ACT2:魔法とネギの優位性
「クラウー?入るよー」
一応声をかけてドアのあたりをすり抜けると、目の前にいきなり上裸があった。
日に焼けた背中はギリシャの石像もかくやというような筋肉を備え、見事な逆三角形を描いていて――
「おー、ミコか。悪ぃ、ちょっとここ押さえてくれ」
その上の真っ赤な球体――後頭部がくるりと振り向いた。
クラウ・メトフォード、二十二歳。昨年ユーハが塗り替えるまで、歴代最年少筆頭騎士の記録を保持していた男だ。
ジャパニーズマンガ的鉄板設定を何故かばっちり踏襲しており、ツリ目赤髪が示す通りの熱血系戦闘馬鹿である。少年誌的主人公属性もあるのか、二枚目と三枚目を行ったり来たりするヤンチャなキャラでありながら――いや、あるが故になのか、ともかくやたらと男にモテる。私の脳内掛け算大会ではかなりの確率で殊勲賞を受賞している、貴重な観察対象だ。
それはさておき、少なくとも見た目は身の丈八尺の美丈夫、しかも上裸に頼まれたのを断っては腐女子が廃る。たくましくも決してつきすぎてはいない筋肉美に鼻血を出しそうになるのを堪えつつ、私は素早く荷物を置いて、クラウの指し示す箇所――右の二の腕あたりに巻きつけた包帯の端を押さえた。
「……よし、出来た。ありがとな」
私の邪心に気付くことなく包帯を固定し終えると、クラウはニカッと笑って私の頭をくしゃくしゃと撫でる。嗚呼、大胸筋が眩しい。
しかしコイツ、私が丁度現れなかったら、一人で巻けない包帯をどうする気だったのだろうか?
「怪我したの?大丈夫?」
まぁいい、どうせなら感触も楽しもうと、包帯の辺りを気にする振りをして二の腕の筋肉をぺたぺた触る。使っている時はカッチコチに硬くなるにも拘らず、力を抜いているときには至上の手触りを実現するこの筋肉の柔らかさ。これこそ男体の神秘だと思う。
――と、巻かれた包帯の下から、何か植物のようなものがはみ出しているのが見えた。薬草か何かだろうか。
「昨日な。軽い打ち身だから大したこと無ぇけど、今日動かしたら気になってさ。カーネルもフォックスも今日出てるし」
説明しよう。
この世界で治癒魔法が使える人間は貴重だ。本来であれば訓練中の怪我は騎士団付属の魔術師部隊にいる治癒術師が治療するのだが、彼らはどうもプライドが高く、あまり騎士団の人間とは親しくないらしい。騎士達から見ると、大したことのない怪我で一々治癒を頼むのも色々と面倒な相手なのだ。
そこで騎士達は大抵、便利屋扱いのカーネル参謀か、参謀補佐のフォックスに頼むという選択肢を取る。もっと言うと、その二人が今日のように所用で外出していたとしても――
「ユーハに頼めば良かったのに」
そう、希代のイケメン筆頭騎士・ユーハも治癒魔法が使える数少ない一人だ。
筆頭騎士の座を奪い合った経緯のせいで、外野から穿った見方をされがちな二人だが、実際には別に仲は悪くない。かなり仲が良いと言ってもいいと思うのだが、イマイチそう見えないのは、単にユーハが誰にでも気を使いすぎているせいだと思う。
誰とでも上手くやっているようでいて一線を引いているユーハ、気付いたら昨日殴りあっていた相手とマブダチになっているクラウ――この対照的な二人がそこそこ仲が良いというのは、脳内掛け算的には大変美味しい。是非今後も友情を深めていってもらいたいものだ。
「いや、これやったのがユーハなんだよ。あいつに言ったら又妙な気を使わせるだろ」
「あれ?昨日の模擬試合、ユーハとクラウだったんだ」
「そーそー。何だ、聞いてなかったのか?」
クラウがどっかりと床にあぐらをかき、私の持って来た荷物へと目を向ける。タワー上に積み上げられた、それぞれカラフルなラッピングの大小五つの箱は、ユーハから預かってきたお裾分けだ。
説明しよう。
