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「もし、時雨さんが結界破りを起こしたなら、あたしは今ここでこのワンピースを脱いであなたを殴ります」


 琴音の台詞を聞くと、時雨は一瞬だけ眼鏡の向こうで目を丸くしました。すると、急に真面目な表情になったかと思うと、着流しを整えて正座をしだします。


「どうぞ」


 時雨の台詞に間髪入れず、涼香が琴音の後ろから駆け出して来たかと思うと、無言で時雨の顔面を蹴り飛ばしました。横倒れになった時雨は、呻き声をあげています。


 その一瞬のうちに凄まじい衝撃を受けた琴音は、込み上げてきていた怒りなど忘れてしまいました。やりきった涼香は、ぽかんと口を開けて呆然と現状を眺めている琴音と向かい合い、子どもに言い聞かせるように目線を合わせます。


「琴音ちゃん、こいつは確かに変態で人でなしの外道よ。今直ぐにでも地獄に堕ちて永遠に苦痛を味わえばいいと思ってるわ」


「そんなふうに思ってたんですね」


 時雨は上半身を起こし、涼香に蹴り飛ばされた左頬を摩っていました。涼香はそんな時雨を完全に無視して続けます。


「でもね、ただ一つ、こいつは馬鹿ではないの。乾さんを傷つけてまで琴音ちゃんを捕獲するなんて、そんなリスクが高いことしたりしないわ」


「……隊内の禁令によって、隊内での争い事はご法度です。生死に関わるようなことがあれば、たとえ捕獲令が出ていたとしてもそれこそ死刑になります。そんなリスクを負ってまで、君を捕獲しようとは思えませんね」


「じゃ、じゃあ、時雨さんがパパを瀕死にさせたわけじゃ、ない?」


 時雨は無言で頷きました。琴音は慌てて頭を下げます。


「疑っちゃって、ごめんなさい!」


「ああ、琴音ちゃん、あなたがこんなゴミに謝る理由なんてどこにもないわ」


 涼香は可哀相にと琴音を抱きしめ、幼子をあやすかのように背中をポンポンと撫でます。久しぶりの温もりに、思わず泣きそうになりました。


「僕もいささか調子に乗りました」


「あ、あの、時雨さん」


 琴音は涼香の腕の中から顔を出し、時雨に視線を向けます。


「時雨さんがやったんじゃないのなら、どうしてあたしがこの洋服を欲しがってるって、わかったんですか」


 涼香に蹴られた衝撃で吹っ飛んだ眼鏡を拾い上げた時雨は、着物の袖でレンズを拭きました。眼鏡をしていないと、清才と瓜二つの整った顔がはっきりとわかります。


「過去と未来。僕にはその二つの事象が視えるんです」


 時雨はレンズを拭きながら、冗談とも本気とも捉えられるようなおどけた口調でこう言いました。琴音は戸惑いのあまり、どのように返答したらいいかわからず、直ぐには言葉を発することができませんでした。


「――さあ、琴音ちゃん。こんなのは放って置いて髪を乾かしてから他の洋服も見てみましょう」


 琴音が真実を確かめようとすると、涼香は琴音の手首を掴んで強引に時雨から離すかのようにして連れ去ります。時雨はその後ろ姿を、眼鏡を掛けながら見送っていました。


 琴音が涼香に連れられ脱衣所へ戻り、髪を乾かして足を手当てしてから部屋に戻ると、いつの間にか琴音の好きな洋服屋のロゴが入った、大きな紙袋が二袋部屋の中央に置かれていました。


「こ、これ、もしかして全部買ったの?」


「ええ、あれのお金でね」


 涼香が紙袋から出す洋服は、確実に十着は超えています。しかも、見た限りではそのどれもが琴音の好みに合うものでした。


「それより、ぜひ着て見せてちょうだい」


 琴音は期待で目を輝かせている涼香に応えるべく、その全ての洋服を試着して見せたのでした。


 どの洋服も可愛らしく、女の子らしいデザインで琴音自身楽しんで試着をしていたのですが、それでも頭の中では時雨の先ほどの言葉が旋回していました。


過去と未来の事象が視える。そんな能力が、本当にあるのだろうか。琴音は涼香に褒めちぎられながら、そんなことばかり考えていました。


 一通り試着を終えると、涼香は家事に戻ると言って琴音の部屋を出て行こうとします。琴音は慌てて涼香を止めました。


「あ、あの、あたしもなにかお手伝いできないかな。いろんなことやってもらってるだけじゃ申し訳ないし、体を動かしてる方が、気が紛れると思うの」


「そうねえ、気持ちはありがたいけど、琴音ちゃん足怪我してるでしょう。今日一日はまだあまり無理しない方がいいわ」


 そうは言うものの、足の痛みは昨日と比べて大分引いていました。琴音は更に食い下がります。


「食事の手伝いなら足動かさないし、いいでしょ?」


「ありがとう、でもお昼は肉じゃがが残ってるから、新しく作らなくてもいいのよね。お夕食の支度を手伝ってくれるかしら」


「うん!」


「それじゃあ、お昼の時間になったらまた呼びに来るわね」


 そう言うと、涼香は琴音の部屋から出て行きました。一人になった琴音は、自分のバッグから端末を取り出します。しかし、やはり龍壬からの着信履歴はありません。かけてみても、一向に繋がりませんでした。


