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 重い足取りで居間へ行くと、乾は時雨と会話をしていました。この屋敷に身を置いてから、初めのうちは思う所があるのか乾が一方的に時雨を避けているように見えたものの、今となってはこのように世間話をするまでになっていました。


十年以上離れていても、時雨の結界の鍵となる札を机の中に保管し続けていた乾は、なんだかんだずっと時雨を心配していたのでしょう。


 元師弟同士の会話を邪魔しちゃ悪い。琴音はそっとその場から去ろうと二人に背を向けました。が、


「おや、お父さんに用事ですか」


 琴音は後ろの襟首を掴まれるように、時雨から容赦なく引き止められました。観念して、二人の方を振り返ります。


「僕はしばらく席を外しましょう」


「ここにいていいですよ!」


 むしろ、いてください。しかし、そんな願いも虚しく打ち砕かれてしまいます。


「いや、お前と二人で話がしたいんだ。だから、静にも席を外してもらった」


 時雨は苦笑を浮かべると、琴音の頭を軽く撫でて居間から出て行きました。時雨が居間の扉を開けた瞬間、少しだけ薙斗と涼香と静の姿が見えました。


「さて、琴音。話しというのは、これからのことだが」


 扉が閉められ二人きりになった途端、乾は声を低くして突然こう切り出しました。


「ちょ、ちょっと待って、まだ……」


 心の準備ができてない。琴音は胸を押さえて、乾の向かいのソファに座ります。


「わかってる。龍壬が死んでまだそれほど経ってねえのに、これからのことなんか考えられねえんだろうが、一刻を争うんだ。――琴音、単刀直入に言う。隠世(かくりよ)に帰れ」


 乾は琴音を睨むように見つめました。その目は、明らかに拒否権はないと訴えています。


「……勘違いするなよ。お前が嫌いになったわけじゃない。少しでも戦力を必要としている陰陽隊は、必ずお前や静を狙ってくる。お前が帰った後、静もいずれ帰すつもりだ。だが、あいつは頑固だからな。まずはお前が帰れば、静も後を追う気になるかも知れん。それまでは、辛いだろうがどこか身寄りを頼ってくれないか」


「やだ」


「琴音、わかってくれ。俺は、お前や静を龍壬のように失うことが一番怖えんだよ」


 乾の膝上で組まれた手は、微かに震えていました。しかし、ここで引き下がるわけにはいきません。


「パパ、あたし、龍壬さんと約束したの」


 琴音は、少し息をついて、ぐっと拳に力を入れました。


「どんなに辛い決断であったとしても、自分の道は、自分で決める。だからあたし、決断したよ。――今日、共存主義陰陽隊に入隊したから」


 琴音の言葉を聞いた乾は、大きく目を見開きました。しかし、それからなにも言うことはなく、怒りを爆発させるようなことはありませんでした。ただ、無言でも怒りに震えているのは一目瞭然で、琴音は初めて乾の怒りの頂点を見た気がしました。


人は、本当に怒ると無言になる。怒鳴られるより恐ろしいと感じました。


 少しすると、乾はすっと無言で立ち上がり、居間から出て行きました。居間の扉を開けると、廊下の壁にへばりついている薙斗と涼香と静がいます。乾はそんな三人など眼中にないらしく、風を切ってどこかへ行ってしまいました。


琴音はみんなと慌てて後を追います。乾は時雨の部屋に向かっていたのです。


 時雨の部屋の前に着くなり、乾は襖を吹っ飛ばす勢いで開き、本を読んでいた時雨に殴り掛かりました。急なことで、叫びも悲鳴も上げる暇などありませんでした。しかし、時雨はひらりと乾の拳を避け、忌々しげな視線を乾に向けます。


「あなたは僕に喧嘩を売るのが趣味なんですか」


「……謀ったな。俺がいない間を狙って、本部の人間を呼びつけ無理やり入隊させたんだろう」


「違うの、パパ! 入隊はあたしが自分で……」


「お前は黙ってろ!」


 乾は後ろを振り返ることなく、時雨に掴み掛かりました。琴音は咄嗟に静に視線を向けます。静は視線に気づくと首を縦に振り、乾に手の平を向けました。静の運を操る力は、家の中でこそさらに力を増して発揮されます。これで乾が発作を起こすことはありません。


「お前は所詮、死ぬまで盃の犬だな。あいつの思惑どおり龍壬を消し、今度は琴音を奪う気か。これで、満足か? 俺から家族を奪えて、満足かよ!?」


 乾は泣いていました。歯を噛みしめて、仇のように時雨を睨みつけていました。しかし、そんな乾を見ても、時雨はなんの反応も示しませんでした。言い返しもせず、ただ無表情で黙って乾を見つめています。


「返してくれ、頼むから。……俺から、これ以上家族を奪わないでくれ!」


 乾は最後にそう叫ぶと、力なく時雨に縋りつくようにして膝をつきました。


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