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未読の遺書

終 未読の遺書


 これを誰かが読んでいる時、私はもうこの世にはいないでしょう。私の身体は病魔に蝕まれてしまいました。死を間近にした今、私はこの手が動く内に過去のことを書き記したいと思います。


この書が後世に渡り、多くの私の子孫の目に触れ、そしていつか、この書の存在意義が無くなることを心から願って。



 ある年の七月下旬、私は京の都から少し離れた山奥で彼女と出会いました。その山奥では狸が化けて人を脅かすという噂があり、私は村人からの依頼を受け妖退治屋の棟梁としてその山奥へと出掛けたのです。


 獣道を弟子と二人でしばらく歩くと、確かに妖の気配がしてきます。その気配は、ちょうど近くの小高い崖の下にある茂みからしていました。近づいてみるも、気配は茂みから一向に出て来ようとはしません。


私たちを狙っていることは確かなのですが、「どうしましょう」とか「でも、やらなければやられてしまう」など、ぶつぶつと少女の小声が聞こえてくるばかりで、向こうからの動きはありませんでした。


「そこにおるのは誰ぞ」


 と、弟子が威圧的に声を掛けると、その小声は途端に消えました。私は姿を捕えるべく茂みを掻き分けました。掻き分けた茂みからは、なんと狸の耳と尻尾を生やした娘が現れました。彼女は怯えた表情で私を見上げ、身体を恐怖で震わせていました。


「ど、どうかお命だけは」


 彼女は消え入りそうな声でそう言い、大粒の涙を流していました。よく見ると、彼女は所々に擦り傷を作っており、着物も土と枯葉にまみれてぼろぼろになっていました。足首の擦り傷からは赤い血が滲んでいます。


どうやら崖から落ちたようでした。彼女の足首の傷から滲み出る血を見た弟子は、穢れを恐れて彼女を遠巻きから眺めるばかりです。


私は彼女の怪我の手当をしてやりました。その行為は憐憫からではなく、単に村人を脅かしているという化け狸の情報を得るという己の利のためでした。


 彼女は恐怖からか、様々なことを喋りました。化け狸であるにも関わらず、風狸の能力が操ることができるが故に化け狸の仲間から差別を受けていることや、怪我はその仲間から負わされたこと、そして、村人を脅かしているのはその仲間であること。


私はそれを聞いた時、心の内で彼女を疑っていました。あの頃の私は、そういう人間だったのです。


 彼女と別れた後、私は弟子に命じて木の幹に妖避けの護符を貼らせました。これで、もう二度と彼女と出会うことはないだろうと思いました。しかし三日後、再び弟子と共に護符の様子を見に行くと、辛うじて人の姿を保っている彼女と再会しました。


彼女は以前よりも酷い怪我をして倒れていたのです。息は今にも止まりそうなほどか細く、このまま見捨てれば彼女が死ぬことは簡単に想像することができました。妖であろうと、自分の目の前で死なれるのは気分がいいものではありません。


喪に服すのも面倒だった私は、彼女を家に連れ帰ってまた手当をしてやりました。


 それから数週間後、彼女は見違えるほど元気になりました。そして、彼女は怪我の手当をした私を少しも疑うことなく敬いました。


私への密告により怪我を負わされた彼女は、仲間も帰る場所も失ったと言うので、ちょうど女房を探していた私はその化け狸を「琴音」と名付けて家に置くことにしました。


 その事実を知った弟子たちが猛反対し、父の代から家に仕えていた弟子のほとんどが去って行ったことは、今更書くまでもないことでしょう。しかし、どんなに人が離れようと、侘しさは微塵も感じませんでした。


必要以上に心を病んでいたのは、むしろ琴音の方だったのです。琴音は去っていく弟子たちを見ると、泣きながら何度も私に詫びていました。


 琴音の雰囲気は、平家へと嫁いだ私の姉によく似ていました。よく笑い、よく泣き、よく私の世話を焼く。そして、彼女が時々奏でる琴の音は、姉と同じように清らかでした。


私はいつの間にか、琴音を信頼しきっていたのです。姉に似ていたからという理由だけではありません。琴音の真冬の雪を溶かす陽射しのような暖かな笑顔は、私にとって唯一の救いだったのです。


 私は父から受け継いだ妖退治の仕事に対し、疑念を抱くようになりました。琴音と出会い、妖への見方が変わったのです。気づけば残った弟子は少人数でしたが、いずれも私を心から慕う者ばかりでした。


私は師として、個人的な考えでこの者たちを路頭に迷わせるわけにはいきませんでした。しかし、妖を目の敵にして退治をすることも好みませんでした。そこで、以前より嗜んでいた占いを生業として貴族に顔を売りつつ、人間と妖の共存を目指しました。


つまり、人間に危害を与える妖のみを退治することとしたのです。琴音はそんな私に付き従いながら、人間と妖が共存する世界を心から願い、私のために尽力してくれました 。


 本当のことを言えば、私は私を慕う弟子がいなければ妖退治屋など辞めるつもりでいました。私はこの世の中を、本気で変えようなどという大そうなことは考えていなかったのです。


死の淵に立たされている今でも、その考えは変わりません。流れゆく歴史の中で、いつの頃からか人間には妖に対する恨みが生まれ、同じように妖にも人間に対する恨みが生まれたのです。


それを一つずつ拭うことなど、私にできるでしょうか。いいえ、そんなことはできるはずがありません。


 私はただ、世の片隅で人知れず琴音と二人で生きたかったのです。しかし、その想いを最期まで琴音に伝えることはできませんでした。今考えれば、もっと早く打ち明けて伝えておくべきだったのでしょう。


けれど彼女は、それを聞くことなく私の元から離れて行ってしまった。妖が転生することは事実ですが、恐らくもう生きているうちに琴音に会うことは叶わないでしょう。


 外では長雨が絶え間なく降り続いています。彼女と共に過ごした地から遠く離れたこの地で、私は間もなく息絶えるのです。



 もの思ふ 袖の色なる 紅葉かな 時雨はなにの 涙なるらむ

(私の涙が袖を濡らして紅葉のように赤くしてしまったが、時雨はなんの涙なのだろうか)



 今一度、この書を読むあなたにどうか願います。もし琴音と出会うことがあれば、彼女を止めてください。彼女を人間の戦いに巻き込んではなりません。


私には琴音を救うことはできませんでした。ですから、きっと私の代わりに彼女を救ってください。それだけが、私のこの世にただ一つ残す憂いなのです。


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