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5


 その頃、琴音は夢を見ていました。


その日は、雨が降っていました。木々に覆われたその場所は、曇り空も相まって薄暗く、鬱蒼としていました。聞こえるのは、雨音だけ。そして、今そこに存在しているのは、簡素な着物姿の幼い琴音のみでした。


 琴音の眼前には、神社の拝殿が佇んでいました。その近くには、小さな木造の古風な家が建っています。ここがどこなのかさっぱりわからない琴音は、雨に濡れながらその家へと向かい、扉を叩きました。


「すみません、どなたかいらっしゃいませんか」


 いくら呼んでも、人が出て来ることはありませんでした。


琴音は諦めて、拝殿の屋根で雨宿りをすることにしました。寒さと不安に震えながら、辺りを見回します。絶え間なく響く雨音。近くの沼から臭う泥臭さ。生い茂る草木。その全てが、琴音の不安を煽る要素でした。


 と、どこからか琴音の声を聞きつけたらしい男が、拝殿の目の前の石段を上ってやってきました。もじゃもじゃと口の周りに無精ひげを生やした怪しげな男は、琴音を見るなり目を見開いて立ち止まりました。


琴音は、咄嗟に不思議な恰好をしたその男の元へと駆け寄ります。


「もし、お尋ねしたいことがございます」


 男は無言のまま琴音と視線を合わせるように屈み、差していた大きな黒い傘の中に琴音を入れてやりました。琴音はその傘を興味深そうに眺めていましたが、やがてはっと我に返ったように話し始めました。


「あたくしはある方を探しているのです。ここはどこなのでしょうか。都からは、どれほど離れているのですか」


「悪いがお嬢ちゃん、お前さんの前世(・・)のことを教えてくれ」


 仮に琴音が人間であれば、男の発言に対し眉を潜めたことでしょう。しかし、琴音は眉を潜めるどころか、嬉々として満面の笑みを浮かべます。妖とわかっても話を聞いてくれる、珍しい人間に出会えたことに安心したのです。


「ああ、術者のお方でしたか。それは心強うございます。そうですね、現世(うつしよ)で最後に聞いたお話では、確か宗仁様がご崩御なされたことがきっかけで起きた乱は、雅仁様が勝利をお収めになったと伺いました」


 男には宗仁と雅仁という名を聞いて、直ぐに鳥羽と後白河が頭に浮かぶくらいには日本史の知識がありました。鳥羽法皇崩御後に起きた後白河天皇絡みの乱といえば、保元の乱しか思い当たりません。


男は哀れに思いながらも、琴音に真実を告げました。


「お嬢ちゃん。酷なことを言うが、今はその乱が起きてから約千年経ってる。お前さんが探してる人は、もういねえんじゃねえか」


「そんなはずは……」


「俺の恰好やこの傘を見ても、おかしいと思わねえか?」


 琴音はなにも言い返すことができませんでした。


言い返す代わりに、目に大粒の涙を溜めます。やがて、琴音はがくんと崩れるようにして地に膝をつき、男の目も気にせずに大きな声で泣き叫びました。


琴音はここが千年以上経った現世だと認めると同時に、清才に二度と会えないことも認めざるを得なかったのです。清才がどんなふうに過ごし、どんなふうに死んだのか、それすら知る術がありませんでした。


 全ての生者は等しく、時の流れには無力です。時を遡ることのできない琴音は、ただ泣きながら小さな手で泥を握りしめることしかできませんでした。


「悪いことは言わねえから、(かくり)()に帰ったほうがいい」


「帰る場所などないのです! 清才様のおそばが、あたくしの唯一の居場所だったのです!」


 男は清才という名前を聞くと、少し考えてから泥だらけの琴音に手を差し出しました。琴音は、涙でぐしゃぐしゃになった顔で男を見上げます。


「なら、うちに来い。俺がお前の居場所を作ってやる」


 男は眩しいくらいの笑顔を浮かべていました。


「どうしてですか。妖なんかに……」


「なんとなく。ここに置いて帰るのも寝覚めがわりぃしな」


 琴音は戸惑いながらも、泥だらけの手で男の大きな手を取りました。男の手は、琴音の手を握って琴音を立たせます。それから家に到着するまでずっと、男の手は温かく琴音の手を包み込んでくれました。



