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ACT7:聖誕祭と三種の神器4

 

 夜の私室で、私は一人ため息をついた。

 疲れた。とんでもなく疲れた。



 ユーハから青石のチョーカーを受け取った後、大神官に挨拶をしにいったのだが、これが非常にキツかった。

 いや、大神官は実に話の分かる気の良いおじいちゃんだったのだが、私に興味を持ったらしく、あれこれ質問攻めにしてきたのだ。



 問。私は一体何者か。



 どちらかというと私が教えて欲しいぐらいだと言うと、おじいちゃんは喜び勇んで私のデータを取り出した。

 神殿に連れて行かれ――ちなみに心配したらしいセダさん、クラウ、ユーハも同席の上で――私は丸裸にされた。いや、文字通りの意味ではないのだが、身長体重からスリーサイズ、趣味嗜好から言葉遣いから思考回路のクセまで分析され、心理テストなのかどうかも分からない質問に答え続けること二時間半。その間にセダさんはユーハにチェスで五連敗し、クラウはどこかへ消えた後、大量の食料を持って帰って来ていた。


 続いておじいちゃんは私の過去、特に日本での生活について聞き始めた。何もかもどうでも良くなった私がボーイズラブの何たるかを力説している間に、ユーハに更に二連敗したセダさんが全員宿舎に帰る号令を出していなければ、私は今でも神殿で喋り続ける羽目に陥っていたことだろう。



 流石のクラウの短剣も、精神的疲労の前には効果がないらしい。上品なつや消しシルバーの剣を腰から外し、首元の石を指で探る。今度こそ薔薇色の夢を見ようとベッドに倒れこんだ時、コンコンとドアがノックされた。



「夜分にすみません。……ミコさん、まだ起きてらっしゃいますか?」



 フォックスの声だ。

 そもそも私の部屋に来る人間など滅多にいない。疲れた身体に鞭打って飛び起き、ドアを開けると、ラフな普段着姿の金髪少年が、どこかそわそわした様子で立っていた。



「珍しいね、まーとりあえず寒いし入って」



 部屋に招き入れるが、フォックスは入り口近くで固まっている。はて、大して見た目がヤバい部屋ではないはずだが、乙女脳とか腐女子脳とかのオーラが見えたりするのだろうか。



「そんなとこに突っ立ってないでさ。お茶入れるから座って座ってー」



 もらい物の――というより、この部屋の中身は全部もらい物なのだが――ティーカップやらお茶の葉やらを引っ張り出しつつ何度も声をかけると、フォックスはようやく部屋に足を踏み入れ、おずおずと椅子に腰掛けた。



「あの、本当にすみません。こんな時間に女性の部屋を訪ねたりして……いえ、あの本当は、部屋に上がらせて頂くつもりは……」


「いやいや、全然構わないよ。そもそも私人間じゃないし」



 やたらと恐縮しているフォックスに、お湯が沸くまでの間のつなぎにと、ユーハの部屋からガメてきた秘蔵のお茶菓子を勧める。ちなみに私のお気に入り度No.2の、日本で言えばフロランタンのようなお菓子である。サクサクの食感と甘くかかったキャラメルが香ばしい一品だ。



「いえ、そういう訳には」


「良いって良いって。そういえばフォックス、私の部屋に来たの初めてだよね?よく場所分かったね」


「話には聞いてましたから。副団長室……団長の部屋の隣って」



 レトロなヤカンがピーッと鳴ってお湯が沸いたことを知らせ、私は簡易キッチンに立ってお茶を入れた。ちなみにコンロは当然ガスではなく、魔道具的なものらしい。かなりの早さでお湯が沸かせて火事にもならず、火傷もしないし鍋も焦げない、IHヒーターを凌ぐ優れものだ。



「……そう言えばミコさんも、僕の部屋には来た事ないですよね」


「あー、うん。そうだね。――普通に行きたいんだけどね、場所が場所だから……」



 お茶のカップをテーブルに置き、私は思わず遠い目になった。

 そうなのだ。この金髪碧眼美少年の私室とあれば、ユーハの部屋と並んで入り浸りたいところなのだが……あのカーネル参謀の部屋の隣であるため、迂闊に出入りも出来ないのだ。うっかり廊下で会えば騒がれて捕獲されかねないし、事実、二回ほど潜入に失敗している。そうでなくても、少しでも話し声が漏れた時点で、喜び勇んで乱入してくるだろう。



