ACT5:酒と風車とプライドの壁2
――重い。マジで重い。
こっちに来てからというもの、冗談抜きで本より重いものは持っていなかった私にとって、肩に圧し掛かるセダさんの身体は正直、洒落にならない重さだった。
一歩足を前に出す毎に、あるのかないのかよく分からないが関節や骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる……気がする。日本にいた頃だったら間違いなく、翌日筋肉痛で寝返りも打てないレベルだ。
「悪い……」
「あとっ、少し、ですからっ。セダさんもっ、がん、頑張って、くださいっ」
「マジで……ミコちゃん、置いて行って良いから……」
「ほらっ、もう着きました――よっ!ドアの鍵、ありますかっ」
ぜーはーと息を切らしながらなんとか部屋の前まで辿り付き、勝手にセダさんのポケットを漁って鍵を開ける。最早立っていられないらしいセダさんの身体を、入り口の壁に押し付けるようにして寄りかからせると、セダさんはそのままずるずると床に倒れこんだ。
「……それにしても、珍しいですよねー。セダさんがそんなになるなんて」
釣られて私もへたり込みつつ、頭に浮かんだ疑問を口にする。あのサドンデス腕相撲の騒ぎの中でも、セダさんは主に外野としてヤジを飛ばすのに専念しており、他の騎士達やクラウほどの馬鹿な飲み方はしていなかったはずだ。それが何故、一人で歩けないほど泥酔してしまったのか。
返事は期待していなかったが、ぼそぼそと呟く声が聞こえてきた。
「あー……昨日徹夜で、そのまま飲みに行ったからなー……」
「え!?何やってんですかセダさん、そりゃ徹夜明けでいつものノリで飲んだら、潰れるに決まってるじゃないですか!」
「流石に年だなー……クラウぐらいの年の頃は二徹ぐらいしても普通に飲めたんだが……」
どんな筋肉とアルコールにまみれた青春時代を送ってきたのか。聞きたいような聞きたくないような、微妙な気持ちになった私は、ともかく水でも飲ませようかと、立ち上がって備え付けのキッチンへ向かった。
「――あー、ミコちゃん。そういや、さっき言ってた本貸すよ」
「あ、いいんですか?助かりますー」
返事をしつつ水道の蛇口を捻り、適当に目に付いたマグカップに水を注ぐ。――と、背後でどんがらがっしゃんと物凄い音がした。
「――ぐぁぁっっ!」
「セダさん!?」
思わずカップを持ったまま駆け寄ると、本棚の前に、腰を抑えて呻いているセダさんの姿があった。手には一冊の本が握られており、周りにはダンボール一箱分ぐらいの本が散らばっている。
「だ、大丈夫ですか!?」
「っつ――……やっちまった……腰、腰が……」
最早声も出せずにうずくまる団長。恐らく本を取ってくれようとしたのだろうが、人の肩を借りなければ自室に帰れないほどの千鳥足で、高い所にあるものを頑張って取ろうとした結果、本の雪崩にあったのだから自業自得とも言える。
「無茶しないでくださいよ……そもそも歩けない人が無理するから」
「ってぇ……」
「とりあえず横になっててください。毛布か何か取ってきます」
「ごめん、ミコちゃん……」
団長のがっしりした身体がどこか小さく見える。酔った挙句に腰を痛めたのは気の毒だが、普段は威厳があって頼れるイメージの年上の男性が、こうしてしょげている所を見るのはなかなか貴重だ。
どこか情けない色の目をしたセダさんの顔に仄かなギャップ萌えを感じつつ、私はセダさんの寝室へと向かい、毛布を取って戻る。
「ベッドに運べればいいんですけど、流石に私じゃお姫様抱っこってわけにはいかないですし……」
「いや、十分だよ。……ホントごめん、サンキュ……」
余程痛いのだろう、されるがままに毛布をかけられ、うーんうーんと唸っている姿に、じわりと罪悪感が沸いてきた。腰を痛めた事はないので、どのぐらい痛むのか見当もつかないが、ちょっと萌えとか言ってる場合じゃないのかもしれない。
それこそ本当に治癒魔術とか使えれば良かったんだけどなぁ、という考えがちらりと脳裏を掠め、フォックスの真剣な顔とユーハの王子様スマイルの記憶が同時に蘇る。いかんいかん、これでは病人……じゃない、酔っ払いプラス怪我人を放って薔薇色の世界に旅立ってしまいそうだ。
怪我人はともかく酔っ払いというのは、放置して妄想していても大して不謹慎じゃないような気もするが、まぁそれはそれ、これはこれだろう。
「ううっ、ぐ……」
