ACT4.5:参謀補佐の自問
※フォックス視点です。
深夜の事務局の椅子の上で、僕はとうとう山積みの書類の前に屈した。
全くと良い程減っていない書類の山を押しのけ、机の上に突っ伏す。今日は朝から集中力を欠いており、処理すべき仕事もロクに進んでいなかったが――もう、今日はこれ以上やっても無駄だろう。
「失敗、したなぁ……」
もうどうにでもなれ、という気分で首を回し、窓の外を眺める。すぐ隣の宿舎の建物ではなにやら賑やかな魔法の花火が上がっており、騎士達が騒いでいるのが聞こえる。誰かが酔って、羽目を外したか何かしているのだろう。呑気で羨ましい事だ。
はぁ、と深いため息をつくと、全身から力が抜けていくような気がした。
もう終わりだと思う。今日の所は無事に済んだが、明日はどうなるか分からない。最悪の事態を考えれば、一週間後には反逆罪でギロチン送り――いや、今すぐにでも団員の誰かの剣の露と消えていてもおかしくないと分かっているのに、何処かへ逃げ出そうという気は不思議なくらい起きなかった。
あのミコさんに妨害魔術を仕掛けるなど、どう考えても正気の沙汰ではない。
妨害魔術を他人に仕掛けるというのは、いきなり殴りかかるよりもタチの悪い攻撃だ。まして魔術師である僕が女性に思考誘導を仕掛けるなど、騎士が街中の女性にいきなり剣を突きつけて、路地裏に連れ込むようなもの。
そして、相手はあのミコさんだ。
結果的に抵抗され、失敗したからこそいいようなものの、成功していたら、と思うと――
どういうわけか、恐ろしさと同時に暗い喜びが湧き上がってきて、僕は頭を掻き毟った。
もう、自分が何を考えているのかさっぱり分からない。
そもそも、今日は朝からおかしかった。朝食を食べていた時だったか、ミコさんが治癒魔術を覚えるらしい、という他愛ない噂話を耳にしてからというもの、僕の頭は午前中一杯その事に支配されていた。
何がそんなに気になるのか見当もつかず、なのに頭がその事から離れない。解決できない疑問は不快感へと変わり、ならばその噂を根本から叩き潰してやろうと思い始めた頃、食堂でミコさんと出くわした。
ミコさんの魔力はほぼ純粋な時空属性だ。精神体である事は間違いないし、治癒魔術を覚えるのには苦労するだろうが、決して不可能ではないはずだし危険もない。が、それをミコさんは知らない。
無知に付け込んでやんわりと話を誘導し、ミコさんに治癒魔術を諦めさせれば不快感も収まるはずだと、そう考えて話し始めたはずだった。
なのに、ミコさんの腕には何処かで見たようなバングルが嵌まっていて――そこからユーハさんの魔力が漏れ出ていることに気付いてしまった僕は、どういうわけか頭に血が上ってしまったのだ。
ミコさんは単純な人だが、決して頭が悪いわけではない。稚拙で強引過ぎる説得はミコさんの不信を生み、反論されて血迷った僕はこともあろうに思考誘導を仕掛け、しかも失敗した。
その後の、嘘ではないが真実とも言い難いような会話で何とか目的は達成できたが、僕の胸に達成感はなかった。
そもそも、何故あんなに冷静を欠いていたのか、それが分からないのが気持ち悪くて仕方がない。
何故、ミコさんが治癒魔術を覚えるのが嫌だったのか。
何故、ミコさんがユーハさんのものを身に着けているのが嫌だったのか。
自分の話だというのに、分からない事だらけだ。僕はごろりと腕を枕にして、机の上で目を閉じる。
まずは、一つずつ問題を考えるべきだろう。
問題その一。治癒魔術をミコさんが覚える事の、何処が嫌なのか。
怪我人が出るたびに僕が駆け回らなくても良くなるなら、それは良い事のはずだ。なのに何故、そうして欲しくないのか。
これは、ミコさんが“片付け”が出来るという噂が広がった時にも生じた感情だった。何だかんだで、僕もミコさんにお願いしたこともあるが――効果の有用性はともかく、騎士達がぞろぞろとミコさんの部屋に押しかけるような事態は、好ましくない。
治癒魔術でもきっと、“片付け”の時と同じことが起こる。それは、好ましくない。
そう、好ましくないのだ。何故か。それが、分からない。
問題その二。ユーハさんのバングルを、ミコさんが身に着ける事の何処が嫌なのか。
ユーハさんが身につけているアクセサリー類は強力な魔道具であり、伝説級に匹敵するほどの防衛魔法がかかっている――というのは、王国騎士団の中では割と有名な話だ。