「あの……ちょっと思ったんですけど、ミコさんって空は飛べないんですか?」


「え?いや、やってみたことないけど。この世界って魔法で飛べるの?」


「ええ。遠くへとなると、かなり難しいんですけど。属性でいうと重力制御なので、時空系に当たるんですよ。僕でもちょっと浮かぶぐらいなら出来ますし、たぶんミコさんなら……二階と三階を行き来するぐらいなら、少し練習すれば可能かと思います」



 フロランタンを齧りながら、畏まっていたのが少し取れてきたらしいフォックスはにっこりと微笑んだ。


 三階にある私の部屋から見て、二階にあるフォックスの部屋は、外から見るとすぐ斜め下に位置する。廊下を歩くからカーネル参謀(邪魔者)に会うのであって、窓から飛んで来れば良い――フォックスは、そう言っているのだ。



「……んでも、話し声とか聞こえたら、隣から突撃食らいそうだよね」



 外から入る、というのは実に名案だ。しかし、あのカーネルの地獄耳をどこまで防げるかという問題がまだ残っている。部屋の目張りか、糸電話か。やってみないと分からないが、なかなか難易度は高そうだ。

 と、フォックスが事も無げに言った。



「でしたら、僕が防音結界張りますから大丈夫ですよ」


「え、そんなのあるの!?」



 私は思わず食いつく。そんな便利な魔法があるとは知らなかった。もしそっちまで上手く習得できたりすれば、先月セダさんにからかわれて以降控えている、風呂場での熱唱も再開できるかもしれない。



「ええ。僕、結界系は割と得意なんです。ミコさんの魔力をお借りできれば、それこそ丸一日でも維持できると思いますよ」



 頷くフォックスに、私の決意は固まった。結界とやらは置いておくにしても、この天使少年のプライベート映像を入手できる上に、空を飛ぶという人類の夢が叶う機会だ。すり抜けなどより余程ファンタジックでロマンティックで、アドベンチャーな特技じゃないか。



「分かった、近いうちに絶対習得するから待ってて!」


「楽しみにしてます。……何でしたら、今からちょっと練習してみましょうか?お教えしますよ」


「ホント!?」


「ええ。何回かやれば、すぐできると思います」



 今から、という言葉に一瞬、疲れ切ったメンタルが悲鳴を上げるが、ショタ美少年を愛でながらなら、どうということもないだろう。にこにこと柔らかな天使の笑顔を浮かべるフォックスに、私は力強く頷き返した。



 * * *



「わぁー……凄い、凄いよフォックス!」



 私は思わず歓声を上げる。特訓を開始すること約一時間、たどり着いた宿舎の屋根の上からは、王都の見事な夜景を一望できたのだ。



「はい。いつもはもっと暗いんですけど……聖誕祭の夜だけはこうして、全部の建物に明かりを灯しておくことになってるんです」


「じゃあ、今夜しか見れないんだね。毎日見られたらいいのに」



 一面に広がる夜景を見下ろしていると、世界が全て自分のものになったかのような高揚感に包まれる。今ならどんなことでも出来そうな、自分が世界一幸せな人間であるような、そんな気分。意味もなく叫び出したくなる衝動を抑えて、代わりにほうっとため息をつくと、白い息が風に流れていった。



「その代わり、もうすぐ別のものが見られますよ。……少し、待ちましょうか」



 並んで屋根の上に座ると、フォックスは小さく何かを唱える。ふわりと体が温かくなり、周囲の風が遮られた。



「野営なんかで使う簡易結界です。……流石にちょっと冷えますから」



 おぉ、と感動すると、フォックスがはにかみながら解説してくれた。続けて治癒魔術が唱えられ、温泉のようにじんわりと疲れが溶け出していく。



「それにしても、すみませんでした。ミコさんが疲れているのに気付かなくて……」


「いやいや、もう全然大丈夫だし気にしないで。言わなかった私が悪かったし」



 慌てて否定するも、フォックスはまだ気にしているらしい。土魔術と何かの応用らしい即席のクッションを作り出したりして、せっせと私を労わってくれる。


 そう、心身ともに疲労困憊だった私はついさっき、浮遊術――飛行術とはまだ到底呼べない――の訓練中に、うっかり目を回してしまったのだった。

 気の毒なのはフォックスで、治癒魔術であっさり回復はしたものの、かなりの罪悪感を植えつけてしまったらしい。それにしても、魔術を使うのに魔力だけではなく、そんなに体力を消耗するとは知らなかった。



「でも、本当に凄いね……こんな景色が見られるなんて、思わなかった」



 しみじみと呟くと、フォックスの微笑む気配がした。そっとネコミミが撫でられる感触に、思わず喉を鳴らしてしまいそうだ。いや、どうすれば鳴らせるのか裏庭の猫に聞いておくべきだった。



