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三度目の運命  作者: 霜月栞那
三度目の運命
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3

「す、すみません」

「―――おまえ」

まさかこんなところで。そう思ったのは尚貴だけではない。その証拠に息を切らしている青年もまた、呆然と尚貴を見上げている。彼の性格ならとっくに放させているだろう尚貴の手もそのままだ。

お互いを見つめること数秒、我に帰ったのは青年が先だった。

びくりと反応をして振り返った彼につられ、尚貴もまた彼の背後に目をやる。視覚よりも聴覚が彼に起こっている状況を伝えてきた。

怒声とも取れる野太い声が複数、徐々に近づいてきている。

そちらに気を取られた隙に、青年が走り去ろうとする。咄嗟に掴む手に力を入れれば、彼はそれ以上進めなくなる。

「な……っ」

慌てた声が聞こえたが、尚貴は敢えて青年の走ってきた方向を向いていた。

声の近づくスピードは思ったよりも速い。

「追われているのか?」

「わかってるなら手を離せよ……っ」

今更場所を変えようにも姿を見られるだろう。最悪、彼の仲間として追われる可能性がある。だったら状況を逆手に取るほうが手っ取り早い。

無駄な努力はしたくない。

つまらないありきたりな方法しか浮かばない自分の頭には舌打ちしたくなったが、しかし他に浮かぶものもない。相手がどうしようもない顔をしていなかっただけ良しとするべきか。

諦めとも覚悟のものともつかない溜息を洩らした時だった。


「―――自業自得だからな」


嫌そうに呟いた彼の声に尚貴が首を戻した途端、伸びてきた指が尚貴の襟首を捉えた。そのまま問答無用で引き寄せられ、尚貴は反射的に目の前の壁へと手をつく。

「お、おいっ」

囲むようになったスペースの中、彼は尚貴と向き合うように体勢を入れ替た。そのまま空いている手を尚貴の後頭部へと回す。

尚貴が頭の中で描いた構図が微妙な調整を加えて成り立っていた。

「おまえ……」

「いいから、黙って」

抱き寄せる力はやはり男のもので、有無を言わせない。尚貴の頭を抱えるように抱き寄せた彼は、甘えるように尚貴の胸へと顔を寄せてきた。

「少しだけ、我慢してよ」

懇願の言葉を裏付けるように、回された腕が微かに震えている。

追っ手に見つかるかもしれないという恐怖か、それとも慣れないことだからなのか。

どちらか一方が欠けていたら尚貴はこのまま壁くらいにはなっていた。しかし両者だというのなら、協力をしてやってもいい。

尚貴は自分の波ある性格に自嘲すると、思考を切り替えるため溜息交じりの息を大きく吐き出した。

壁についていた手を彼の腰へ回すと、慌てて躰を話そうとする彼に自由を与えず更に引き寄せる。その細い躰が前を開いていたコートの内側にすっぽり嵌るのを見て笑みが浮かんだ。

「あんた……っ」

「協力してやろうと思ってな」

俺のせいなんだろう? とその耳元に唇を寄せれば腕の中の体が震えた。



大通りの喧騒が全く聞こえず、確実なのは布越しに伝わるお互いの体温のみ。自分のいる街の喧騒などとっくに消えうせている。

女を抱き慣れた尚貴にとって、男はその腕に囲むだけの価値を持たない。ましてやお互いの躰をここまで密着させることは想像不可能だった。

それが今、こうして女以外の温もりを自ら抱き寄せている。嫌悪感は湧かず、それどころか震える身体を落ち着かせてやりたいとすら思えてくるから不思議だ。

雰囲気に飲まれているのだろうか。

考えて苦笑をした。これにははっきりとノーと答えられる。

もともと尚貴は流されるということを嫌う。周りに止められようと、嫌なものは嫌と口にしなければ気がすまない。小説家という道を選んだのだって、会社勤めをする自分が想像できないからだ。