体勢を変えようとして痛みに呻くセダさんの声に我に返り、慌てて毛布を持ち上げて手伝う。腰が痛むというならマッサージでもした方がいいのだろうか。いや、ぎっくり腰なら下手に動かさない方がいいのかもしれない。
「……あの、何か出来る事ありますか?」
この自慢のネコ耳をモフれば気が紛れるとか、その程度なら喜んで協力して差し上げよう。そう思って尋ねると、セダさんはへらっと笑った。苦悶に顰めていた顔からの、気の抜けた少年のような笑顔に、再び私の乙女センサーがピコンと反応する。
「……そうだなぁ。手でも握っててくれれば、それで良いよ」
ズキューン、という銃声と共に、ピンクのハートを銃弾が打ち抜くイメージが脳裏をよぎり、私はうっかり目の前の毛布に顔を埋めそうになった。
もしかして口説き文句か、フラグか、フラグなのか。いやいやそんなはずはない、いやしかしこれは――と硬直する私を、セダさんのとろりと潤んだ酔眼がじっと見つめ、脳内にアラームが鳴り響く。
私の精神的実年齢から見ても一回りは年上、肩書きは王国騎士団の団長、見た目は完全に男の中の男、しかも単なる戦闘馬鹿じゃなくて人間の深みさえ感じさせる飄々とした雰囲気の、頼りがいのあるセダさんが、この無防備かつ無邪気な笑顔で甘えん坊さんな要求をしてくるとは、なんという生物兵器だろうか。この人は一体何なのか。というかヤバイ可愛い。どうしよう。どうしたら良いのか教えてください神様仏様。
「……わ、分かりました」
いやいや落ち着け、と自分に言い聞かせつつ私は平静になろうと試みる。何と言っても相手は酔っ払いなのだ、何を言っても明日には絶対忘れているに違いない。
こっそり素数を数えながら、とりあえずセダさんの手を取ってみる。がっしりとした大きな手には、いくつもの古傷が走っていた。多分この手で剣を、盾を握り、数々の敵を屠ってきたのだろう。そうでなければ騎士団長なんてものにはなれないはずだ。
「……これでいいですか?」
返事は無い。ちらりと様子を伺うと、セダさんの目はもう閉じられていた。手の力はすっかり抜けていて、規則正しい呼吸音が聞こえる。眠ったのだろう。肉厚の手のひらを何となく撫でながら、脱力しきったセダさんの顔をぼんやりと眺める。
彫りの深い顔立ちは、歌って踊れるアイドルグループ的な分かりやすいイケメン、というのとはちょっと違うが、ハリウッド映画のアクションスターなら十二分に通用するだろう。いつも意志の強そうな皺を刻んでいる眉間はすっかり開かれて、どちらかというと気のいい大型犬のような、のほほんとした雰囲気を出していた。
こんな風に男性の寝顔を見る機会もそうそうないが、セダさんの寝顔を見ているのは、何というか酷く落ち着く気がする。
いや、他人の部屋で何を勝手に落ち着いているのか。深夜、異性の部屋で二人きりというシチュエーションで、のんびりしてしまっている場合ではないはずだ。
そこまで考えて少し慌て、セダさんの手を離そうとした時――きゅっと大きな手が私の指を優しく握り、再び緩んだ。
「――!」
目が覚めたのか、あるいは寝惚けているのかと身構えるが、規則的な寝息はそのままだ。念のため三十秒ほど数え、今度こそゆっくり手を離して、私はこっそりため息をつく。
セダさんは実は、物凄く女慣れしているのだろうか。冗談で私をからかっているようには聞こえなかったが、だとすると無自覚系の超タラシだったりするのか。
今のは本人の意識がないという事でノーカウントにするとしても――さっきの台詞は実に危なかったと思う。こっちに来てから上がりっぱなしのイケメン耐性がなければ、あっさりコロっといってしまったに違いない。
それで真に受けて翌日からお手製の弁当とか持参して「何いきなり彼女面してんだお前」とか真顔で言われたりして、ざっくり傷ついてさめざめと泣いている所をカーネル辺りに目撃されて、傷口に荒塩を揉み込んで乾かして新巻鮭にされてしまうのだ。きっと濁った目で虚空を睨み、開きっぱなしの口から呪詛を漏らしている内に、ハラワタを綺麗さっぱり掃除されて、発泡スチロールの箱に入ってクールな宅急便で年末年始のご挨拶に持参されてしまう運命が私を待っているのだ。おのれカーネル、七代は祟ってやるからな。
そんなことを考えながら、私は静かに静かにセダさんの手を毛布の中へとしまう。
酔っ払いの寝言とはいえ、まさかセダさんからこんなに甘い台詞が聞けるとは、完全に想定外だった。世の中は色々と広い。この騎士団にも、まだまだ未知の萌えが転がっているのだろう。
私はとりあえず脳内フォルダに、セダさんの寝顔とさっきの台詞を、がっつり保存しておく事にしたのだった。




