水呼(すいこ)
作者に、ソレに心当たりのある人を非難したり貶める意図はありません
夕暮れ時、人気の減った校舎の中。どこからかピチャ……ピチャっと水滴が落ちる音が響く。
ソレが何時から始まったのか、私には分からない。
―――いいえ、むしろ誰にも分からないと思う。
滴り落ちる水音は、古くなった水道の、緩んだ蛇口が奏でる悲愴曲。
滴り落ちる水音は、雨上がり、無造作に掛けられたまま、忘れさられたモノが奏でる哀愁の調べ。
滴り落ちる水音は、未来に怯えて目を腫らし、今を苦しむ、過去を嘆くモノの慟哭。
滴り落ちる水音は、殺人者の持つ、血塗られた刃物を伝え落ちる怨嗟の声。
滴り落ちる水音は、闇に流され、涙と涎を垂れ流す、飢えた、人に在らざるモノの声なき声。
滴り落ちる水音は……滴り落ちる水音は……滴り落ちる水音は……。
―――足元から聞こえた。
――――――
―――――
――――
最初に“ソレ”に気がついたのは、私の友達だった。
夏の日差しに目を細め、澄み渡る青空と真っ白い雲を、何をするでもなく、二人で見ていた。
初夏。
親友と言うほど親しくは無いが、それなりに長い付き合いだったので、ソレに付いて語る友人が、冗談を言っているのでは無い事は理解できた。
―――理解できないのは、その内容だった。
「水音が聴こえる」
夏休みに入る前、学校の帰りに寄った喫茶店で、友人は私にそう言った。
意味がわからなかった。
今でも、意味は理解できない。
理解できたのは、それが私にたいする、友人からの遺言になったということだけ……。
「水音が聴こえる。
雑踏の中で、ふと耳を澄ますと水音が聴こえた!
学校の教室で、淡々と授業を進める教師の声に隠れて、ひっそりと水音が響いた!
昼休み、和気藹々とざわめく教室の中。みんなとのおしゃべりの中。姦しさ紛れること無く、ぴちゃりと鳴った!
最初は気のせいだと思った!
水音が聴こえることなんて、珍しい事じゃない……。
ただの、空耳だと思ってた……。
―――違う!
違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違う!違うッ!
本当は、分っている!
本当は、知っている!!
本当に、理解して…る……?」
これが友人の最後の言葉。
どうしてこうなったのだろう?
バレンタインの時は、想いが叶ったと喜んでいた。
ホワイトデーの時は、二人で仲良く過ごしていた。ちょっと羨ましかった。
エイプリルフールは、別れたと泣いていた。それを真に受け、慰めようとした私を見て、笑った。
ゴールデンウィーク、友人同士、私の家に泊まることになった……と言うことになった。
梅雨前線、豪雨の中。友人と二人で騒いだ。
泣いて、嗤って、抱き合って……そして、別れた。
ニヶ月前の嘘が、本当になってしまった。
次の日、学校に来た友人は、昨日のことなど無かったかのように笑っていた……と思う。
私も、きっと笑っていたはずだ。
夏休み。
手早く宿題を終わらせ、アイスを片手に、部屋でくつろぐ私の耳に、家族の私を呼ぶ声が入った。
それは、友人の死を知らせるモノだった。
溺死。
事故、自殺の両面で、警察が調査中らしい。
詳しい話は忘れた。
―――というか、耳に入らなかった。
遺体は……見ない方が良いと言われた。
頭が混乱して何も考えられなかった。
そして気がついたら……
通夜が終わり、葬式も終わり、七月も終わった。
お盆には、里帰りだけではなく、友人の墓参りにも行く予定を立てた。
通夜や葬式で、友人の想い人がどうしたか知らない。
友人は想い人が誰かを、教えてくれなかったから……。
誰かは恥ずかしいから言えないけど、身近な人だって事だけは教えてくれたから、焼香くらいはしていると思う。
――――
―――
――
次に“ソレ”に気づいたのは、級友だった。
