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三度目の運命  作者: 霜月栞那
三度目の運命
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『いい店があるんだ』

そんな言葉に釣られた自分に舌打ちしたい気分だった。


通りから一本外れた位置。看板もなく、ただの雑居ビルと見間違う建物の中に異空間が突如として出現する。

言わずと知れた会員制の空間である。

各テーブル席に置かれたランプを主照明に、小さな明かりが通路の足元を照らす。調度品は華美を超え、フロア中に敷き詰められた絨毯のおかげで人の近づく音は気にならない。ソファーは座りごこち抜群だし、使われるグラス等も名のあるものだ。

今尚貴の目の前にあるのは適当に作られたダブルが一杯。その脇には彼がキープしているというボトルと氷が山になっている器がある。

酒がまずいのは仕方がないと割切っていたし、側に座る相手との会話を売り物にする店なんて、そんなものだろう。人の奢りに味の良し悪しをいう権利はない。

ただ、二十歳前後の姿しか見当たらないのはいただけなかった。


何をどうみても違法バーとしか表現できない店で、更にはいかにも高校生ですといった少年たちがギャルソン姿でフロアを闊歩している。ここにいる以上、彼らも少女と同じ働きをすると考えるのが妥当だろう。

青少年保護条例などと法規制されていても、所詮は抜け道があるものだ。表に出てこない大物が支えれば、そこは立派な治外法権の場所となる。この店はそれを充分に証明していた。

「ずいぶん、浮かない顔だな」

この店に連れてきた張本人がにやけた面をして訊いてくるのにも腹が立ってきた。こんなことなら大人しく仕事場で次のプロットを作っていたほうがましだっただろう。

「……おまえ、いつからこんな趣味に走ったんだ」

「わりと最近さ。意外とお偉方はこういう場所が好きなんだぜ」

答えながら、彼は自分の側に座る店の少女の腰に手をまわす。自分に触れる男の手に小さな悲鳴が上がるが、それも媚を売るための慣れたものだ。

お偉方がと言いつつ、彼自身が楽しんでいるのは傍目からでもわかる。尚貴の心境を意識しないままの友人は、お気に入りらしい少女の気を引くために必死だ。

この席に座った当初から自分の横にも一人ついているが、尚貴は構う気力すらわかなかった。

こんなところまで来なくても相手を求めていないし、求められても迷惑なだけだ。店に対して満足できないから作られた水割りの薄さもいつも以上に気になる。

もっともこんな場所に来られる立派な生活をしていないから、体験としては面白いが。

暇つぶしに水割りを舐めながらさりげなく店の中を見渡す。


この特殊な空間を文字で表すときに、自分ならどうするだろうか。

こんな場所に来てまで仕事から離れられないのは我ながら毒されていると思う。

煙草を咥えようと手を伸ばしかけた尚貴はその動作をやめた。ここで吸えば間違いなく隣にいる少女が何らかのアクションを起こしてくるのは判りきっている。それが今は面倒くさい。

逡巡した後、尚貴は無言で立ち上がると、視線を投げてくる相手にちょっと、と言葉を濁した。とりあえずは手洗所が無難だろう。

席を立てば、薄暗い中でも今まで見えなかった周りが見えてくる。酒に飲まれつつある者をはじめ、テレビ等で自己主張を行って憚らない顔見知りもいた。こちらに気づかれないうちに退散すべきかもしれない。

店員の小さな合図に導かれながら尚貴は目的の場所をようやく目にした。離れた場所に見せかけるために通路がさらに奥へと続いている。

「……なんて場所だよ」

たどり着く前にげんなりとしてしまった。



客が気分よく寛ぐための場所と、現実問題としてなくてはならない場所と。磨りガラスのはめ込まれた一枚板の扉は、ある意味空間を区切るのに役立っていた。

豪奢なそれに手を掛けた尚貴は、初めて中からの話し声に気が付いた。

こんなところでする会話なんて聞こえのいいものではないだろう。扉が丈夫な分外まではっきりとは届かないそれに、耳を傾けた尚貴は舌打ちした。

好奇心に従ってこのまま聞き耳を立てていたい本音と、こんなところで痴話げんかするなという迷惑な思い。そしてここで帰れば少女が席に待っているという面倒くささ。こんなときに勝つ感情はもちろん自分の都合だ。

ゆっくりと扉を押し開けた尚貴は、明かりのギャップに目を細めた。店内が秘密めいた暗さなら、ここは清潔感をアピールするための眩しさを演出している。

何度か瞬いてから扉の向こうに視線を走らす。正面の姿見を中心に、右手が個室と手洗場。そして左手には場所が場所なのになぜか数個の椅子が置かれている。灰皿があることから一種の喫煙空間なのかもしれない。


件の人物たちは、というとその謎な空間にいた。従業員と客と見るの正解で、どうみても従業員が迫られているようにしか見えない。

尚貴が足を踏み入れるのと同時に二人の会話は止まっていた。しかし体勢を変える余裕はなかったらしい。迫る男に視線をやると、慌てたように従業員と距離をとる。そのあからさまな行為が滑稽で、尚貴は知らず口元に笑みを浮かべていた。