ユーハはファンからもらう各種プレゼントの処理を兼ねて、しばしば他の騎士にお裾分けをする。模擬試合の後は特に大量になりがちなそれらを、各騎士の部屋にお届けするのは、ちょくちょくユーハの部屋に出入りしている私の役目だ。貰う方も慣れっこになって来ており、『クッキー多めで』とか『今日は夜遅いから適当に置いておいて』とかいった注文も最近は増えている。
つまりクラウの質問は、『私が昨日から今日までの間にユーハの部屋に行き、話をしたであろうにも拘らず、模擬試合の話を聞かなかったのか?』という意味だ。
「うん、聞かなかった。あ、コレいつものね。焼き菓子系だけ選んできたから」
ここは正直どうでもいいが、念のため説明しよう。
クラウはあまり甘いものは得意ではないようだが、マドレーヌとかパウンドケーキとかいった腹に溜まる系の焼き菓子なら喜んで受け取る。「腹が減っては戦はできねぇからな!」というのが本人の弁だが、単に年中腹を減らしているだけだろう。食堂はお代わりも可能だが、在庫は常に有限である。『クラウさんに好きなだけ食べさせていたら、騎士団自体が潰れてしまいますよ』というのが経理も司る参謀補佐・フォックスの言だ。
「おう、サンキュ。……で、まぁ結果から言うと、辛うじて俺が勝った」
「嘘!?じゃあ筆頭騎士の座、奪還?」
「馬鹿言え。魔法系全部禁止の単純に剣だけの勝負で、それもギリギリ勝っただけだからな。元々俺の魔法なんざクソみてぇなモンだし、先は長ぇよ」
思わず叫んでしまった私に、クラウが淡々と、馬鹿に似合わぬ辛めの評価を述べる。とはいえ、どこか口元が緩んで見えるのは、それほど嬉しかったのだろう。
「アイツの魔法はマジで洒落になんねぇからな。四属性どころか六属性持ち、しかも得意も苦手もねぇだろ?ナシナシルールだったら指一本で楽勝、ぐらいまで持ってかねぇと、正直手も足もでねぇ」
「あれ?多分だけど、ユーハは火が得意って言ってた気がするけど…」
「――はぁぁぁぁ!?」
何気なく口を挟むと、クラウが突如立ち上がって絶叫する。急いでネコ耳を伏せたつもりだったが、間に合わなかった。
「ちょ、クラウ……耳が痛い……」
「ミコ、マジなのか!?ユーハが自分で火が得意だって、そう言ってたのかよ!?」
クラウが私の肩を掴み、前後にガクガク揺さぶり始める。耳のダメージから回復し切れていない今、これは結構、いやかなりキツい。あと、そろそろ何か着て欲しい。
「ほ、ホントだってば……確か、火と氷と両方得意だけど、一番は火だって。地と闇はあんまり相性良くないから、妨害系は苦手、とか……」
「…………。」
私が息も絶え絶えに喋ると、クラウの顔から表情が抜け落ち、私を開放してへたりと床に座り込んだ。そのままブツブツと呟き始める。
「……そうか、そうだよな……何かおかしいと思ってたんだ……くそっ」
「火と氷……火と氷……ありえねーだろ、いやでもそうか、そうだとすれば……」
「苦手を攻めるなら地と闇……いや無理だ、なら光と風…もっと無理だろ、俺大体火ぐらいしかマトモに……」
「…バケモノかアイツ、マジか……ありえねぇ、もう筋肉か、筋肉しかねぇか!」
「そうだ、俺にあってアイツにねぇもんはそれしかねぇ!筋肉だ!!よっしゃぁぁっ!!」
しばらく見守っていると、結論に達したらしいクラウは猛然とその場で腕立て伏せを始めた。これこそ所謂一つの脳筋という奴だろう。
しかしそれを今指摘するべきではなさそうだ。私はまだ痛む耳を押さえつつ、恐ろしいまでの速さで繰り返されるクラウの腕立て伏せを黙ってカウントすることにした。
勿論、躍動する筋肉美の観察が主目的である。
* * *
クラウが正気を取り戻したのは、実に腕立て・腹筋・背筋それぞれ二百回のセットを三回ほど終えた頃だった。
ちなみに当然のようにその間、ずっと上裸である。流石の私も筋肉鑑賞に飽きており、もうワンセットやると言われたらうっかり寝てしまうところだった。