「水音が聞こえない?」
それが遺言なのか、どうかは知らない。
―――級友とは、あまり親しくないから分からない。
川遊び中に、ゲリラ豪雨による鉄砲水で流され行方不明。
不謹慎な言い方だけど、風物詩的なニュースを見て、その悲報を知っただけなので、詳しいことは分からない。
それに級友とは、あまり話したことがない。
明るくてお調子者。
おとなしめであまり目立たない私とは、正反対のタイプ。
だからなのか、必然か偶然か知らないけれど。
友達も多く、人気が有った彼と、私との接点は薄かった。
別に嫌われてるわけでも、嫌ってるわけでもない。
ただ、合わなかっただけだと思う。
だから、私に分かるのは、夏休み前に教室で、彼が友人と同じようなことを、誰と無く口走っていたって事だけ……。
その時、ただ、ああ、そういうことか……と言った思いを抱いた事しか、今は覚えていない。
―――
――
―
最後に“ソレ”に気づいたのは、私だった。
でも、本当に最後かどうかは分からない。
他に気づく人も、きっといるはず。
―――心当たりのある人は……気づいていてしまう人は、きっといるはず。
カタンコトン、カタンコトン。
流れる景色、駆動音と空調だけが響く車内。
乗客は少なく、席はガラガラ。
だから遠慮無く、二人掛けの席の窓際に座った。
耳を澄ます必要なんてない。
ふと気がつくと―――意識すると、聞こえてくる水の音。
たぶんソレは、ずーっと鳴り続けていた。
だって“ソレ”は普通のこと。
噂話の中で、テレビの向こうで、雑誌の片隅で、世界のあちらこちらで……当たり前のように語られる小さな悲劇。
ただ、意識していなかっただけ。
ただ、考えてなかっただけ。
ずっと、目をそらし続けていただけ……。
“ソレ”は、流れる血潮のように、ゆるゆると、ずっと、ずーっと流れ続けていたんだと思う。
流れ着く先は分からない。
分からないけど……ソレはきっと、限界を越えた。
だってソレは許されることでは無いはずだから。
原因結果、因果が巡った帰結。
そこにあるのが愛だとしても、きっと許されることではない。
だって許すことのできる“人”は、声を出せないのだから……。
―――。
友人は、ソレを知った。それとも、知っていた?
級友は、ソレに気づいた。それとも、気付かされた?
私は、ソレを学んだ。それとも、教えられた?
―――私も、知ってしまった。
お盆の前に、私は、家族で海水浴に行くことになっている。
楽しみでもあり、不安でもある。
―――やはり、私も、溺死するのだろうか?
離岸流に巻き込まれ、流されるのか?
手足に海藻が絡んで、敢え無く溺れるのか?
高波に攫われ、水面の底へと沈むのか??
いいえ、違う。
私は、たぶん、だいじょうぶ。
ふと気づくと聞こえてくる、水の滴る音。
ポタポタと床に落ちる音。
ぴちょ、ぴちょっと断続的に滴る音。
音源は見当たらない。
それでも何故か、聞こえる音。
雑踏の中であろうと、ふとした拍子に聴こえる音。
“ソレ”は、友人や級友と同じようだけど、少し違うと私は思っている。
私の“コレ”は、ただの哀愁。
亡き友人を思う気持ちに、依られただけ。
だから聞こえてくる、滴り落ちる水音は、きっと私の涙。
―――“声”じゃない。
友人が聴いたのは、名無シの声ナキ声。
級友が聴いたのも、きっと同じ……。
だから、私は、だいじょうぶ…………。
私が水に呼ばれる心当たりは、無いのだから。
――
―
かぁごぉめ、かぁごぉめ
かぁごのなぁかのとぉりは、いーついーつでーやぁる?
よ、あ、け、の、ばぁーんに、つぅーるとかぁーめがすーべったっ
うしろのしょうめんだーれ?
だぁーれ?
だ~れ?
わたしです
ヘ(^q^)ヘ
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