 することがない琴音は、縁側へ出て再び時雨の部屋の方へ向かいました。が、先ほどまで空いていた時雨の部屋は、きっちりと襖が締め切られています。


台詞のことは気になりましたが、もしかしたら冗談だったかもと思うと、わざわざ問いただすのもどうかと立ち往生してしまいました。


 仕方なしに、琴音は窓の外を眺めました。そこで、先ほど入った露天風呂の仕切りを見て、ふと屋敷の北側にはまだほとんど足を踏み込んでいないことに気づきます。北側はどうなっているのか。


好奇心に駆られた琴音は、屋敷内の探検に出ることにしました。屋敷の中央には広い中庭があるため、そこを目印にすればそう簡単には迷いません。琴音は早速足を北側へと向けました。


 時雨の部屋の前を通って真っ直ぐ行くと、トイレに突き当たります。その隣は、先ほどいた脱衣所となっていました。突き当たりを右へと曲がり、脱衣所の前を通った先は、まだ琴音が足を踏み入れたことがない場所です。


 琴音はまず目についた近くの扉を、そっと開けてみます。覗き込んでみると、壁沿いにびっしりと並んでいる本棚が見えました。どうやら、書斎のようです。本棚にはやはり隙間なく本が並べられており、古い書物独特の鼻をつくような埃臭さが漂っていました。


 中に入ってみると、そこは居間と同じように下には絨毯が敷き詰められ、天井にはシャンデリアが吊るされている洋間でした。中央には、高級そうな木造の閲覧席が備えられています。


よく見ると、壁沿いに設置されている本棚の間に、入り口と同じような扉が二つありました。一つは入って右側に。もう一つは、前方に。琴音は右側の扉を開けてみます。


 すると、隣の部屋と繋がっているらしく、この部屋とまったく同じ構造の部屋がもう一つ現れました。琴音はまるで部外者である自分を、本たちに背表紙でじっと見張られているような感覚に陥り、気味が悪くなりました。


 それでもいくらか好奇心の方が勝り、扉を閉めると今度は入って前方の扉を開きました。扉を開けると、外の日の光が琴音の顔に降り注ぎます。前方には屋根つきの渡り廊下が続き、その先には蔵のような離れが見えました。


まるで、お宝探しをしているかのような気分で辺りののどかな景色を見回しながら、渡り廊下を真っ直ぐ歩くと、鉄製の見るからに重たそうな観音開きの扉の前に辿り着きます。扉を閉めていたであろう頑丈そうな鎖は、錠が外され力なく垂れ下がっていました。


誰かいるのだろうかと扉に耳を当ててみるも、扉があまりに厚くて中の音など一切聞こえてきません。琴音は泥棒の可能性も視野に入れて、そっと扉を開けてみました。


 中は、先ほどの書斎とは比にならないくらいのカビと埃臭さが充満していました。琴音は思わず顔をしかめて鼻をつまみます。やはり、多くの本棚が図書館のように並べられ、書物が密集していました。


しかし、先ほどの書斎とは違ってきちんと本棚に収まりきっていない書物も見受けられます。琴音は本棚と本棚の間を一通り見て回るも、人影は見られませんでした。


 それにしてもと、よく本棚の中を見ると、書誌だけでなく巻物までもが保管されています。書誌は和装本ばかりで、どれも年季の入ったものだらけでした。


目についた和装本をぱらぱらとめくってみると、達筆な草書体の文字がつらつらと羅列されており、思わず懐かしさに見入ってしまいます。


 それは誰かの日記のようでした。書かれた時代はよくわかりませんでしたが、ある主人の従者が書いたものらしく、その日の主人の行動や自分の心情について事細かく書かれています。


 と、上の方からなにやら物音が聞こえてきました。誰かが歩くような、みしみしという音です。本を元に戻す琴音の頭には、再び「泥棒」という二文字が浮かび上がりました。


琴音は屋根裏に続くであろう、梯子のように急な階段を見つけると、極力音を立てぬようゆっくりと上って行きます。


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