表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/131

ACT1:タオルとチョコと量子力学1

 

 品のいい家具が置かれた、でも質素で清潔感のある部屋。

 備え付けのベッドの枕元には栞の挟まれた魔法理論書が置いてあり、戸棚にもびっしりと剣と魔法と歴史の本がカテゴリー別に整頓されている。壁にかけられた数振りの剣も手入れが行き届いていて、部屋の主が魔法と剣のどちらも、決して軽んじていないことがよく分かる。



 しかし、重要なのはそこではない。そう、何よりも重要なのは、ソファの上に畳まれていない(、、、、、、、)タオルがひっそりと、しかし無造作に置いてあるというこの事実だ。

 僅かな、実に絶妙な、まるで計算し尽くされたかのようにフェチ心をくすぐるこの生活感こそが、私が求めていたもの。


 魔法理論では研究者にも迫る成果を出してきた知性派ながら、わずか十八歳で騎士団内でもトップに上り詰めた、驚異的な剣の腕を持つ彼が。

 美形の多い騎士団の中でも見る者をハッとさせるその端整な顔立ちで、王国内の令嬢・貴婦人達から『彼こそが真の貴公子』と呼ばれ騒がれ、その憧憬を一身に集めている彼が。

 彼が鍛錬をする日は修練場に黒山の人だかりが出来、祭事で剣舞を舞えば精霊という精霊が百年の加護を約束し、柔らかに微笑めば地が裂け海が割れ、その背後では生態系を無視して純白のハトが飛びまわり、時期も場所もお構いなしに百万本の薔薇が咲き誇ると噂の彼が、だ。


 起床後に顔を洗ってその顔を濡らした水滴を、あるいは朝食前の運動をしてその身体から流した汗を、その手に取って自ら染み込ませたであろうタオルは、もはや聖遺物と呼んでも許される。それが私の目の前で惜しげもなくその魅惑的な姿をさらし、圧倒的な存在感で私の五感に働きかけていた。



 私は息を吸い、息を吐き、偉大なる神に祈りを捧げ、その導きのままに運命の扉に手をかける。すなわち、目の前のタオルに手を伸ばし、その微かな湿度に心を震わせながら思いっきり顔面を埋めるのだ。これを求めるのは最早私個人の意思ではなく世界の真理、いや大いなる宇宙の意志であり、私はただその代行者に過ぎない――!



「……ミコ。何してるの?」



 口から心臓が飛び出たかと思った。

 一体いつ、ドアは開いたのか。そしていつの間に部屋に入ってきたのか。

 咄嗟に獲物タオルを背中に隠して振り返ると、白を基調とした騎士団服がびっくりするほど近くにあった。そろそろと顔を上げると、黒髪の青年の呆れ顔が目に入る。


 騎士団服の持ち主は、ユーハ・フルフリッジ。言わずと知れたこの部屋の主だ。

 訓練を終えた所なのだろう、白い頬には僅かに赤みが差し、汗に濡れた黒髪が一筋額に張り付いていた。ファンタジックかつスタイリッシュな騎士団服がこれでもかと似合う細身の青年は、黒耀の瞳に静かに怒気を孕ませている…気がする。いや、間違いない。よく見ると、いつもは貴公子然とした柔らかな微笑を浮かべている口元が、微かに、でも確かに引きつっている。


 ――となれば、すべきことはただ一つ。



「大っ変申し訳ございませんでした!まだ未遂なのでどうかご容赦下さいますよう、伏してお願い申し上げますっ」



 私は潔く罪の証(タオル)を両手で差し出すと同時に、ずざっと正座を決めつつ頭を床につけた。奥義・ジャンピングドゲザである。



「如何なる処罰も受ける覚悟は出来ておりますので、どうか、どうか命だけは――!」


「……そんなに謝られると、逆にこっちが凄く心が狭い人間みたいでアレなんだけど」



 頬のあたりをポリポリと掻きながら、ユーハの眉が下がっていく。奥義はちゃんと効いているようだ。

 優等生の悲しいサガなのか、ユーハは正面切って謝られるのに弱い。そして私はと言えばもう、こういうユーハの困惑顔を見られる時点でご褒美なので、土下座の二つや三つ、いつでもどこでも披露する準備は出来ている。ぶっちゃけチョロいと言ってもいい。


 …と安心しかけたところで、聞き捨てならない台詞がユーハの口から飛び出した。



「でも流石にさっきからの独り言聞いちゃうと、放置するのも憚られるというか」



 何だって?



