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「よし。じゃあ早速聞くが――お前、人間じゃねえな?」
薙斗の問い掛けに、琴音は目を丸くしました。この台詞は、人間以外の存在を認知している者でなければ口にはしません。
そんな琴音の反応を見た薙斗は、
「わかった、答えなくていい」
と、琴音の返事を待たずして立ち上がりました。まずい、と琴音は内心焦っていました。妖の存在を認識しているならば、薙斗が龍壬を追っている奴らの仲間だという可能性も考えられます。琴音は恐怖心を押し込んで、口を開きました。
「人に聞くだけ聞いて、自分のことはなにも教えてくれないの?」
「知らなくていい。ついて来い」
「いや! 妖捕獲令が出てるから、あたしを殺す気なんでしょ!」
琴音が悲鳴に近い声をあげると、薙斗は迷惑そうに表情を歪めました。
「馬鹿か。殺そうと思ってる相手に足の手当てなんかするかよ」
「じゃ、じゃあ、どこに連れてくの?」
「来ればわかる」
「あたし、家族を守るために人を探してるの。だから行けない」
頑なに言うことを聞かない琴音に、薙斗はいよいよ舌打ちをして露骨に面倒そうな顔で琴音を見下ろしました。
「ちっ、いちいち面倒だな。――お前のことを保護するよう、お前の親に頼まれてるんだ。手を煩わせるな」
薙斗の言葉を聞いて、迷わず琴音の頭にはパパの顔が浮かびました。
「パパが? パパは無事なの!?」
「ああ。だから、今は人目のつかない所に身を寄せろ。人探しはそれからでいい」
「……わかった」
琴音はパパが無事であったことに安堵すると、素直に立ち上がりました。そして薙斗は、家の外ではなく押入れの方へ向かって行きました。琴音は若干、雌としての危機感を覚え、遠くからその様子を窺います。
しかし薙斗は上の段に畳んで置かれた布団には手を出さず、下の段の床に手を置きました。すると、一部の床が外れます。
薙斗が布団に手を出さなかったことで、警戒心を解いた琴音は、薙斗の近くへ行って外れた床の底を覗き込みました。見ると、人が一人通れるくらいの穴に金属製の梯子が掛けられており、地下へ降りられるようになっていました。
「地下から行くぞ。手錠外してやるから、先に下りろ」
薙斗は言いながら、琴音の手錠を鍵で外してやりました。そして、押入れに付けられたスイッチを押し、部屋全体の明かりを消します。
代わりに、近くに置かれていた懐中電灯を点けて押入れの中の視界を確保しました。押入れの明かりに照らされた床の底は、思ったよりも浅い場所にありました。
琴音は言われたとおりに梯子に足を掛けて一歩ずつ下りました。ゆっくりと下りきると、コンクリートの壁や天井で覆われた空間へと出ました。前方には階段があり、階段は更に地下へと続いています。
「地下迷路みたい……」
琴音が足を引きずりゆっくり階段を降りると、天井の電灯が反応して先へと導くように点灯しました。明かりに照らされた道は、前方と後方にそれぞれ続いています。どちらの道も距離が長すぎて、とても先までは見とおせませんでした。
「迷うなよ。迷ったら最後、死ぬまで地上には出られないと思え」
琴音に続いて下りてきた薙斗は、わざとらしく脅し掛けました。
「薙斗さんはこの道の先、全部把握してるの?」
「薙斗でいい。把握してなけりゃ通ろうと思わないだろ」
薙斗は「行くぞ」と声を掛けると前方の道を進み始めました。それから道を右へと曲がります。琴音ははぐれないように、くねくねと道を曲がって行く薙斗の横に並んでついて行きました。
「足は痛むか」
意外なことに、薙斗は琴音が捻った足を気遣っているようでした。
「少し痛むけど、平気」
「この先は上り坂がある。きつくなったら言え」
「あ、ありがとう」
思っていた以上に優しい人で、戸惑いを隠せませんでした。その優しさが、清才の面影を思わせます。
「なんだ、人の顔をじろじろと見て」
気づかないうちに、薙斗の顔を凝視してしまっていたようでした。琴音は羞恥から顔を背けます。そして、気を紛らわせるために慌てて話題を探しました。
「べ、別に。あ、ああ、そういえば、あたしの名前まだ言ってなかったよね。あたし、琴音っていうの。薙斗はパパとはどういう関係なの?」
「ただの古い友人だ」
「それならそうと、早く言ってくれたらよかったのに」
「……どうして直ぐに言わなかったと思う?」
突然、薙斗は意味深な質問をしてきました。琴音は、薙斗とのやり取りを思い出します。
「あの神社に誰かいた?」
「いいや、俺たち二人だけだった」
なら、罪人扱いのパパと薙斗が繋がっていることを誰かに聞かれていた恐れはありません。唸りながら頭を働かせて考えてみるも、答えは出ませんでした。そこで、薙斗はぽつりと呟くようにこう言います。
「嘘だからだ」
「へ?」
「だから、お前の親が無事だということも古い友人だということも全て嘘だからだ」
琴音は思わず立ち止まりました。その立ち止まった琴音を、薙斗はまた面倒くさそうに振り返り見ます。
「嘘? だって、パパが薙斗に頼んだんでしょ?」
「いいや、お前を保護しろと言ったのは、あの神社の神主だ。お前の言うパパが誰なのかも知らん。ああでも言わねえと、お前はついて来なかっただろう」
薙斗は自分について来させるため、咄嗟に琴音が気に掛けている家族の存在を借りて嘘をついたのでした。……騙された。受け入れ難い事実を知ると、琴音の中に怒りが沸々と込み上げてきました。
「嘘つき! この外道! 下衆! パパが本当に無事だと思ったのに! こんなの酷すぎる!」
「平和ボケした奴ほど騙しやすいもんはねえな。ほら、さっさと行くぞ」
「あんたと一緒になんか行くか!」
そう言い捨てると、琴音は元来た道を戻ろうと後ろを振り返ります。が、道は蟻の巣のようにいくつにも分かれていました。自分が今どの道からここにやってきたのかさえわかりません。
「帰り方、わかるのか?」
後ろ飛んできた薙斗の呆れたような声が、背後から琴音の心を突き刺しました。
「言ったよな。迷ったら最後、死ぬまで地上には出られないと思え、と。この地下通路は何キロメートルにも渡って続いている。中には死に至る罠も仕掛けてある。それでも一人で行くなら止めやしないが、人探しはいいのか?」
「……んぬううううう!」
追い討ちを掛けてくる薙斗の言葉に、琴音は地団駄踏んで耐えました。そして、薙斗に詰め寄り、睨み殺す勢いで見上げます。
「地上についたら覚えてなさいよ。あんたに頼んだ神主ごと呪ってやる」
「わかったから、行くぞ。朝から働き詰めてこっちは疲れてんだ」
「くぅ……いつか憑き殺してやる」
それから二人はしばらく無言で歩き続けました。琴音にとって無言がせめてもの抵抗だったのです。