「――で、そんなに取り乱すような話だったの?ユーハの魔法って」
気が済んだらしく、やたらと爽やかに汗を拭ってシャツを着ているクラウに聞いてみると、クラウは妙に吹っ切れたような顔で床にどっかりと胡坐をかいた。
「そうか、お前何も知らねーつってたな。……つーか、お前が魔法周りの話を知らねぇ事自体が意味分かんねぇんだけど」
「?」
「まぁいいや、俺が言うのは超適当だからな、詳しくはちゃんとユーハか便利屋あたりにでも聞けよ。まず――」
クラウの説明をまとめると、こうだ。
この世界での魔法はざっくり言うと六つ、いや正確には七つの属性に分けられる。
ゲームなんかでお馴染みの地・氷・火・風を四属性、光と闇を加えて六属性と呼ぶらしい。その他に別枠扱いで、時空間系統がある。
ちなみに水は氷に分類されていて、雷は時空間に当たるそうだ。イマイチ釈然としないが、そういうものなのだろう。
で、六属性には属性同士の相性があると同時に、個人によって属性の得意・苦手がある。火と氷、地と風、光と闇はそれぞれ反対の性質を持つので、普通は火が得意だと氷が苦手とか、光が得意だと闇が苦手という風になるものらしい。
「――ってことは、ユーハが火と氷の両方得意っていうのが変だというわけだ」
「まぁ全くないってわけでもないが、そういう奴はぶっちゃけ小物っつーか、どっちも大したことねぇのが普通なんだよ。ユーハの魔法のぶっ放し方だとそういうレベルじゃ収まらねぇし、思いつきもしなかったが……でも、そうだって聞けば色々納得できる。お前、ユーハがマジで魔法使って戦ってる所、見た事あるか?」
「ないない」
「だよな。ありゃ凄いぜ。まず周りに広範囲のいかつい氷魔法ぶっ放して、戦闘領域を氷付けにしておいてから始めるんだが……あー、見てねぇ奴には言っても分かんねぇだろうな。とにかく凄いんだよ」
クラウは遠くを見つめて腕組みし、しみじみと語りはじめた。日本で言えば、野球の監督の現役時代の凄さを語りつつ、居酒屋で飲んだくれている酔っ払いのような目つきだ。
「喋ると冗談みたいに聞こえるだろうけどな、背中に蒼い光で出来た翼みたいなのが出来て空飛んで、剣にも同じの纏わせて、すげー速度で空中から攻撃仕掛けんだよ。食らっても“熱ぃ”ってより“痛ぇ”しかなかったし、氷と風の複合だと思ってたけど。火と風だって考えると俺が相殺できなかったのも当然だな。とにかく氷耐性ない奴は最初だけで身動き取れねぇし、氷を防いでも火か風でやられる。多分重力制御に時空も使ってるだろうな。なんとかして全属性の魔法防御をガッツリやっても結局、高度と速度に太刀打ちできなきゃ、単に剣でぶった切られて終わりだ」
「うわぁ……」
「まぁ冷静に考えりゃ、反対属性が両方得意ってトコより、すげぇのがあれもこれも使えるってトコの方が厄介だな。手札の組み合わせが多過ぎて、こっちは対策しようがねぇし。正直、敵として見るとかなりえげつないぜ」
脳裏に柔和なユーハの笑顔が浮かぶが、そんな話を聞いてしまうと一気にラスボスの如きオーラの凄みを感じてしまう。とにかく、戦闘馬鹿のクラウをして“えげつない”とまで言わしめるユーハは、確かに美形なだけの騎士様ではなかったようだ。
「それにしても、魔法って色々あるんだね。皆凄いなぁ……私も使えたら面白いのに」
こんなに筋肉だけの男にも火が扱えるなら、なんとか私にも一個ぐらい使えたりしないだろうか――なんて思って呟いてみたら、クラウが思いっきり眉をしかめた。
え?まさか魔法を使いたいなんて、庶民が志す事自体が恐れ多いとか、そんな感じだったりする?
「俺も馬鹿だけどお前も大概馬鹿だな。お前は毎日魔法使ってんだろ」
「……え?」
ため息をついたクラウの、心底馬鹿を見る目つきが心に刺さる。
が、問題はそこではない。今、何と仰いましたクラウさん?