「ちょ、そんなに前から聞いてた!?っていうか、私独り言喋ってたんだ!?」


「うん、部屋の外まで聞こえてた。海がどうとか、ハトとか薔薇とか」



 うわー、だ。

 脳内でリポートしていたつもりが、現実に大演説をぶちかましてしまっていたらしい。ギャルゲ脳も乙女ゲー脳も腐女子脳も、全くと言って良いほど隠していないのだが、本人に直接妄想を聞かれるという状況は流石に気まずいものがある。



「……ご、ごめんなさい。以後気をつけます……」



 どうやら真面目に口栓となるもの……猿轡かガムテープの導入を検討する必要があるようだ。

 そんなことを考えながら、頭の上のネコ耳を垂らして今度こそ本気で謝罪すると、ユーハが脱力する気配が伝わってきた。

 小さなため息と共に諦めたような苦笑が唇に浮かび、ぽむぽむと私の頭を叩いて、流れるように聖遺物タオルを取り上げる。



「とりあえず一回部屋出てくれる?着替えるから」



 意外と大きいその手の指が、男らしさを失わないギリギリのラインで細さと美しさを両立させていることに感嘆を覚えつつ、私は「はーい」と良い子のお返事でドアをすり抜けて、大人しく廊下に出た。

 着替え、と聞いてしまった乙女脳がちくちく疼くが、流石に私もそこまで馬鹿ではない。


 乙女脳にも掟がある。

 すなわち、YESイケメン、NOタッチだ。三次元の人間を脳内で二次元として扱う以上、本人に与える精神的ダメージは最低限にせねばならない。どの口が言うかと言われそうだが、先ほどの失態はあくまでアクシデントである。

 そもそも不用意な第三者の与えるストレスでイケメンが損なわれては元も子もないのだ。万が一、ユーハが円形脱毛症にでもなったら、私はユーハの親衛隊ファンに弾劾を受け、間違いなくギロチン送りにされるだろう。


 いや、でもドアと同じノリですり抜けてしまえば、ギロチンはクリアできたりするのだろうか。火あぶりはどうだろう。絞首刑だったら?

 そもそも色々すり抜けるということは、分子とか原子とか量子力学とかその手の話で言うと、少なくともドアや壁よりうーんと小さいツブツブになって、ドアとか壁のツブツブの隙間をすり抜けて、また合体して固体になってるってことだったはずだ。

 その最中に火を浴びたらどうなるのか。こっちの世界にはないだろうが、電気椅子にかけられたら流石に死にそうな気がする。あれ、電気って空気中だとどうなるんだったっけ。

 そこまで考えたところで、高校時代の物理教師のニュートン式ヘアスタイルの映像が唐突に記憶から蘇る。あの髪型は偉人へのリスペクトだったのだろうが、残念な事に顔本体が純和風だったことに加え、その頂は見事な反射率で日々教室を照らしており、ニュートンの再現度はあまり高いとは言えなかった。

 今となっては知る由もないが、彼の輝かしい頂はその後も宇宙のように膨張を続けているのだろうか。だとすれば、いつかは収縮に向かう日が来るのだろうか。おお髪よ、わが恩師の頭皮を救いたまえ。



 そんなどうでもいい思索に耽る私が我に返ったのは、たっぷり十分は経過した後だった。着替え終わったユーハが目の前で反復横飛びしても気付かなかったらしい。貴重な映像を見逃したのが悔やまれる。



 * * *



 今度は正式に招き入れられ、開かれたドアをくぐると、さっきまで質実剛健なイメージだった部屋の中は、クリスマス前のサンタの作業所のように色鮮やかなプレゼントの山で埋め尽くされていた。着替えたついでに魔道具のカバンか何かから取り出したのだろう。この世界は意外と、いやかなり便利だ。



「うわぁ。いつもより一段と多いね」


「今日は模擬試合があったから。で、今度は何を妄想してたの?」


「説明しにくいけど……ユーハがハゲたら私が微粒子でヤバイとか、頭皮と宇宙の関係性についてとか…」



 適当な返事をしながら、勝手知ったるなんとやらで、私は早速カラフルな包みに手を突っ込んで、オヤツを物色し始める。

 言うまでもないが、この大量のプレゼントはユーハの親衛隊ファンからの貢物だ。ここまでの量になると本人も処分に困るらしく、食べ物は好きなだけ食べてもいいとお墨付きをもらっている。



