。男はそう言いました。


「だが、なにも失わないことは、全てを失うことだ。そいつぁ、ちと勿体ねえだろう。――どうせ棄てちまうんだったら、お前の命、俺に預けろよ。有効活用してやる」


 乾は自分が男に発した言葉が、間違っていたと思ったことは一度もありませんでした。確かに、生きている限りなにかを失わないことはない。


しかし、死んでしまったら、失うことだけでなく、得ることすらもできなくなってしまう。それは、全てを失うことに等しい。それが乾の見解でした。


 もう一度、大切なものを得る喜びを知ってもらいたかった。その気持ちは、男になにもすることができなかった、罪悪感から生まれたものに違いありませんでした。


男を自分の補佐とし、琴音と出会わせ、家族ごっこをすることで、思惑どおり男は生まれ変わったように笑うようになりました。全ては、自分の罪悪感を晴らすためだったのです。


そして今、乾によって大切なものを得た男――龍壬は、きっとその大切なもののために死を覚悟しています。


 今回の件、責任を取るべき者は、龍壬ではない。乾は拳を握りしめました。


 その時、こちらへと向かってくる二人の足音が聞こえてきました。看守の本部護衛かと、乾は姿勢を正します。しかし、座敷牢には不釣り合いな鉄格子の向こうに現れたのは、看守だけではありませんでした。


「早く済ませろよ」


「はい。――乾さん、医療部の涼香です。失礼します」


 耳障りな音を立て、鉄格子の扉を開けて入ってきたのは涼香でした。看守が見張る中、涼香は乾に近寄ると、その場で正座をして深々と頭を下げました。


「……静さんのこと、本当に申し訳ありませんでした」


 乾はそのあまりの優雅な所作に見惚れ、一瞬なんのことか理解が追い付かなかったものの、やがて涼香が静を本部へ連行した張本人であったことを思い出します。しかし、涼香に対し込み上げてきた感情は憎悪ではなく、むしろ負い目でした。


「頭を上げてくれ。さしずめ、時雨に命じられたんだろう。こちらこそ、元とはいえ弟子が苦労を掛けて申し訳なかった」


 乾に言われ、ゆっくりと頭を上げた涼香ではありましたが、その表情は暗く、心底精神的に追い詰められている様子が感じられます。


「琴音はどうだ?」


「今朝は部屋から出て来ませんでした」


「そうか」


 自分が不甲斐ないばかりに、辛い思いをさせてしまった。乾は肩を落とし、手錠で繋がれている自分の両手を見つめます。涼香はその手を遠慮がちに握りました。


「わたしが言うのも、憚れるのですが……どうか、ご自愛ください。乾さんになにかあったら、琴音ちゃんも静さんも、悲しむでしょうから」


「……ありがとう」


 涼香の気遣いに乾が力なく笑みを浮かべると、外から看守の冷たい声が届きます。


「時間だ」


「はい」


 涼香は外に向かって声を掛けると、乾にお辞儀をして早々に去って行きました。乾は涼香の言葉から、琴音と静の顔を思い浮かべます。二人が共存陰陽隊の手中にある今、自分がいなくなった後どうなるか。想像するだけで乾の表情は苦渋に満ちるのでした。


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