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「副長」
書類だらけの机に向かって、これから始まる春休みに向けての宿題を作成していた薙斗は、声を掛けられた前方に視線を向けました。見ると向かいの席に座る女が、女の机と薙斗の机の間を隔てている書類を掻き分け顔を出しています。
「なんだ」
「そんな不機嫌そうな顔しないでくださいよ。せっかく頼まれてた物、用意したのに」
それを聞くと、薙斗は唇を突き出しながら小声で文句を言う女を無視し、周りを確認しました。薙斗の机の周りにいる教師たちは、この時間の授業担当者ばかりで今は席を外しています。
「出せ」
薙斗がぶっきら棒に手を出すと、女は大人しくUSBメモリを渡しました。薙斗はそれを自分のパソコンに挿してデータを開き凝視します。
「先月から、主戦力部隊では五人の隊員と連絡が取れていません。特殊部隊は龍壬さんの件も含めると四人。本部護衛はさすがにいませんでしたけど。おかしいと思いませんか、戦闘部だけでも約十人の行方不明者が出てるなんて」
女は空いている薙斗の隣の机に移動し、声を潜めながらデータの解説をします。データには、部隊ごとに連絡が取れていない隊員の名前がリスト化されており、その隊員一人ひとりの顔写真と細かい個人情報まで記載されていました。
「他部署は?」
「まだ調査中ですが、開発部も情報部も医療部も連絡が取れていない隊員がいるみたいです」
「現役隊員がこんなに行方不明になるのは確かに妙だな」
毎年、定年した者から数人と現役隊員の中から一人や二人脱走隊員は出るものの、ここまで多い年は今までありませんでした。
「しかも、周辺の隊員の話によると、この行方不明者の中の一人が行方不明になる数日前に次期後継者に対し不満をこぼしていたらしいんです。……もしかして、反輝夜派が集結して共存陰陽隊に反逆を企てているんじゃないでしょうか」
「それか、反輝夜派どもを他主義陰陽隊が引き抜いたか」
薙斗がこう言うと、女は目を見開きました。薙斗と女の脳裏に、二十年前のできごとが過ります。
「そんな、どうしてこんなタイミングよく他主義陰陽隊が動くんですか」
盃の余命宣告に後継者問題、その上突然の妖捕獲令が重なり共存陰陽隊内部が混乱を極めている現状は、外部に情報を漏らすような人間がいない限り、共存陰陽隊内でしか知りえないはずでした。
「お前、わかってて言ってんだろ」
女は答えませんでした。仲間を疑うようなことだけはしたくなかったのです。薙斗はその間、無言でそのデータをメールに添付して時雨に送信していました。
「朱里一士」
「……はっ」
薙斗が女の名を呼ぶと、女――朱里は椅子から立ち上がりぴんと背筋を伸ばしました。
「次の仕事だ。情報部と協力して行方不明者たちを探し出せ」
「はっ!」
朱里が返事をすると、一時間目の終了を知らせる鐘が鳴りました。薙斗はUSBを朱里に返して授業の準備を始めます。
「なにかわかったら、また連絡してくれ」
そう言うと、薙斗はパソコンを閉じて職員室を出て行きました。朱里はその背を見送ると、一気に脱力して自分の席に戻ります。そして、息を吐き出すと共に悪態をつきました。
「ブラック上司」
朱里は薙斗に行方不明者のリスト化の仕事を依頼されてから、ここ三日はまともに眠っていませんでした。
*
いい気分で風呂から上がった琴音は、涼香が用意してくれた着替えが入っている籠に手を突っ込みました。新しい浴衣を用意してくれていたのだとばかり思っていましたが、手に触れた布は、明らかに浴衣の手触りではありません。
「えっ、これって……」
籠から出てきたのは、琴音が好きな洋服屋のワンピースでした。しかも、この間入荷したという新作春物ワンピース。春らしく淡い水色の花柄生地に、レースが施されたいかにも女の子が好みそうなデザインでした。琴音はこれが欲しくて乾と喧嘩をしていたのです。
琴音は戸惑いながらも、早速着てみました。琴音が動くたびに、裾のフリルが揺れます。ワンピースの可愛さに感動していると、脱衣所の扉からノック音が響きました。
「は、はい」
返事をすると、大量に畳まれたタオルを抱えた涼香が中に入ってきました。視界はタオルで遮られていて、とても琴音の方を向ける状態ではありません。
「ゆっくりできたかしら?」
涼香は声だけで琴音を確認し、タオルを棚の中にしまっていきます。
「うん、凄く。露天風呂なんて初めて入った」
「うふふ、よかったわ。後で足の手当てもしましょうね」
「ありがとう。あの、このワンピースってあたしが着てよかったの?」
涼香はその言葉で、ようやく琴音の方へ目を向けました。
「あらあ、琴音ちゃんすっごく似合ってるわよ! やっぱり、わたしの見立てに間違いはなかったわね! あー、可愛い!」
涼香は琴音の姿を見るなり、少女のようにぱあっと笑顔を見せ、普段より数段階高い声音で琴音を褒め立てました。
「涼香が買ってくれたの?」
「見立てたのはわたしだけど、出費したのは時雨よ。琴音ちゃんが来る数日前に、時雨からそこの洋服屋で何着か買っておくように言われてたの」
「どうして――涼香、ちょっとごめん」
琴音は真実が確かめるため、涼香を置いて髪も乾かさずに時雨の部屋に向かいました。
時雨は縁側に腰を下ろし、柱に寄りかかって和装本を読んでいました。琴音の足音に気づいて、時雨は本から顔を上げます。
「おや、よく似合いますね」
「あの、ありがとうございます。でも、どうしてあたしが、この洋服屋の洋服を欲しがってるってこと知ってたんですか」
そんなこと、事前に琴音のことを知っていて、琴音がここに来ることまで把握している人間でなければできないはずでした。琴音は時雨を不安げに見下ろします。
「君が考えていることを当てましょうか」
時雨はぱたんと和装本を閉じ、まるでこれから楽しいゲームを始めるかのような口調でこう言いました。
「君は、僕が乾を陥れたと思っていますね」
琴音は妖捕獲令が発令されたことにより、元師である乾が妖を保護していたことをなんらかの方法で知った時雨が、乾を瀕死状態にして捕獲しようとしたのではないかと思っていました。つまり、時雨の言ったことは図星だったのです。
「そう、なんですか?」
「そうだったら、どうしますか」
琴音は下唇に噛みつきます。ようやく、乾が清才を嫌う理由がわかったような気がしました。清才の子孫の時雨を知っているパパは、きっと先祖代々清才の家系の人間は時雨のような人間だと思い込んでいたに違いない。
琴音は人の反応を見て、愉しそうに微笑みを浮かべている男を見つめました。清才様は、こんな人じゃなかった。もし、清才の姿をしたこの男がパパをあんな目に遭わせたのだったら。そんな男に貰った洋服など、一秒たりとも着ていたくありませんでした。




