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壱
ある男は視ました。
朝日は山中に凛と佇む木造屋敷を照らし、屋敷の人間に朝の訪れを告げていました。しかし、少女が借りている屋敷の一室に、その光が届くことはありませんでした。
男は数年前から少女のことをよく知っていました。よく笑い、よく泣く少女でした。しかし、この時の少女はいつもと様子が変わっていました。真っ暗な部屋の中、布団を膝に掛け、上半身だけを起こして、生きとし生けるもの全てを拒むかのような虚ろな目でただ宙を見据えていたのです。
男はこのような少女を視るのは初めてでした。なにが彼女をそうさせたのか。男はじっと目を見張ります。
「……琴音ちゃん」
と、聞き覚えのある女の声と共に、真っ暗な部屋に日の光が一筋入り込みました。喪服に身を包んだ女は、屈んで少女――琴音の肩に触れて声を掛けます。
「琴音ちゃん、お願いだから少しでも口にしてちょうだい。みんな心配してるわ。一口でいいのよ、お願い」
女はおむすびが乗った皿を持っていました。しかし琴音は少しの反応も見せることなく、宙を眺めることを止めません。
女はそんな琴音を、励ますことはありませんでした。恐らく、励ましの言葉が一つも浮かんでこなかったのでしょう。そんな歯がゆさからか、女は下唇に噛みついて、しばらく琴音のことを見つめていました。
光を失った瞳で、一体彼女はなにを見ているのか。女はその答えを探すかのように琴音の目を見つめていました。しかし、琴音の色素の薄い茶色のガラス玉のような瞳には、女の顔が映るだけです。
女はふと悲し気に目を伏せて、皿を琴音の枕元に置きます。
「ここにご飯、置いておくわね。わたしたちはこれから出掛けるけど、薙斗と静さんは家にいるから」
琴音はやはり無反応でした。息をしているのかさえ心配になるほどの静けさです。
女が琴音の部屋を出ると外には、男にとっては懐かしい顔なじみの軍服姿の四十代後半の男と若紫色の和服に身を包んだ少女が待ち構えていました。
「琴音はどうだ」
「やっぱり、全然反応してくれません」
「……無理もないわ。琴音、あんなに懐いてたんだもの」
そんな会話が襖の向こうから聞こえてくる中、一人の二十代後半の軍服男が、縁側から静かに琴音の部屋へと入り、琴音に近づいていました。
その二十代後半の軍服男は、明らかに未来の自分でした。それも、容姿がほとんど変わっていないことから、そう遠くない未来の自分だということがわかります。
「今は、全てを忘れて眠りなさい」
未来の自分は、琴音の目を隠すようにして手を当ててこう呟きました。すると、琴音はゆっくりと目を閉じ、その身体を布団へと横たえます。
男に視えたのは、ここまででした。近いうちに、琴音と出会う。男はそんな未来に目を背けるように、そっと眼鏡を掛けました。