「……ハゲる予定はないと思いたいんだけど、っていうかそれ以前に、ミコが何を言っているのかが全然分からない……」


「うん、私にも分からない。あ、これこの間美味かった奴だ!」



 目ざとく見つけた高級チョコレート専門店の包み紙をビリビリと破るが早いか、ぽいっと口に放り込む。見た目は普通のトリュフチョコだが、表面の香り高いココアパウダーのほろ苦さと、中のチョコの芳醇ながら滑らかな口どけが素晴らしい。至福だ。



「お、メッセージカードもついてますぜ旦那。えーっとぉ」


「あぁ、それか……いいよ読まなくて」


「まぁまぁ、このいかにも綺麗で控えめな字、きっと深窓の令嬢って奴だよ?気持ちはちゃんと聞いてあげないとー」



 “親愛なるユーハ様、貴方を想うと私の胸は……”とお決まりの定型文から始まるラブレターを読み上げようと舌なめずりをした所で、突然カードが取り上げられる。

 何事かと思って見上げると、ユーハはいつになく強張った顔をしていた。



「ごめんミコ。今日はホント、勘弁して」



 言葉は柔らかいが、意外なほど強い声には、はっきりとした拒絶の意志が感じられた。

 いつもなら、メッセージカードの五枚や十枚は問答無用で読み上げて、照れたり恥ずかしがったりするユーハの百面相を楽しむのが私の日課なのだが、今日のユーハは悪ふざけに付き合う余裕がないようだ。

 珍しいこともあったものだ。何か非常事態だろうか。



「……珍しいね。“片付け”、やろうか?」



 率直にどうしたのかと聞きたい所だが、相手はユーハだ。何かあったなら尚更、聞いた所ですんなりと話してはくれないだろう。

 でもそれならそれで、人間でなくなった私には出来る事がある。無論、ユーハが望むなら、だが。


 どうする?という意味をこめてじっと見つめると、ユーハの黒い瞳が揺れた。

 瞬きが二回、ため息が一回。



「ミコには適わないな……ちょっと、色々あって。悪いんだけど、頼んでもいい?」



 少し悩んだ後で、覚悟を決めるように頭を軽く振ったユーハは、年相応のちょっと情けない笑顔を見せた。



 実は私は、ユーハのこんな表情が一番好ましいと思う。王国騎士団の期待を背負う貴公子然としたユーハでなく、剣を握った凛々しいユーハでもなく、普通に何処にでもいそうな、真面目で意地っ張りで泣き虫な十八歳らしい、この表情。


 もう少し目の保養をしていたいが、ユーハの頭皮ストレスは私の存在が微粒子レベルで危ぶまれる事態である。ましてや人を頼るのが苦手な彼の、せっかくのお願いだ。頼まれたからにはちゃっちゃと片付けてあげようではないか。



「おっけー、お姉さんに任せなさい。三十分で戻るからねー」



 私は齧りかけのブラウニーをユーハの口にねじ込むと、速やかに立ち上がった。


 壁をすり抜けるときと同じ要領で意識を集中させ、同時に拡散させていくと、周りの風景に自分が溶け出していくのがわかる。

 ブラウニーで窒息しかかっているのか、顔を真っ赤にしてモゴモゴと苦しんでいるユーハにぐっと親指を立ててみせて、私は“仕事”に取り掛かった。



 * * *




 この異世界に来るにあたって手に入れた能力はいくつかあるが、その内の一つを、私は“片付け”と呼んでいる。


 他人の精神世界的な場所に入り、その中のものを片付けることで、その人の気持ちを整理する事が出来る――と言うと何だか凄いような気もするが、実際にはかなり微妙な能力だ。


 まず第一に、片付けには相応の時間がかかる。どういう仕組みなのかさっぱり分からないのだが、例えば今回のケースで言うと、ユーハの精神世界の中で、実際に片付ける動作をしなければならないのだ。



 ……というわけで、私は腕をまくって早速作業に着手する。


 人間の精神世界というのは、小さな部屋のような見た目をした不思議空間だ。部屋の間取りや周りの風景、内装のイメージは人によって千差万別。ユーハの部屋は白を基調として所々に黒が配された、シンプルかつスタイリッシュな、まさにユーハに似つかわしい部屋だったように記憶していたが――