「とっておきですから。……もうすぐですよ」



 フォックスの声が終わると同時に、遠くで教会の鐘の鳴る音がした。音は次々と重なり、広がる王都の夜景を覆い尽くすかのように大きくなっていく。

 王都中の教会が鐘を鳴らしているのだろうか、荘厳な響きがやがて終わり、その余韻までが消え去った時――



「あっ……」



 一斉に、街の明かりが消えた。



「……フォックス、これ……」


「大丈夫です、少しすると目が慣れますから。……良かったら、掴まってて下さい」



 ついさっきまで美しい夜景を見ていた目が、見るべきものを失うと同時に本能的な恐怖を呼び起こす。そうでなくても屋根の上にいるのだ、いくら魔法で部屋に戻れると知っていても万一落ちたらと思うと恐ろしいし、目が利かない闇の中では、平衡感覚も何もない。そっと腕の辺りに触れたフォックスの手に、天の助けとばかりに縋りつくと、優しく握り返された。



「――もう見えると思いますよ。ミコさん、上を」


「上?」



 体の重心を動かさないようにそろそろと見上げると、そこには――驚くほどの数の星があった。現代日本ではまず、かなりの田舎でなければお目にかかれないだろうと思えるほどの、文字通り満天の星空だ。



「うわぁ……!」


「無理をさせて、すみませんでした。でも……これをミコさんに見せたかったんです」



 歓声を上げる私に囁いたフォックスの声は、どこか満足げで、いつもよりも大人びて聞こえる。

 互いの顔も見えない夜の闇の中で――私は手の中の体温を感じながら、時間も忘れて星空を見上げ続けるのだった。



 * * *



 星空を満喫した後に部屋に戻ると、深夜の一時過ぎだった。かれこれ一時間は屋根の上にいたことになる。



「遅くまでつき合わせて、すみませんでした」


「いやいや、良いもの見せてくれてありがとう。……でも、明日とか大丈夫?」



 ニートの私は好きな時間に寝ればいいだけだが、フォックスは騎士である上に、参謀補佐なんて肩書きまでついている。心配になって尋ねると、フォックスは自信ありげに笑った。



「大丈夫ですよ。疲労が残ってたら回復魔術を使えばいいだけですから」


「おぉ、そうなんだ……」


「はい。でもまぁそろそろ、お暇します」


「うん、そうだね。今日は本当にありがとう、楽しかった!」



 フォックスがそう言うなら大丈夫なのだろうが、ショタ少年をいつまでも拘束しているのは犯罪だ。早く帰さねば、という使命感で別れを告げると、フォックスは何故かドアの所で立ち止まった。



「……えっと、あの、ミコさん。これを受け取ってくれませんか」



 ポケットから取り出されたのは、片手に乗るサイズのコンパクトのようなものだった。丸く薄い形で、金色の蓋には幾何学模様のような装飾が彫られ、中央にはいくつか宝石のようなものがはめ込まれている。



「鏡なんですけど……これなら、ミコさんが映るはずです」


「え、本当に!?」



 受け取って開いてみると、それは確かに鏡だった。何やら呪文を唱えれば変身できそうなアイテムだが、そんなことより重要なのは――確かに、私の顔が映っているという事だ。


「凄い!本当に映ってる!!」


「良かった。成功ですね」



 フォックスが安心したように笑顔を浮かべる。私は喜びに小躍りしながら、何度も鏡を覗き込んだ。


 素晴らしい。これさえあればずっとご無沙汰だった寝癖チェックや鼻毛チェックも、なんならニキビチェックや毛穴チェック、前髪の長さチェックまでできるではないか。


 日本にいたときのような引きこもり生活なら、何のチェックも必要ない。が、この世界ではしょっちゅうイケメンに遭遇するし、何ヶ月にも渡って一度も自分の顔を見ていないというのは、いくらゴーイングマイウェイを自認する私でも流石に不安を覚えていたのだ。例え相手がイケメンでなかったとしても、寝癖ぐらいならともかく、せめて鼻毛や涎や目くそ鼻くそぐらいは何とかしたいのが、微かに残ったオンナゴコロという奴だ。



「凄く嬉しいけど、でも……貰っちゃっていいの?申し訳ないけど、プレゼントとか貰えると思ってなかったから、用意してなくて……」


「あ、ご存知なかったんですね。聖誕祭のプレゼントは、基本的に男性が女性に贈るものですから、気にされなくて良いんですよ。むしろ女性から貰うとなると、その……婚約というか、結婚を前提とした関係、ということに――」