有力な地方領主であるフルフリッジ家がその昔建国王から賜ったとか、精霊から下賜されたとか、領内から発掘されたとか、門外不出の職人一族によって作られたものであるとか、色々と噂は尽きないが、そんな多種多様な噂話には一つだけ共通する点がある。
フルフリッジ家の紋章の入ったそれらの伝説級魔道具は、永遠の忠誠の証として、生涯守ると決めた相手に渡されるらしい、と。
あのバングルは伝説級なんかではなく、もっとずっと格下のはずだが――きっと多少の防衛魔術はかかっていたのだろう。ミコさんが僕の妨害魔術に抵抗できたのも、そのお陰かもしれない。
それなら、ミコさんの身の安全を図るという意味では非常に有用なはずだ。
ミコさんが安全であるのは素直に好ましいと思う。なのに何故、その好ましさを上回るほどの不快を感じるのか。
そう、不快なのだ。僕自身が純粋に私情で、それを不快だと思っている。
何故か。それも、分からない。
「……分かんないなぁ……」
口に出して呟いてみても、分からないものは分からない。
仕方なく、僕は違う事を考えることにする。すなわち、やってしまったことへの対処だ。
ミコさんに危害を加えたと知られれば――やはり、最悪はギロチンか、誰かに闇討ちされるか、そういった可能性を考えるべきだろう。
そうなると、僕に打てる手は多くない。涙を流し、反省を見せてミコさんに助命を願うか、あるいは身に生じる危険を全て回避して国外への脱出を試みるか、の二者択一だ。
しかしミコさんは、僕の事をあっさり許してくれた。見た感じでいえば、そもそも怒ってすらいなかった。
この世界の常識に疎いとはいえ、被害者本人であるミコさんが怒っていないなら――騎士団内での処罰で済む公算は高い。重ければ退団、軽ければリンチで半殺しとか減給とか、そういった範囲に留まるだろう。
その程度なら、仕方がない。痛いのは嫌だし、減給にしても不名誉な話だが、ギロチンから見れば比較にならないほど軽い。
でも、退団は嫌だな――とちらりと思って、僕はその感覚に違和感を覚えた。
騎士団に入ってから楽しい事ずくめだった、なんて訳ではない。半ば惰性でこなしてきた仕事に、僕は実はそんなにも執着していたのか。
まぁいい。どちらにしても、ミコさんを怒らせないように――できれば笑って許してくれる、この関係を継続できるようにする事が、身の保身という意味でも最善の策だ。
「……?」
また何かが引っかかって、僕は首を傾げた。
有用、そして最善。いつも僕の行動原理の中で揺るぎない価値を持っている言葉が、何故か酷く無意味で安っぽいものに思える。
ましてや“身の保身”という言葉に至っては口に出すどころではなく、考えただけで嫌になるほどの嫌悪感だ。一体、どういう事だろう。
僕はそんなに、清廉潔白な人間だったのだろうか。自分で思っていたよりもずっと、騎士団にいる事に誇りを持ち、王国に、そして精霊に忠誠を尽くす騎士でありたいと願っていた――と、そういう事なのだろうか。
僕が首をもう一度捻り直した時、地響きのような足音が遠くから近づいて来るのが聞こえた。
「――フォックス!いるか!?」
蹴破られるような勢いで部屋のドアが開き、赤髪の騎士が事務局の中に飛び込んでくる。声を聞かずともその動作だけで分かる。クラウさんだ。
「いますけど、どうしたんですか?」
「悪ぃ、手ぇ貸せ!説明は後だ!!くそ、カーネルは何処にいやがる!?」
「今日は確か外泊許可取ってま――」
「ッチ、使えねぇなオイ!急ぐぞ、宿舎だ!!」
最後まで聞く余裕もないらしく、クラウさんは来た時以上の速度で廊下を走り出す。その背を急いで追いかけながら、僕はなんとか持ち出してきた剣と杖を腰に落ち着けた。一体どんな非常事態なのか聞こうと、口を開きかけた時――
「くそったれが!あの馬鹿、マジで正気じゃねぇ!!」
建物の外に出た瞬間、クラウさんの言葉通り、正に正気の沙汰ではない事態が僕の目に飛び込んでくる。
宿舎の二階の窓の一つから巨大な氷柱が建物を突き破って外に飛び出しており、その氷柱からは更に炎と風、そして大量の土砂が庭に向かって吐き散らされている。窓の内側は目を向けるのもやっとという程の魔術の光に溢れ、その部屋の中がどうなっているかなど――いや、考えたくもなかった。
「あの部屋、ユーハさんですよね!?他には誰が!?」
「分からねぇ、多分ユーハ一人だ!」
「一人!?」
「とにかく上位は抑えに回ってるからそれ以外だ!団長は今呼びにやってる!」
「外部の人間と戦闘中という可能性は!?」
