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屋敷を出て草原を歩き、草原を囲っている森の方へ向かうと、森はなだらかな傾斜となっていて、初めて屋敷が山の頂上にあることを知りました。
「滑りやすいですから、気をつけてくださいね」
そう言うと、時雨は琴音の手を取りました。琴音は手汗などかいていないだろうかなどと気にしながら頷きます。
木漏れ日を浴びながら更に下ると、前方に丹土色に塗られた大きな鳥居が見えてきました。
「あれが結界の媒介です」
「あの大きな鳥居が?」
「はい。この山の東西南北、合わせて四基設置していて、それぞれに結界を施しているんです。普通の人間がこの鳥居より先を通ると、頂上へは行かずに向こう側へと通り抜けます」
よく見ると、鳥居の柱の部分に札が貼ってあります。それが結界符のようでした。琴音はその鳥居を潜った瞬間、なにかが全身に纏わりつくような触感を覚えました。どうやら結界を通り抜けたようです。
「そういえば、地下から行った時には結界がありませんでしたけど」
「あの入り組んだ通路が結界のようなものですから。道を覚えている人間でなければまずあの屋敷には辿り着けませんよ」
「薙斗があちこちに死に至る罠が仕掛けられてるって言ってましたけど、一般人が間違えて入ったりしないんですか」
それを聞くと、時雨はぷっと笑い出しました。
「本当に騙されて来たんですね。あれは屋敷にいる人間のために作られた緊急用の通り道なので、出入り口は一般人が見つけられる所にはありませんし、万が一迷い込んだとしても三キロメートル圏内の様々な所に繋がっているだけで罠なんて仕掛けられていませんよ」
「薙斗の奴ぅ!」
琴音は悔しさから奥歯をぎりりと噛みしめました。時雨はその様子を実に面白そうに眺めています。
「まあまあ、薙斗くんも琴ちゃんをあそこまで連れて行くのに必死だったんでしょう」
「時雨さんが薙斗に、あたしを神社から屋敷に連れて行くように頼んだんですよね」
「はい。天眼神社の橋に人間じゃないなにかが通った気配を感じたので」
どうやらあの神社の橋にも術が仕掛けてあったようです。様々な場所に術者の力が潜んでいるということを知った琴音は、この町全体が陰陽隊の支配下なのではないかと思うようになりました。
と、琴音のハンドバッグからなにやら鈴が鳴るような効果音が響きます。立ち止まってハンドバッグの中を開けると、端末の液晶にメッセージを受信したことを知らせる文章が表示されていました。
『龍壬:もし、時雨を見つけていたら、明後日の昼過ぎに時雨を連れて俺の家に来てくれ。話しがしたい。』
このメッセージを受信した日付は、一昨日となっていました。つまり、龍壬が指定した日付は今日ということになります。
「どうして今になって受信したんだろう」
「結界の中は指定した電波以外、送受信できないようにしてあるんですよ。万が一、敵に場所を特定されると厄介ですからね」
なるほど、道理で龍壬との連絡が取れないわけです。しかし、端末の充電が切れた際に前もって龍壬からの連絡を待っていると伝えていたにも関わらず、なぜ時雨は今になるまでその事実を隠していたのでしょう。
やはり、龍壬が送ってくるメールの内容を予め知っていて、指定した今日になるまで待っていたようにしか思えません。
「ラッキーでしたね。これで行き先が決まりましたよ」
「でも、時雨さん、龍壬さんの家がどこにあるのか知ってるんですか? あたし、ここから道案内できる自信ないんですけど」
「調査済みですよ。行きましょう」
時雨はにっこりと笑うと、琴音の手を引いて再び山を下り始めました。デートという名目でなにかを企んでいるかのような素振りをわざとらしく見せつける時雨に、琴音は一抹の不安を覚えるのでした。
山を下りきると、見覚えのある場所へと辿り着きます。
「あれっ、ここって……」
そこは、琴音が静の力で飛ばされ一番初めに辿り着いた大葉城址公園でした。あの時と比べると寒桜はだいぶ散って、葉桜となってしまっていましたが、それ以外は変わらず、やはり人は見当たりません。
「ああ、琴ちゃんはここに飛ばされていたんでしたね」
「はい。この公園の山が屋敷だったんですね。――それにしても、相変わらず人がいませんね。こんなに綺麗なのに。やっぱり歴史のせいなんですかね」
「歴史?」
「看板に書かれてる歴史です。あれのせいか、ここら辺は心霊スポットとして有名になってるみたいですよ。なんでも、和服姿の長身の男の幽霊が出るとか……」
