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 ――三月上旬。神奈川県F市の閑静な住宅街の一角にある、どこにでもありそうな一軒家に、琴音は家族四人で暮らしていました。


この日も、十六歳の琴音は反抗期の娘のように父であるパパに喧嘩を売っており、その様子は普通のありふれた人間(・・)家族とそう変わりはしませんでした。


「パパなんか大嫌い!」


「おうおう、大嫌いで結構だ」


 この家では、このような親子喧嘩など珍しくはありませんでした。理由はパパがだらしないから、パパが臭いから、パパがむかつくから、など主にパパ関連の些細なことでした。


「パパの女たらしの酒たらし! 禿げ散らかせ!」


「てんめえ、親に向かって禿げ散らかせだあ!?」


「ストップだ。琴音、パパに頭のことを言うな。最近気にしてるんだから」


「別に気にしてねえし!」


 いつものように親子喧嘩の仲裁役の龍壬(たつみ)が止めに入り、その場は一先ず納まったかのように見えました。


若紫色の和服を着込んだ(しず)は、大して興味が無いように愛用のノートパソコンを前にキーボードを叩いています。和服少女がノートパソコンを操るというなんとも奇怪な画も、この家では日常化されていました。


「だって、見てよ龍壬さん! 今日あたしが好きな洋服屋のセールがやってるんだよ? ほら見て、ここ。新作も入ったって!」


 琴音はパパを諦め、すぐさまねだる相手を龍壬に変更しました。持っていたはがきを龍壬の目の前に突き出し、セールの詳細をこれでもかと見せつけます。


「もうすぐ春なのに、あたし春服全然持ってないんだよ?」


「今度買って来てやるから」


 頼みの綱だった龍壬からも、あっさりと断られてしまった琴音は、大袈裟に肩を落としました。


「じゃあ、あたし一人で行くからいい」


「琴音、いい加減にしろ。今度連れて行ってやるって言ってんだろうが」


「今日行きたいの。どうして家から出してくれないの?」


 琴音は持っていたはがきを握りしめ、長年の不満をこぼしました。龍壬は困ったようにパパを見ますが、パパは答えようとしません。


琴音は、なにもかもが気に入りませんでした。パパの態度も、それに対し逆らえない龍壬も、無関心な静も。自分はなに一つとして間違ったことを言ったわけではないのに、まるで自分が異形の存在かのように扱われる。


それに我慢の限界を感じた琴音は、つい、決して口にしてはならない言葉を口にしてしまったのでした。


「……清才(せいさい)様は、家に閉じ込めるようなことしなかったのに」


 琴音がこう言った途端、パパの中のなにかが切れました。さっきまで興味を示していなかった静さえも、忙しなく動かしていた手を止めて横目で二人を見つめます。


パパは琴音にゆっくり近づくと、いきなり胸倉を掴み上げこう言い放ちました。


「不満なら今直ぐ家から出て行け! 清才の所でも、どこにでも行けばいいだろう!」


 清才など、もうこの世にはいない。それを知っていて、パパは琴音にこう怒鳴りつけました。互いに口にしてはならない言葉を口にしただけでなく、普段子どもに手を出さないパパが手を出したことにさすがの龍壬も焦りの色を見せました。


「おい、落ち着けよ」


 龍壬が慌てて後ろからパパを止めに入ります。パパから解放された琴音は、泣くこともなく、毅然としてパパを睨み付けていました。


「清才だかなんだか知らねえが、自分を殺したかも知れん相手をよくもまあそんだけ敬えるもんだなあ!」


 琴音に追い討ちを掛けるように言い放ったパパの言葉に対し、今度は琴音の中でなにかが切れました。


 すると突然、琴音の周りにだけ風が起こり、琴音の亜麻色の髪を揺らしました。風は急激に吹き荒れ、新聞紙やチラシを舞散らし、壁掛け時計を落とします。


「琴音!」


 龍壬の声で我に返ると、風はふっと止み、宙を漂っていた紙類が重力に従いふわふわと舞い落ちました。


 気がつけば、部屋の中は嵐が通り過ぎた後のように乱れていました。琴音は依然、パパを睨み殺すような形相をしています。


「清才様のことなにも知らないくせに! 勝手なこと言わないで!」


 琴音はそう言い捨てると、自分の部屋へ走り去ってしまいました。


「……懲りないわねえ」


 そこでようやく静が口を開き、呆れたようにパパを見つめました。パパは無言で龍壬の腕を乱暴に振りほどくと、煙草を咥えて庭へと出て行きました。


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