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「こ、こんにちは」


 琴音は立ち止まり振り返って、自分でもわかるくらいぎこちない笑みを浮かべました。そこにいたのは、琴音と静が旅館から脱出する際、琴音を呼び止めた男に龍壬から呼ばれていると伝達していた朱里(あかり)という背の高い女でした。


朱里はあの時の仲居姿ではなく、この拠点の隊員であることを示す群青色の軍服に身を包んでいます。その朱里が、眉間に皺を寄せながら迫って来ました。


 まずい。一度ゆいこに化けた琴音を見ている朱里なら、もしかしたら偽物だということに気づくかも知れない。


 琴音は思わず顔を逸らします。


「ゆいこさん、巡回担当じゃないんですか」


「じゅ、巡回?」


「拠点の外の巡回ですよ。もしかしたら時雨たちが攻めて来るかも知れないから、警戒しておけって龍壬さんに指示されてたじゃないですか」


 朱里の言葉で、琴音は外で部隊の配置準備を行っているであろう共存陰陽隊員たちの存在を気に掛けました。今頃、もしかしたら本物のゆいこがいる部隊と抗争に発展しているかもしれません。


「ゆいこさん、聞いてるんですか」


「あっ、はい」


「それにさっきの人、誰なんですか。どっかで見たことある後ろ姿でしたけど」


 不意に薙斗のことを指摘され、ぎくりとしました。どうやら朱里も共存陰陽隊から引き抜かれたようです。


「あ、あの人は最近、共存陰陽隊から引き抜かれた人で……」


「ああ、だから見たことあるような後ろ姿だったんですね。お名前は、なんという方なんですか」


 朱里が共存陰陽隊から引き抜かれたということならば、適当な名前を言っても信じてもらえそうにありません。琴音は頭を懸命に回転させ、声を絞り出しました。


「じ、実は、あの方とお付き合いしているので教えたくないんです!」


「……は?」


 朱里さん、物凄く困惑した顔してらっしゃる。


 どこか冷静に朱里の顔を見つめる琴音。しかし、背中は冷や汗でびしょびしょになっていました。


「えっと、彼、ずっと共存陰陽隊にいて会えなかったから、巡回の時間に少し抜け出して会ってたんです」


 琴音の口からは、自分でも驚くほど嘘がぽんぽんと飛び出します。しかし、それを聞いた朱里は、急に目をきっと吊り上げました。


「この非常時になにを考えているんですか、あなたは!」


 おまけに、人差し指を立てて怒鳴り散らし出します。言っていることはごもっともでした。琴音は心の中で見たことがあるだけのゆいこさんに謝罪します。


「全く! 今回だけですからね!」


 怒鳴るだけ怒鳴った朱里は、ぷんぷんと怒りながら去って行きました。琴音はほっと息をつきながら朱里の後ろ姿を見送ります。そして、外の隊員たちの様子を聞くため、琴音は時雨に連絡を入れました。


「こちら琴音。部隊の配置はどんな様子ですか。先ほど敵から巡回を強化していると聞いたんですが」


『ええ、今一掃しているところです。もうじき終わるので、君は計画どおり動いてください』


 さすが、仕事が早い。琴音は頼りがいのある台詞に、勇気づけられました。


「了解です」


 外の様子も問題がないと知った琴音は、薙斗の後を追おうと振り返ります。当然のことながら、薙斗の姿は既にありませんでした。


監視カメラ室の場所はなんとなく覚えているため、一人でも行けないことはありませんでしたが、さっきのエレベーター前での鮮やかな攻撃を見る限り、恐らくもう直ぐ連絡が入るはずです。そんなことを思い、琴音は監視カメラ管理室に行くことを躊躇していました。


『こちら薙斗。監視カメラ室制圧成功。琴音はこれより自身の行動に移れ』


 イヤホンから聞こえてくる薙斗の声。なんてタイミングでしょう。琴音は計画どおり、南口へと向かおうとします。しかし、


『全部隊に告ぐ。南、北は共に隊員配置完了。南から要請を出します』


『こちら乾。琴音、南から人払いを頼む』


「……み、南ってどっちだっけ!?」


 相次ぐ南側の人払い要請。琴音は頭に入れた地図を思い起こします。計画では監視カメラ室から南口へと向かう手筈であったため、現在地から南口へと向かう道がわかりませんでした。


おろおろと辺りを見回しても、看板など掛かっているはずもありません。途方に暮れていると、突然アナウンスが入りました。


『監視カメラ室より緊急連絡。化け狸を発見。化け狸は現在北口へ向かって逃走中。至急確保せよ。繰り返す……』


 少し声は違いましたが、間違いなく薙斗でした。そのアナウンスを聞いた隊員たちは一斉に各部屋から出て来て、我先にと北口へ向かいます。その腰のホルスターには拳銃が装備されていました。


『こちら薙斗。南出入り口の人払い完了。琴音、お前は今出て行った団体の前をうろついてろ。俺が援護する』


 イヤホンから聞こえる薙斗の声。今日ほど薙斗の存在をありがたいと思ったことはありませんでした。


「ありがとう!」


 琴音は百均で買った物を鞄から出し、口に咥えて狸の姿となります。抜け殻となった服と鞄を置いて、北口へと向かう隊員たちの後を追いました。


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