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「琴音ちゃん……!」


 横から、黒地の和装姿の涼香に声を掛けられました。しかし、琴音の足が止まることはありません。琴音は涙を拭いながら時雨から離れ、一人で棺の前まで行き、見慣れない女の隣に立って、龍壬の死に顔を覗き込みました。


 今にも、起き出しそうなほど安らかな表情でした。たくさんの花に囲まれて、花畑で昼寝でもしているような顔です。


「龍壬、さん」


 震える声で名前を呼んでも、龍壬は目覚めません。きちんと、お礼を言わなくちゃ。お礼を言って、お別れも言わなくちゃいけないのに。心ではわかっていても、出てくるのは言葉ではなく、涙ばかりでした。


「あなたが、琴音さん?」


 ふと、隣に立つ中年の女がぽつりと呟くようにこう問い掛けました。顔を見ると、泣き腫らした目が琴音を捉えていました。髪が少し乱れていて、悲壮感が漂っています。


「わかるわ。あなた、妖ね。妖気を感じるもの」


 女は琴音に向き直ると一歩近づき、琴音の肩を掴みました。その力は、驚くほど強く、痛みに思わず顔を歪めます。


「おい、よすんだ」


 すかさず、女と並んで棺の前にいた中年男が止めに入ります。しかし、女は男の手を振りほどき、再び琴音の肩を掴みました。そして、ゆっくりと台詞を口にします。


「あなたが龍壬を殺したのよ」


 その台詞は、琴音の心臓を鷲掴みにしました。呼吸が上手くできなくなり、汗が滝のように噴き出てきます。


「この人殺し……! 龍壬を返して! 息子を返してよ!」


 女は叫び声をあげながら涙を流し、琴音の肩を乱暴に揺さぶりました。


「やめないか!」


 男は女を取り押さえるも、女は尚も暴れていました。琴音は足に力が入らなくなり、床に膝をつきます。そして、呆然と女が暴れる姿を見つめました。


「琴音、大丈夫か!?」


 乾は琴音の肩に手を置いて、顔を覗き込みます。


「妖なんてこの世にいなければ――そうすればこんな組織もいらなかった! 龍壬が死ぬこともなかったのよ! 全部! 全部あいつのせいだ! 陰陽隊なんて、全部なくなってしまえ!」


 女の叫び声は、葬儀場中に響き渡りました。その声は、銃声よりも鋭く琴音の耳を劈きます。しかしやがて、鈍い音がしたかと思うと、その声は急に止まりました。鈍い音は、時雨が女の腹部を殴った音でした。女は、ぐったりとしてその場に倒れ込みます。


「手荒な真似をして申し訳ありませんが、隊員としての発言の域を超えています。これ以上の発言は処罰されかねませんので」


「いいえ、助かりました。お手間をわずらわせてしまい申し訳ありません。……妻は昔から感情的な人間でして、こうなると私も手が付けられないのです。――龍壬も、こんな私達に嫌気がさしていたのでしょう。あの子は、中学を卒業して直ぐに家を出て行きました」


 琴音はこの時、龍壬の両親の存在を初めて知りました。龍壬の昔のことを全く知らなかったのです。聞く機会はいくらでもあったのに、知ろうともしませんでした。


「……んなさい」


 その挙句、琴音は家族を盾にしていました。周りから守られてばかりで、それに気づくことさえできませんでした。


「……ごめんなさい」


 ――あたしは、人殺しだ。あたしさえいなければ、龍壬さんはきっとまだ生きていられた。あたしさえ、いなければ。


「琴音さん、でしたか」


 男は琴音の目の前にいました。歪む視界に入った男の笑顔は、龍壬によく似ていました。


「龍壬は死ぬ間際、どんなことを言っていましたか」


 息子の最期に立ち会えなかった本当の家族に、きちんと伝えなければならない。琴音はそう思い、龍壬が死ぬ間際に話したことを思い出します。


「龍壬さんは……あたしに、これからは自分自身で道を選択するようにと。そう、言い遺しました」


「それから?」


 ――琴音、静……お前たちは……俺の、かけがえのない……家族だ。お前たちの、おかげで……俺は幸せ、だった。


「……あたしや、静に出会えて、幸せだったと」


 琴音は、嗚咽を堪えてこれだけ口にするのがやっとでした。男は、しわくちゃな顔を更にしわくちゃにして微笑み、琴音の頭を撫でます。


「ありがとう。あなたたちのおかげで、あの子は幸せだったのですね。それが聞けて、本当に良かった。ありがとう」


 男は、笑いながら泣いていました。出て行った息子が物言わぬ遺体となって帰って来た時、この二人はどのような想いで迎えたのでしょう。息子のためになにもできなかった自分たちを、どれほど呪ったことでしょう。


琴音を責め立てた女も、琴音に礼を述べた男も、二人は間違いなく龍壬の両親なのでした。


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