琴音はそう言いながら、ふと自分の隣を歩く時雨を見上げました。そう、気づいてしまったのです。琴音は普段、和服で生活している長身の男のことを知っていました。
「あの、時雨さん。……もしかして、幽霊だったんですか」
「いえ、残念ですがまだ生きてます。因みにあの看板に書かれてあることは、全て作り話ですよ。人を寄せ付けないために、僕が用意させたものです」
琴音はあんぐりと口を開けて唖然とします。人を寄せ付けないために、そこまでするとは思いもしなかったのです。しかし、これで残留思念など霊的なものを感じない理由がわかりました。
「人を寄せ付けないために用意したつもりでしたが、いつの間にか有名な心霊スポットになってしまい、正直困っているんですよ。昼間はこうして人通りは少ないんですが、夜になると物好きなガキ……子どもたちが遊びに来るので」
「今、はっきりガキって言いましたよね」
時雨は笑顔で琴音の追求を流しました。
「でも、心霊スポットとして有名になるのが困るなら、夜に和服で外に出なければいいんじゃないですか? ……というか時雨さん、夜になにしに行ってるんですか?」
「琴ちゃん、それは聞くだけ野暮というものです」
そう言われた琴音は、途端に頬を赤くしました。そうだ、時雨さんは大人の男の人だった。きっと、あたしのことだってガキとしか見ていないんだろう。
「おや、なにを落ち込んでいるんですか。――言っておきますが、僕は子どもをデートに誘ったわけではありませんよ」
……やはり、読まれていたか。琴音は本音か世辞か聞き分けがつかぬ台詞を吐きながら笑顔で手を差し出す時雨の手を、苦笑いしながら握りました。
*
デートという名目で時雨が琴音を屋敷から連れ出した頃、薙斗は高校を早退してある場所に徒歩で向かっていました。高校からほど近い場所にあるそこに着いた薙斗は、清潔感のある白い横開きの扉を叩きます。
「ああ、入ってくれ」
「失礼します」
中からの声を確認すると、薙斗はその扉をゆっくり開きました。日が差す八畳ほどの小部屋の窓辺のベッドで、その男は上半身を起こしてテレビを観ています。男は薙斗を見るなり、テレビの電源を切りました。
「乾さん、お加減はいかがですか」
「ああ、もうだいぶよくなったな。寝てるだけで飯も美人看護師が運んでくれるし、至れり尽くせりだ」
薙斗は乾の下品な笑みには一切反応を見せず、ベッド近くの椅子に座りました。
「さっき、氷月さんにお会いしました。乾さんが手当たり次第に看護師を口説くものだから、睡眠薬が減って仕方がないと仰っていましたが」
「聞いてくれる? あいつ、俺が看護師に話し掛けるとうるせえっつって俺に睡眠薬投与しやがるんだぜ? 医院長がすることとは思えねえな。口答えすればあの感情が読み取れない顔でぐちぐちと延々に文句を言われっから、そろそろ胃に穴が開きそうだ」
薙斗は、看護師を口説くのは特殊部隊総隊長としてどうなのだろうかと思いましたが、それを口に出すことはしませんでした。薙斗には、あまり無駄口を叩いている時間がないのです。それを察した乾は、薙斗の言葉を促しました。
「で、今日はなにしに来た」
「……狸のお嬢さんを預かっています」
その言葉を聞くと、乾はふっと笑みをこぼしました。
「やっぱりな。時雨はなにを考えている?」
「今は裏切り者の始末を最優先としているようです。お嬢さんの処遇については、俺にはわかりかねます。――お嬢さんはあなたのことをとても気に掛けていました。できることなら、あなたにお返ししたいと思っているのですが」
「いや、お前さんは時雨の補佐だ。時雨の意向に反することはしねえ方がいい。なに、こっちだって大人しく大事な娘をやるつもりはねえよ。――ところで、今日になって来たのは、それを伝えるためだけじゃねえだろ」
薙斗は小さく頷き続けます。
「主戦力部隊と特殊部隊に要請を出しました。今、恐らく各精鋭部隊が屋敷に向かっているはずです」
「こりゃまた随分と急だな」
「時雨はあなたにも協力を求めています」
「ようは自分が蒔いた種を人に押し付けて、てめえだけ寝込んでじゃねえってことだろ。わかったよ、今は主戦力に従ってやる」
「助かります。では今夜、必ずお嬢さんを連れて伺います。くれぐれも氷月さんから睡眠薬を投与されないように」
「大丈夫だ。あらかた好みの看護師の連絡先は内密に聞いたから」
乾は片方の口角を上げて笑いながら、自分の端末を誇らしげに薙斗へと見せつけます。薙斗はそれを見ようともせず、「では、失礼します」とだけいって病室を早々に出て行きました。
乾は琴音のダメな父親を見るかのような目が、少しだけ恋しくなりました。