ならば、なぜ。

考えるよりも先に身体が動いていた。

未だ壁に残していたもう片方の手を青年の後頭部へと回し、項を固定することで自分を見上げさせる。暴れかけた身体を封じ込めるのは簡単だった。

「ちょ……っ」

「静かに」

彼が追われているということもすっかり頭から抜けていた。自分の感情のベクトルがどうなっているのかを知ることのほうが、今の尚貴にとって優先事項なのである。

向けられた視線が女性のように媚びておらず、こちらの出方をただ待っている。

手馴れた探り合いのない、真っ直ぐな視線が心地好い。

引き寄せられる、という表現を尚貴は初めて体験していた。



「人で遊ぶのはやめてもらえませんか?」

先ほどまでの必死さはどこへいったのやら。軽い口調で言い放ちながら、彼は尚貴の作った囲いから抜けていく。

その言い草に、尚貴は苦笑を禁じえなかった。

「遊ぶとは、そりゃまたえらく誤解されたものだな。俺は恩人じゃないのか?」

「それに関しては感謝していますよ」

限定されてしまうのは、本能の赴くままに顔を傾けた尚貴の余計な行動のせいだ。ついつい目の前にあるものに目を奪われてしまった。

それは重なる前にしっかり彼の指に止められてしまったけれど。

「助けた礼の一つと思えばいいだろうが」

口とは反対のことを考えている自分がいる。

「……ノーマルじゃないんですか?」

「いろいろな意味でな」

男と女、採るのはもちろん後者がいい。しかしあれは自分の意識が制御できない行為だったのだから曖昧な表現選んだ。

もっともあの店に好んでいったのだと思われていれば白々しいことこの上ない。

言いたいことが判ったのだろう。青年がふと笑みを浮かべるのを横目に、尚貴は懐を探った。煙草を取り出せば、当然のように火が差し出される。

無言のままそれを受け取ると、尚貴はしばらく煙を燻らせる。

もしもあれを許されていれば、尚貴の彼への興味は失われていたかもしれない。そこらの女と大差ない、刺激のない人間だと。

しかし、それを彼自身が止めた。

煙草に隠された唇が歪む。

「――どうするんだ?」

「どう、とは?」

「その格好だと、店から抜けてきたんだろう? ということは店に出した履歴書の場所には帰らないほうが身のためだ。今ごろ間違いなく見張られているな」

「…………」

尚貴の言葉に彼は俯く。恐らく彼の頭はフル回転をしていることだろう。彼は執るべき行動を自分で導き出せる人間だ。少なくとも尚貴はそう思っている。

態度といい言葉使いといい、そこら辺に座り込んで他人の評価を気にするようなオコサマ達とは比べ物にならない。相当の何かが彼の中に存在しているはずだ。それは初対面のときの会話でわかる。

何を隠しているのか。

煙草がフィルター近くまで灰と化しても一向に答えは出されなかった。それだけ彼が切羽詰った状況にいるということだろう。人間追い詰められれば第三の選択肢を求めるものだ。


「匿ってやろうか」

あらかじめ考えていたわけではなく、ぽつりと落ちた言葉。だが、そう音になったのならば、やはり自分の中にある言葉なのだと思う。

迷う青年の姿を見て、好都合だとほくそ笑む自分がいる。

傍の空気が動く気配に、尚貴はことさらゆっくりと顔を向けた。

今、こちらに向けられているのは訝しさと戸惑いの入り混じった視線だろう。

暗がりの中、見えない表情に尚貴は小さな笑いを洩らす。

「ただし、条件がある」

「……条件?」

「そう、条件だ。それを呑むならほとぼりが済むまで逃げ場所を提供してやる。どうするかはおまえ次第だ」

「――条件の内容は?」

「おまえが頷けば教える。受けないのであれば、必要ないだろう?」

未成年だろう彼に不利な駆け引き。こちらも一人きりの平穏な生活を放り出すのだから、それに見合うものを手に入れたいと思っても罰は当たるまい。

もっとも咄嗟に出た言葉だから、この時点で浮かぶ条件なんてものは一つしかない。

焦らすこともなく、ただ無言で彼の葛藤を見守る。知らず笑みが浮かぶのは彼の足元を見据えているからだ。

深い溜息とともに、答えは出された。

「……ひとつだけ。言えないことは話さない」

真っ直ぐ向けられた瞳が何よりも尚貴を擽る。

どんな場合でも失われないこの強い瞳に、尚貴は惹かれたのだ。

「善処してやる」

この言葉がどれだけずるい物なのか、彼はわかっているだろうか。



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