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 やがて、薙斗の言うとおり道がだんだんと坂道になってきました。更に上り階段まで現れ、さすがに捻った足が痛みだします。が、琴音は足を引きずりながら、なおも無言で上り続けました。


「痛いなら無理すんな。おぶってやる」


 そう言う薙斗に対し、琴音はふんっと顔を背けます。


「くそガキが」


 高校教師とは思えない暴言でした。そもそも騙すという行為そのものが、教師以前に人間が腐っているということの証明だ。琴音の怒りは静まることを知りませんでした。


 長い階段をやっとの思いで上りきると、広い空間に出ました。前方にはまた再び複数の道が広がっています。その道の傍らには、地上へと出る為の梯子が掛かっていました。


梯子の先の天井は、木製のような板が穴を塞いでいます。どうやらこの梯子を上るようでした。


「上れるか」


「……平気です」


 長い階段を上りきった後で、肩で息をしている琴音に対し、同じ距離で同じ段数を上った薙斗は平然としていました。あんまりの疲労で、もはや抵抗する気力も残っていません。


 薙斗は呆れ顔で先に梯子を上り始めました。するすると上って行く様は、猿さながらでした。一番上まで上りきると、木製の蓋を横にずらして中へと入って行きました。


 琴音は薙斗が中に入ったのを確認すると、深く息を吐いて梯子に手を掛けました。足の痛みに耐えながら、足を上げて踏ん張り上って行きます。


なんとか上まで上ると、薙斗が穴から手を出していました。琴音は一瞬戸惑うも、素直に薙斗の手を借りることを選びました。


 薙斗に引き上げられ地上に這い出ると、そこはまた押入れの中でした。しかし、部屋の方からはさっきと違い、線香のような匂いが仄かに香っています。


 薙斗に続いて押入れから四つん這いで出てみると、そこはやはり十畳ほどの和室が広がっていました。が、さっきの部屋とは変って、大量の本や書類、パソコンに着物に座布団などが散乱していて生活感が充満しています。


 薙斗は自分の靴を脱ぐと、琴音に手を出して靴を寄越せと催促しました。琴音は慌てて脱いで自分の靴を薙斗に渡します。


「神主の部屋だ。あの地下ルートだとここが一番近い出口だった」


「神主は留守なの?」


 暗い部屋を見渡すと、外に出られる縁側があります。その向こうには、月明かりに煌めく水面が見えました。庭に池があるところからして、随分と立派な家のようです。


「神主は仕事で今は出てる。こっちだ」


 薙斗に案内されるまま、琴音は神主の部屋を出ました。廊下もやはり電気は付いていませんでしたが、左手の広い中庭から差し込む月明かりで視界は充分確保できました。


目の前には、広くて長い廊下が続いています。ここまでくると驚愕を通り越して呆れてきてしまいます。


「どこの大金持ちのお屋敷よ」


「この家は神主が預かっているらしい。俺もこの家の一部屋を借りて住んでる」


「何人が住んでるの?」


「今は神主と俺だけだ。あとは、家政婦が出入りしてる」


 薙斗はそう言うと、前方に見える電気が点いた部屋を指差しました。どうやらあの部屋に家政婦がいるようです。中庭を左手に歩き続けると、右手には立派な旅館のような玄関が現れました。本来ならあそこから出入りをするのでしょう。


 薙斗は玄関の方へ向かって、自分の靴と琴音の靴を揃えて置きました。その横で、琴音はきょろきょろと玄関の装飾品などを眺めます。靴箱の上の招き猫や、壁に掛けられた見返り美人の日本画が粋な日本家屋の玄関という雰囲気を醸し出していました。


「あそこが客間だ。客間の裏にもう一室ある。――これは二階に続く階段で、階段の裏が洗面所」


 部屋を通り過ぎる度に、薙斗は部屋の説明を細かくしてくれました。電気が点いた部屋の前に着くと、「ここが居間だ」と言って琴音に入るよう促しました。


 居間は、シャンデリアがぶら下がった洋室でした。ふかふかなアンティーク柄の絨毯に、座り心地のよさそうなソファ、その横には高そうな花瓶が飾られています。真っ黒で大きな液晶テレビが、煌びやかな空間の中で浮いていました。


涼香(すずか)