「そうなの!?マジで!?あっぶなかったーー!!」



 何て重要な情報だ。衝撃を受けた勢いで思わず叫ぶと、フォックスがどこかショックを受けたような顔で固まった。


 しまった。これでは『フォックスと結婚なんかするものか』と聞こえてしまうじゃないか。失礼にもほどがあるというか、そもそもフォックスがそんなつもりがあるとは思えないが、こんなに可愛い天使を相手にそんな発言を出来るほど、私は世俗を離れた仙人じゃないのだ。可愛い少年ならいつでもどこでもウェルカムなのだ。むしろ土下座してでもお願いしたい。いや、そこまで言うと返ってドン引かれて、この淡い友情さえも、私の日々のささやかな清涼剤さえも失ってしまう、どうしよう。


 ともかく誤解というか、ある意味誤解じゃないのだけれど……あくまでもそういう意味じゃないと、フォックスを名指しで拒絶するつもりなど全然ないのだという事だけは、何としても分かってもらわねばならない。



「あ、その、ごめんそういう意味じゃなくてね!?いや、ある意味そうなんだけどそうじゃなくて!」


「いえ、気にしないで下さい。僕は別に……」


「違う、違うんだってばフォックス聞いて!あのね、今日実はクラウとユーハにももらってて!それでそれぞれお返ししなきゃかなって思ってたから、まさか知らないで三人に同時に返しちゃったりしなくて良かったって、そういう意味で!」



 首もとのチョーカーを掴みつつ、更に机の上の短剣を指差しつつ、一気にまくし立てる。フォックスはきょとんとしていたが、やがて合点がいったという顔で頷いてくれた。なんとか伝わったらしい。セーフだ、セーフ。いたいけな少年の心を傷つけた罪で断罪される日は遠のいたようだ。



「……成程。分かりました」



 にっこりと笑うフォックスに、私は心底安堵してこくこくと頷く。全身から力が抜けてへたり込みながら、私は深いため息をついた。分かってもらえて本当に良かった。この可愛らしい少年の笑顔を二度と見ることが適わなくなったりしたら、私は精気を失ってあっという間にシワシワのミイラになってしまう。



「ユーハさんは予想してましたが、クラウさんもですか……共同戦線張られましたかね」


「え?」


「いえ、なんでもないですよ。――それでその鏡なんですけど、ちょっと複雑な魔道具なので、定期的にメンテナンスが必要なんです。できれば最低でも週に一回ぐらいは、僕の部屋まで持って来て頂けると助かります」


「あ、そうなんだ。分かった、少しだけど飛べるようになったし、ちょいちょい遊びに行くね!」


「はい、お待ちしてます」



 明るいブルーの瞳を細め、フォックスはいつもの、とびきり可愛らしい笑顔を見せた。その笑顔に、何か含むものを感じたが――乙女心的には全然許容範囲内だ。可愛いは正義である。



「――いつでも来て下さい。夜這いをかけてもらっても、結構ですよ」


「え、そんな事言ったら本気で行くよ?」



 この美少年を抱き枕にするシチュエーションなど、考えただけで鼻血が出そうだ。思わず真顔で聞いてしまう私に、フォックスは何が可笑しいのかくすくす笑っている。要するにただの冗談なのだろうが、ただでさえ脳内妄想を垂れ流さないように必死に生きている私に、あまり殺生な冗談を言わないで欲しい。



「それじゃ、遅くまで失礼しました。――おやすみなさい」


「うん、おやすみ!」



 するりと立ち上がって、フォックスは部屋を出て行く。その後姿にひらひらと手を振って、私は今度こそベッドに倒れこんだ。



 * * *



 ベッドにゴロゴロと転がりながら、私はこの世界で手に入れた、三種の神器を改めて眺める。


 青石のチョーカー、銀の短剣、自分の顔が映る鏡。

 どれもこれも高価そうな――ちょっと、いやかなり気が引けてしまうような、素敵な贈り物だ。

 何かお返しをしたい、すべきだとも思うのだが、さっきのフォックスの発言によれば、それも叶わないらしい。何かバレンタインデー的な、逆に女性から男性に気軽に贈り物をするような、そんなイベントは近々起こったりしないのだろうか。



 ともあれ、今日は長い一日だった。そう思うと同時に、くらっと瞼が重くなる。

 真面目に考えるのは、また明日にしよう。鼻毛チェックも。どうせなら、久しぶりに前髪でも切ってみようか。


 とりとめもなく浮かぶ今日のハイライトシーンを思い返しながら、こみ上げる欠伸に逆らわず、もそもそと布団の中に潜り込む。

 皆がくれた宝物を抱きしめて、私は少し遅い聖夜の夢を見ることにした。




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