「なくはねぇが、構ってられるか!宿舎がぶっ壊れんぞ!!」
ごうごうと炎が燃え盛り、離れているはずの僕の頬にまで風の刃が飛んでくる。土壁が生成されては砕かれる豪快な音と、氷が爆発するかのように蒸発し続ける音を聞きながら、僕は懸命に対処法を模索した。
筆頭騎士であるユーハさんが全力で魔法をぶっ放しているとなれば、今から多少の結界を張った所で完璧には抑え切れないだろう。だが、これ以上手をこまねいていれば、クラウさんの言う通り、宿舎の建物が木っ端微塵だ。窓が元々開いていたかどうかは定かでないが、既に耐魔レンガで造られている建物の外までこれだけの被害が出ている以上、取れる手段は限られる。
いくつかのパターンの中から考慮すべきリスクの大小を比較、各手段の実現可能性と得られる結果を演算。イレギュラーな要素を加味した上でメリットとデメリットを再検討し、僕は数瞬の後に最善と思われる手を選び出した。
――ユーハさんを無力化する。万一不審者と戦闘中だったとしても、二人とも同時に無力化してしまえば、後はクラウさん達上位騎士が何とかできるはずだ。
「――魔力を枯渇させます!抑えの人たちに一旦離れるように言って下さい!」
「よっしゃ、頼むぜフォックス!!」
轟音にかき消されないように精一杯怒鳴ると、僕は二種類の結界を張り、精神を集中し始める。唱える呪文はなるべく大量の魔力を消費する――それでいて無害な、光属性の古代魔術だ。
「……地を覆う闇を払い、光をもって天を満たせ。全ての色なきものを彩り、色あるものを蘇らせよ……」
詠唱が長く、戦闘中の使用はほぼ不可能。魔力の燃費が悪すぎる上に、効果も原始的で使い所が難しく、使用者はほとんどいない――そんな古代魔術を本で読んで覚えていたのは殆ど偶然だった。無駄に量だけは多かった師匠の蔵書に、今更ながら感謝する。
詠唱と発動の制御は僕がするが、実際に使うのはユーハさんの周囲に漲る魔力だ。
神経を研ぎ澄まし、周囲の空気を満たすユーハさんの魔力の流れを遡って“本体”の位置を特定する。先ほどクラウさんが言った通り、正気を感じられない――指向性もなく無秩序に荒れ狂っている魔力を無理矢理まとめ、残りも根こそぎ引きずり出して、編み上げつつある魔術へとねじ込み、僕は思い切り目を瞑った。
「……古の精霊・リュミシエールの名を借りて、世の始まりの光を再び世界に呼び戻さん――“極光白明天布”!!」
上手くいった、という手ごたえがあった。
冗長で大仰な呪文の詠唱を終えると、辺りを支配していた破壊音がぴたりと止まり、奇妙な静寂が訪れて――直後、きつく閉じた瞼の裏側まで白い光が突き刺さる。
口早に闇魔法を唱え、自分の体を影で覆ってから、僕は急いで目を開けた。耳鳴りがするほどに静かになった宿舎からは、強烈すぎる光に目を痛めたらしい騎士達の呻く声が聞こえてきている。
膨大な魔力をただひたすらに、光に変換するだけの魔法。厳密な調整を加えれば夜間の戦闘に使えなくもないが、基本的には目くらましの役にしか立たないような古代魔法が、こんな場面で役に立つとは――と妙な所で感心しながら、僕は宿舎の中にいるはずのクラウさんに向かって叫ぶ。
「クラウさん!どうですか!?」
「フォックス、助かったぜ!!目がやられて何も見えねぇが、全員多分無事なはずだ!!」
「あと三分ぐらいで切れますから!そのままじっとしていて下さい!!」
全ての影が焼き尽くされたかのような白い光の中、僕は宿舎に向かって走り出す。
先ほどの魔力の手触りから、この事態を引き起こしたのはユーハさん一人だと分かっている。寝惚けたか八つ当たりかといった詳細はともかく、いつも冷静に見えるユーハさんにとっては、手痛い失敗だろう。
騒ぎが落ち着いたら、彼はどんな顔で僕達に頭を下げるのだろうか。そう考えると、つい唇の端が上がった。
ちらりと胸をよぎるのは――この騒ぎを収めた手柄があれば、ユーハさんは簡単には僕を騎士団から追い出せないだろう、という慎ましやかな打算だ。
追い出されさえしなければ、僕は明日も明後日も、事務局の椅子に座って書類と格闘しているはずだ。それが良いのか悪いのかは分からないが、とにかくそう遠くない内に、ミコさんとプリンを食べる約束を果たせる。
――僕はそんなに、あの“プリン”という食べ物が好きなのだろうか?
微かな疑問にまたしても引っかかりを覚えながら、僕はとにかく事態を収拾するべく、宿舎へと飛び込んでいった。




