13
「パパ」
琴音はそんな乾に明るい口調で声を掛けました。今にも張り裂けそうなくらい痛む胸を押さえ、笑顔を浮かべます。
「パパ、昔あたしに言ったよね。パパの名前を他人に話したら親子の縁を切るって」
乾は顔をあげて琴音の方を向きました。その顔は、情けないくらい涙でぐしゃぐしゃです。
「あたし、他人の時雨さんにパパの名前教えちゃったの。だから……あたしと、親子の縁を切ってください」
琴音は龍壬の棺の前でしたように、乾の前で深く頭を下げました。
それからしばらく、重い沈黙が続きました。一分ほど、琴音はそのまま頭を下げ続けていました。誰もなにも発さず、頭を下げる琴音と、放心状態となった乾を交互に見つめます。
延々と続くかと思われたそんな沈黙を破ったのは、乾が立ち上がる音でした。そして、去り際に頭を下げ続ける琴音にこう言いました。
「……勝手にしろ」
乾はそのまま部屋を出て行き、やがて屋敷まで出て行ってしまいました。琴音は慌てて、乾の後を追います。裸足で玄関を出ると、宵闇の中、足早に去り行く乾の背中が見えました。
「パパ!」
声を掛けても、乾が振り返ることはありません。乾はずんずんと一人で歩んで行ってしまいます。
「琴音、わたしはパパについて行くわ」
静は草履を履きながらこう言いました。
「あんたには時雨も薙斗さんも涼香さんもいる。きっと、あんたの力になってくれるから……しっかりやんなさい」
「ありがとう。パパを、お願いします」
琴音は静の前でまた頭を下げました。静は琴音の頭を小さな手の平で撫でると、走って乾を追いかけました。やがて小さな影は大きな影に追いつくと、手を握って一緒に歩いて行きます。
琴音はその姿を見て、乾と初めて出会った日、乾と手を繋いで歩いたことを思い出しました。
――これから、どこへ行くのですか?
――俺の家だ。
――迷惑ではございませんか?
――迷惑? うちには座敷童子がいるんだぜ。妖が一人増えようと、困りゃしねえよ。大丈夫だ、お前のことは俺が守ってやる。
パパの手は大きくて、いつだって太陽のように温かかった。パパがいてくれたら、怖いことなんてなにもないと思っていた。そのパパが、暗闇に紛れて小さくなっていく。琴音は、大きく息を吸いました。
「今まで、本当に、ありがとうございましたあああああ!」
琴音の泣き叫ぶ声は、乾と一緒に暗闇に紛れて消えました。
どこかで龍壬に見られているような気がしました。風が吹き、桜の花びらが琴音を励ますように乱舞します。
「琴ちゃん」
振り返ると、時雨が近くに立っていました。その後ろに涼香と薙斗もいます。
「風邪を引きますよ」
そう言って、時雨は琴音に手の平を差し出します。琴音は、涙を拭ってその手を取りました。
「うん」
時雨の手は、乾のように大きくて温かでした。