 薙斗が突然後ろから、聞き慣れない名前を呼びました。薙斗の視線を追うと、居間と繋がっている和室で洗濯物を畳んでいる和服姿の女を見つけました。女は薙斗の声に顔を上げると、立ち上がって近づいて来ました。


「お帰りなさい。この子は?」


 (ひわ)色に金の蝶柄の着物を着込んだ女は、少し吊り目で気の強そうな印象を受けました。左目の下に泣きぼくろがあり、和服に加えて妙に色っぽく見えます。これが和服美女というものか。雌である琴音でも、思わず見惚れてしまうような色気がある女でした。


「しばらくうちで預かることになった。俺はあいつに報告してくるから、あとは頼む」


 それだけ言い残すと、薙斗は早々に居間を出て行ってしまいました。会ったばかりの人――しかも美女と二人きりにされ、琴音は変に緊張してしまい、なんと声を掛けたらいいかわからずにいました。


「全く、急なんだから。あなた、お名前は?」


「……あ、琴音です。急に押し掛けてしまって、すみません」


 正確には押し掛けたのではなく、騙されて連れて来られたのだが。しかし、この人は関与していないようなので、一先ず謝ることにしました。誰だって突然よろしく頼むと人の世話を押し付けられたら、いい気はしないはずです。


「琴音ちゃんね。そんなの気にしないでいいのよ。わたしは涼香。この家の家政婦をしてるの、よろしくね。――ところで、お夕食は食べたかしら?」


 この涼香という人も随分不思議な人でした。普通いきなり世話をすることになったなら、もっと焦ったり相手に事情などを聞いたりするものなのではないだろうか。突然の来客に慣れているのか、それとも単に興味がないのか。琴音は不思議に思いながらも会話を続けます。


「メロンパンを一つ食べました」


「メロンパン一つじゃお腹空いちゃうわよ。今、用意するから少しソファにでも座って待っててね」


「そんな、お構いなく」


 琴音が声を掛けるも、涼香は居間から出て行ってしまいました。居間に一人取り残された琴音は、ぶらぶらと居間の縁側に出ます。庭を見ると、こちら側にも池が見えました。さっき神主の部屋から見えた池もそうでしたが、随分といびつな形をしているようです。


まるで、勾玉のような形でした。しかし、敷地内に二つも池を持っているなんて、とんだ大金持ちの家のようです。この家の管理を任されている神主とは、一体どんな人なのだろうか。琴音は池を眺めながら神主に思いを馳せていました。


「うふふ、池が珍しい?」


「わっ、……痛っ」


 涼香は琴音の背後で湯呑が乗った盆を持ち、にっこり笑っていました。全く気配を感じなかったため、驚いて思わず後退してしまいます。その時、捻った足に思いっきり体重を掛けてしまいました。


「あらあら、ごめんなさいね。驚かすつもりはなかったのよ」


 涼香はソファの前の膝丈ほどの机に盆を置いてから、再び琴音の元へ戻ります。


「足、捻ってるのね。気づかなくてごめんなさい。少し見せてもらってもいいかしら」


 薙斗もでしたが、この人たちはどうも人の様子を察知することに長けているようでした。涼香は琴音をソファに座らせ、慣れた手つきで薙斗が巻いた包帯を解きます。


「結構腫れてるわね」


「神社で捻っちゃって」


「まさか、天眼神社からこの足で歩いて来たんじゃないでしょうね」


 琴音は無言で涼香から目を逸らしました。


「全く、薙斗は……。痛かったでしょう。今日は腫れてるから、お風呂はやめておいた方がいいわ。今、湿布を持って来るから」


「ありがとうございます」


 重ね重ね申し訳ない。恐縮しながらソファで待っていると、涼香は直ぐに隣の和室から救急箱を持って戻りました。涼香が救急箱の中を開けると、まず注射器が琴音の目に入ります。こんなもの一般の家庭にあるものなのだろうか。


そんなことを考えている間にも、涼香は手際よく手当てを行っていました。湿布を琴音の足に貼り、包帯をぐるぐると巻いて固定をします。


「はい、おしまい。それじゃ、お夕食用意してくるから、お茶でも飲んで待っててちょうだい。テレビ観ててもいいわよ」


「涼香さんすみません、なにからなにまで」


 救急箱を和室に戻しに行く涼香に向かって声を掛けると、涼香は振り返って微笑を浮かべました。


「涼香って呼んでちょうだい」


 その姿は、玄関の見返り美人画に劣らない美しさでした。


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