 その中はありえない程にぶっ散らかっており、その散らかった家具やら本やら箱やらといった物体のほぼ全てが、どす黒いスライム状の物体に飲み込まれていた。


 うひゃー、と思わず声が出てしまう。三十分で戻るといったが、果たして間に合うのだろうか。



「……とりあえず、やんなきゃ終わんないもんなぁ……」



 ふわふわと空中を移動し、私は目に付いた本やら箱やらを手当たり次第にスライムから引っこ抜いていく。重力の法則が適用されないのをいい事に、スライムに手を突っ込んでは、天井……と思われる辺りに家具などの大物をいくつも引っこ抜いては投げる動作を繰り返していると、スライムは徐々に小さくなってきた。良い傾向だ。



「おーっ、かったーづけー、おーかったーづけー」



 自作の『お片付けの歌』を歌いながら、先ほどスライムから救出した本棚に本を詰め込み、中身の入っていない箱を適当に大きなものに詰めてみる。何だかマトリョーシカのような形状になったが、省スペースという事で良いだろう。


 この本やら空の箱やらというのは、恐らくユーハの記憶とか感情とか、そういったものなのだろうと思う。だが、どれが必要でどれが不要なのかとか、どんな記憶なのかとかいった事は私には分からない。こうして適当に片付けておくしかないのだ。


 中身の入っている箱や本を開ければ多少は分かるのかもしれないが、私はこうして他人の“片付け”をする時には、なるべく見ないようにしている。

 結局の所、私はカウンセラーの資格を持っているわけでもないし、エセ座敷わらしに過ぎないのだ。正直言って気が引ける。ぶっちゃけ喉から手が出るほど見たい筆頭騎士様、ユーハ・フルフリッジの心の中ではあるが――そこは流石にプライバシーの侵害に当たるだろう。


 YESイケメン、NOタッチ。心頭滅却すれば火もまた涼し、武士は食わねど高楊枝……と心でこっそり唱えつつ、私はひたすらストイックに、“片付け”に没頭する。



「さて……こいつはどーするかなー」



 中身を綺麗に詰め込んだ本棚を壁際に、テーブルと椅子を部屋の中央に、雑多な箱は省スペース化した後に棚に……と一通り整理を終えて、私は最後に残ったどす黒いスライムに向き直った。


 ぶよぶよと部屋中のものを飲み込んでいたそのスライムは、今は大きいバランスボールぐらいのサイズまで縮んでいる。指を突っ込むとずぶずぶと何処までも入っていく感触からして、そのまま放置したりすると、すぐにまたそこら辺のものを巻き込んで巨大化してしまいそうだ。


 上手く千切るか何かして小さくできれば、そこの空き箱に入れられるだろうか。私が首を傾げつつ、スライムに片腕を突っ込んでみた瞬間。


 ――ぽん、と呑気な音を立てて、どす黒いスライムは真っ二つに割れた。



「……?」



 向かって右は、深く鮮やかなロイヤルブルー。

 向かって左は、光り輝くシャンパンゴールド。


 ついさっきまでどす黒いスライムだったとは思えないほど綺麗な色合いになった二つのゼリー状の塊は、あれよあれよという間に縮んでいき、それぞれの色の表紙を持つ本の形を取る。


 これは……とりあえず、本棚にしまっても良いのだろうか。

 青と金色の二冊の本を拾おうとして、私は手の中にぷにゅっとした感触があることに気付いた。

 恐る恐る手の平を開いてみる。



「……なんか、可愛い」



 黒スライムが割れる直前、片腕を突っ込んだ時に握ってしまったのだろうそれは、どういうわけか桜色とでも言うべき綺麗なピンクのぷにぷにだった。

 丁度ピンポン玉ぐらいの大きさで、そっと触るとすべすべした感触が気持ちいい。アレだ、アレに似ている。なんかにぎにぎしていると癒される的な、謎の感触を楽しむ手の平サイズのアレ。私も日本にいた頃は、いくつか持っていたような気がする。



「持って帰ったりしちゃ、駄目だよなぁ……」



 床に置いてしばらく観察してみたが、これは本にはならないようだ。

 ユーハの記憶なり感情なりの何かであろうその物体を持ち逃げするわけにも行かず、かといって放置もできず、私は仕方なく適当な空き箱にピンクのぷにぷにを入れて、テーブルの上に置く事にする。



 これで完了、ということで良いだろう。

 どす黒いスライムもなくなったことだし。



 これまで騎士団の騎士達に頼まれて、結構な回数の“片付け”を経験してきたが、どす黒いスライムがこんなに綺麗な色に分解できたためしはない。

 イケメンの中のイケメンにだけ許される特別仕様なのかもしれない、と妙な所で納得しながら、私はユーハの部屋に戻る事にした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