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乾と静が去った二日後、夕方から輝夜の即位式が本部で行われることとなりました。しかし、輝夜の即位をよく思わない隊員が未だ多く存在するため、妨害を懸念し出席者は幹部のみと定められました。
そのため、面倒事は補佐に任せている主戦力部隊総隊長の時雨も、今回ばかりは一人で行かなくてはなりませんでした。
即位式は豪華な洋間で予定どおりつつがなく行われ、やがて懇親会ということで会食を摂ることとなりました。しかし、会食が行われる広間へ移動し、時雨が用意された席に座ると、向かいの席からは懇親会には相応しくない殺気が伝わってきます。
向かいの席に座っているのは、特殊部隊総隊長の乾でした。時雨は隣に座る医療部病院勤務長の氷月に、笑顔を崩さず小声で声を掛けます。
「席、変わってもらえませんか」
「断ります」
「この席に悪意しか感じないのですが」
「あの化け狸を乾から奪ったのはお前でしょう。自業自得です」
「そういう冷たいことばかり言っているから、涼香に見向きもされないんで……痛っ。テーブルの下で僕の足蹴飛ばさないでください」
「……ところで、輝夜様の隣に座っている本部護衛総隊長も先ほどからお前を睨んでいるようですが」
と、殺気に紛れて伝わる視線に対して氷月が指摘します。時雨は自分の目の前に置かれるオードブルに視線を向けたまま肩を竦めました。
「うちの補佐が本部護衛二人を病院送りにしたのが気に食わないんでしょう」
「ああ、この間本部に近い病棟に本部護衛が二名運ばれたと聞きました。お前の補佐でしたか」
「君の義理の弟を助けるために奮闘する化け狸に感化されての行いです」
氷月は「君の義理の弟」という言葉をわざわざ強調された台詞に、これまで一切変化させなかった表情を引きつらせました。どうやら苦笑しているつもりのようです。
「私を責めているようですね」
「まさか。彼の死に対して、本当になにも感じていないのかと思っただけですよ」
妹の桜月の死から龍壬とは顔を合わせていなかった氷月は、今更義兄ぶるつもりはありませんでした。氷月はあの日、龍壬と義兄弟の縁を切ったのです。しかしそれは、妹を守れなかった夫に対する憎しみからではありませんでした。
桜月の後を追って死のうとするまで病んでしまった義弟に自分が会えば、その度に桜月のことを思い出させてしまうと思ったのです。人づてに、龍壬が乾の補佐として尽力していることを知った時、氷月は龍壬が新しい人生を見つけたことに心から安心しました。
龍壬が選んだ道を、過去の人間がとやかく言うものではない。氷月はそんな想いから、龍壬とますます距離を置くようになりました。氷月の決心は、今回の事件でも揺らぐことはありませんでした。
龍壬の死に対し、なにも感じていないわけではありませんでしたが、龍壬はやるべきことをやりきって死んだ。それだけでした。
しかし、本当のところ、氷月の心の底には本末転倒という言葉がこびりついていました。義弟を想い会わないことを決めたはずだったのに、結局その決意のせいで義弟を救うことすらできなかったのです。
義弟が今更自分に救いを求めることなどないとはわかっていながら、彼のために義兄としてやってやれることがあったのではないかという後悔が混沌と渦巻いていました。
時雨は、それを見抜いていながらあえて問いただしたのです。氷月もそれに気づいていたため、意地でも弱みを見せるものかと顔を逸らしていつもの冷たい口調でこう言い放ちます。
「守るべきものを守って死んだ彼に対して、なにも言うつもりはありません」
「相変わらず、食えない男ですね」
「お前にだけは言われたくありません」
そう、これでいい。すべて、彼も私も自分で決めたことだ。氷月は後悔の念を押し殺すため、心内で自分に言い聞かせるのでした。
そうこうしているうちに料理が全員に行き渡ると、本日の主役である輝夜は愛らしい笑みを浮かべて席から立ち上がりました。その後ろには、やはり執事のように深影が控えています。
「それではみなさん、以後よしなに。共存陰陽隊の新しい時代に、乾杯」
『乾杯』
こうして表向きには和やかに会食は進み、最後に輝夜の言葉で締めくくられると、幹部たちは一足先に退出した輝夜の後、ぞろぞろと退室して行きました。時雨は同じように退室をしてから、一人で幹部たちとは別の方向へ歩みを進めます。
「おい」
と、後ろから自分を呼び止める声に、時雨は心の中でうんざりしながら振り返りました。
「あまり暇ではないので手短に願いますよ、元師匠殿」
そこには、会食中向かいから、終始殺気を放っていた乾が立っていました。乾は今にも睨み殺すような形相でずんずんと時雨に近づき、やはり時雨の胸倉を掴み上げました。そして、ドスの利いた声でこう言い放ちます。
「琴音を少しでも不幸にしてみろ。俺がお前を殺すからな」
「……いいでしょう。肝に銘じておきます」
時雨の真っ直ぐな目を見た乾は、時雨の胸倉から手を離しました。
「それから、俺がお前にこう言ったこと、琴音には教えるんじゃねえぞ」
「はいはい」
どうやら、どこまでも親面をしたいらしい。時雨は去り際に舌打ちをする乾を内心呆れながら見送り、再び歩を進めました。