 瞼を開けると、そこは神社ではなくいつもの自分の部屋でした。カーテンには桜の木の枝の影が映り、隙間からは日差しが漏れています。


「……パパ」


 夢に出てきたのは、今から七年前――パパと初めて出会った時のことでした。住む場所もなく、頼る人もいなかった琴音に、全てを与えてくれたのはパパだったのです。


それなのに、いつの間にかそれを忘れて、まるで自分だけで生きてきたかのような態度を取ってしまった。琴音は後悔の念を抱きながら布団に潜り込みました。


もう、パパは仕事に行ってしまっただろうか。素直に謝って、気持ち悪いと思われないだろうか。


そんな思考が、ぐるぐると琴音の頭の中を巡ります。


「……っだあ!」


 琴音は勢いよく、布団から起き上がりました。くよくよしたって仕方がない。パパが帰ったら、いつもどおりに過ごそう。結論に至って、琴音は着替えを始めました。


 いささか突然ではございますが、一つ昔話をしようと思います。あなた様はまだお若いので、きっとご存じないかと思います。念のために記しておきたいのです。


 それは遥か昔々のお話です。この世には、人間と妖の二種が存在しておりました。人間と妖は本能のままに対立し合い、世界は混乱を極めました。


そんな状況を憂いた神は、持っていたその杖を投げ放ち、世界を人間の世界と妖の世界の二つに割きました。


それからいつしか人間の世界を現世(うつしよ)と呼び、妖の世界を(かくり)()と呼ぶようになったのです。杖によって悪霊や病魔から守られるようになった人間たちは、杖を神のように崇めました。


 こうして、世界は均衡を保ち、争い事は起こらなくなったのです。本当であれば、ここでめでたしめでたしと終わりにしたいところではございますが、お話はまだ続きます。


 現世では気が遠くなるような時を経ると、祭事は形だけとなり、杖の存在も忘れ去られてしまいました。


人間は転生をしたとしても、前世の記憶を保持することはできません。故に、現在の現世では杖の存在だけでなく、一部(・・)()人間(・・)を除いて妖の存在も架空のものとされているのでした。


 一方、妖は人間とは違い、転生を繰り返したとしても記憶は保持されます。そのため、人間に対する憎悪や嫌悪が消えることはありませんでした。


杖の信仰が薄れ、境界が曖昧となると、妖は妖力が最も上がる昼と夜の境に、空間の歪から現世へと渡り、悪事を働きました。


人間はこの昼と夜の境を黄昏(たそがれ)(どき)、または逢魔(おうま)(とき)と呼び、本能的になにかがもたらす災厄を恐れてこの時間帯には村の外へ出ることはありませんでした。


こうして、再び陰ながら人と妖との争いは始まってしまったのです。


 しかし、人間に恨みを持つ妖が多い中で、恨みなど関係なく現世を好む妖もいました。そんな変わり者たちは、現世で細々と生活をしているのです。琴音もその変わり者の一人でした。


 琴音は、普段は一般的な十六歳の少女に化けている、風狸の能力を併せ持った化け狸でございます。


年齢に関しては、妖の中では長寿の者が大半ですが、現世に住む妖は昔から短命であるということは妖の内で有名な話であり、琴音もその話に従う形で若くして平安時代後期に命を落とし、隠世に転生しました。


そして、平安時代に仕えていた術者である清才をどうしても忘れられなかった琴音は、再び空間の歪から現世へと渡ったのでした。


 しかし、琴音が渡った現世は、既に琴音の知っている世界ではありませんでした。約千年という時を越え、術者のパパと龍壬と出会い、これまでわたしが綴ったような生活を送っているのです。


琴音はパパや静と生活を始める際、パパと約束を交わしました。それは、パパの名を決して他人には公言しないこと。この約束を破った時、家族の縁は解消されるとまで言われた琴音は、理由を知らないままこの約束を今日まで七年間、守り続けているのでした。


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