「……って、まさか自分で勝手に覚えたのか?っつーか意識もしてねぇのか?」
「ちょ、ごめん何を言ってるのか分からないんだけど!」
慌てて口を挟むが、クラウの“毎日”“使ってんだろ”の台詞が私に一つの可能性を指し示した。私が毎日やっていること、と言えば――
「お前……すり抜けてんだろ、壁とかドアとか。立派な時空系だよ。毎日ちょいちょい平然と使いまくってんじゃねーか」
ああぁ、やっぱりそれでしたか……。
魔法という言葉でわくわくしていた気持ちと共に、思わずネコ耳がぺたんと萎れる。なんというコレジャナイ感。
私がやりたかったのは、ぱぁっと手の平から光を発する治癒魔法とか、杖から飛び出すファイヤーボールとか、絶体絶命のピンチで皆を救う自己犠牲の大爆発とかであって、幽霊のように壁をすり抜けたり、透明人間になってイケメンの着替えを覗く能力じゃないのだ。いくら実用的とはいえ、この世界で唯一使える魔法がすり抜けだけとは、夢も希望も粉々だ。
あれ?でももしかして、私の幽霊的能力が魔法だとしたら、私はこの世界基準では普通の人間と言えるのではないだろうか?ネコ耳ついてるけど。
絶望から希望へと忙しく思考回路を働かせる私に気付いているのかいないのか、クラウは熱心に解説を続ける。
「言っとくけどその辺で言えばお前、ユーハなんか屁でもねぇ位に異常だからな。時空系って言や、死ぬほど燃費悪いんだぞ。ユーハみたいに複合でちょっと補助に使うならともかく、単品で使うとなったら魔導師連中だってちょっと宙に浮かぶぐらいが関の山だ。それを魔方陣も呪文も触媒もへったくれもねーで消えたり出てきたり壁抜けてきたり……そこらの精霊よりよっぽど強いんじゃねぇの?」
「えー…それってやっぱり私、人間じゃないってこと?」
「だから絶対違ぇって。団長も歯切れ悪い事しか言わねぇけど、まず間違いねぇだろ」
やっぱり私は人間じゃないらしい。一縷の希望をこれ以上ないほどバッサリ切り捨てられて、私はネコ耳ごと意気消沈した。そして蘇る、圧倒的なコレジャナイ感。
「やだなー。どうせなら私も治癒魔法とか使いたかったー……」
「時空が得意なら時空で良いだろ。何でわざわざ治癒なんだよ?」
「んー、だってそういうの使えれば、少しは役に立ちそうじゃん」
きょとんと首を傾げるクラウの右腕、シャツからはみ出した包帯の端にちらりと目をやる。確かに騎士団公認ニート状態も美味しいのだが、ただの居候としての肩身の狭さを感じるぐらいには、私の常識も残っているのだ。
それに、治癒魔法が使えればきっとこれまで以上に騎士達の筋肉を拝めるはず。うまくいけば私の前には日々治療を求める騎士達の長蛇の列が出来、彼らは貢物を持って私の前に跪くのだ。治療を施しても完治に至らなかった、或いは時間や魔力が足らず治療を施せなかった患者達に、私はため息をつきながら己の力不足を謝罪して――
妄想しつつため息をつくと、私の視線を辿ったクラウは、自分の右腕と私の顔を忙しく見比べた。何か勘違いをしたらしく、随分動揺した様子で固まっている。
「……あ――……ゴホン。いや、あのな、ミコ」
「……なぁに?」
私はまだアンニュイな気分に浸りつつ適当に返事をする。ちなみに脳内では『ダメね、私なんか……』と呟き、顔が見えないがイケメンに違いない騎士に『そんな事を仰らないでくださいミコ様!貴方は私の――』と肩を抱き寄せられている真っ最中だ。正直、馬鹿なんぞに構っている場合ではない。
「心配、かけて悪かったな。……でも、大丈夫だから、その……そんな顔すんな!」
「でも……」
私は俯き、脳内イケメン騎士に『いつか貴方がもっと酷い怪我を負ったらと想うと!』と胸中の不安をさらけ出す。現実のクラウに乱暴に頭をがしがしと撫でられて視界が揺れるが、私は瞬時に脳内イケメン騎士の激しい抱擁を受けたということに変換した。
「ほら、昔ばーちゃんに聞いた通りにネギもしっかり巻いてある!だからきっと明日には治る、お前は気にすんなって!」
「……ネギ?」
やたらと馴染みのある単語に一気に現実に引き戻されて、私は本気で首を傾げた。クラウと一体何の話をしていたのか、最早思い出せないが……少なくとも食べ物の話ではなかったような気がするのだが。
「そーそー、ネギだよネギ。打ち身、切り傷、何でも効くんだぜ!」
――まさか。まさか、そんな事が。
クラウの言葉に私はハッキリと血の気が引いていくのを感じた。
さっき、クラウの腕の包帯から覗いていた草は――何かの間違いなどではなく、本当に、確実に、意図的にネギだったのだ。甘美な妄想の世界の余韻を綺麗さっぱり押し流し、その絶望的な現実感が、私を完膚なきまでに打ちのめす。
「殺菌効果に消炎効果、ネギさえありゃ治癒魔法なんてなくても全然問題なしだ!だからお前もどんどんネギでも食って――って、ミコ?どうした?」
「――ごめん、帰る」
ファンタジー世界にネギ。イケメンにネギ。
治癒魔法という夢と希望溢れる言葉に対し、ネギという――現代日本においてスーパーの袋からはみ出る率ナンバーワンの庶民性溢れる――植物の優位性をひたすらに説くクラウの言葉は到底受け入れられるものではなかった。
コレジャナイ感で埋め尽くされた意識では、最早怒りさえも沸いてこない。
私は言葉と共に大切なものを失ったまま、クラウの部屋からさっさと退散することにしたのだった。