「ああ、どうぞお気になさらずに」

さも自分には興味がないのだという態度をとりながら、少年の肩に置かれた男の手をみやる。

男は弾かれたように少年との距離をとったものの、表情を繕うのに失敗した。浮いてもいない汗を拭う振りをしながら、たった今まで迫っていた彼には目を向けることなく、足早にこの場から去っていく。

場所を弁えず行動をするわりには反応がいまいちだった。途端に尚貴の興味が薄れていく。

もう少し噛付けば面白いものを、と不遜なことを考えながら煙草を取り出した。

「どうぞ」

目の前に日が差し出され、尚貴はようやくもう一人の存在を思い出した。他所を向いている間に近づいていたらしく、細身のライターで火を差し出している。

無言でそれを受け取りながら、尚貴は素早く目の前の相手を観察した。

こちらの出方を待つ彼は、あどけなさが残るものの顔立ちなどといった幼さは抜けかけている。未成年には違いないだろうが、その域を脱出しつつある年齢だろう。

自分よりも顔一つ分低い身長、そしてそれに見合う線の細さはそこらの女よりも華奢に見える。色事に興味がないという雰囲気が男の嗜虐心を煽るのかもしれない。店内で見かけた中でもまさしく上玉だ。

気になることのは、こちらを覗う目が際立った感情を写していないことだ。開き直りというのともまた違う感がある。

「僕の顔に、何かついていますか?」

にっこりと浮かべられた笑顔がこの場にそぐわない。体を売るような商売をするように見られない外見が客に受けるのだろうか。

数時間ぶりの煙に肺が歓声を挙げる。ゆっくりとそれを吐き出しながら、尚貴は彼を見やった。

「邪魔をしたな。儲けるチャンスだったんじゃないのか?」

嘲るように言った尚貴は次の瞬間鋭い視線を感じ、息を呑んだ。それはすぐに隠され、再び強者に従順な表情に戻ってしまう。

「先ほどの方は酔われてしまったんですよ。僕はそれを支えていただけです」

白々しい回答だが、接客業のものとしてはまずまずだろう。自分の仕事をしっかり認識している証拠だ。これでべらべら喋るようなら店側事態が損失を被ることになる。

未成年を雇うわりには従業員への教育がしっかりしているらしい。

先ほどの視線がなければ、あっさり興味も失っていただろうに。煙草を半分吸い終わっても逃げようとしない彼に、尚貴は密かに笑みを浮かべた。

しばらく沈黙が落ちる中、眩しい照明が彼の胸元にあるプレートを光らせた。“SOU”と書かれた名前は店での名前かそれとも本名か。

先ほどのことがなかったかのように振舞う彼の表情を崩してみたい。そんな子供じみた欲求に突き動かされる。

「なんで、こんなところでアルバイトを?」

一瞬の間を置いて彼は苦笑を浮かべた。歳に見合わないこなれた表情に、尚貴は感心する。まとわりつくだけの少女よりも余程扱い難い雰囲気が見え隠れし始めていた。

「……ここでは禁句ですよ、それ」

目を見返すだけの余裕もある。しかしかろうじて対客用を保っているが、向けられたそれは無表情に近かった。

しかも開き直って返してくるのかと思えば、つまらない禁句という言葉でやり過ごそうとする。自分の感情と切り離した対他所様用の作られた表情。

予想通りで気に食わない。

「それは失礼。庇護下にある年齢の君たちがこんな時間まで働いているのを見て気になったものだから」

表面だけの謝罪と言い訳が口から出てきた。肩を竦めてみせたのは、彼を不快にさせるためだ。

「それとも、年上好みだからかな?」

「―――意外と詮索好きのようですね」

案の定、彼の視線の温度が下がったのを感じる。もう一押しすれば踏み込める手ごたえを感じ、尚貴は唇に笑みを乗せる。

「性分だと思ってくれ」

「僕が、素直に答えると思いますか?」

「そう思いたいな」

ゆっくりと距離を縮める尚貴に押されながら、彼が一歩、また一歩と後退をする。壁が彼の背中にあたったのを見逃さず、尚貴はその脇に手をついた。

先ほどの男と同じことをやっている自覚もあるが、それはこの際目をつぶることにする。

「この店は、持ち帰りができるのか?」

「……それを知って、どうなさるんですか?」

「愚問だな」

あからさまな媚を売る相手のいる店に来て、持ち帰る理由なんて一つしかない。

その気があることを見せれば彼の態度も変わるだろう。そう思い行動した尚貴は、ある意味それが正しかったことを知る。

「未成年に興味のない人は止めたほうが良いですよ。それと、店の外はね」

これが本来の彼なのだろう。怯えた瞳が一転し、強い光を帯びて尚貴を見つめてきた。表情もがらりと変わり、声もはっきりとした口調で出されている。

「どうしてそう思う?」

「店に入ったときに興味のある顔をされていたら、その言葉も信じられますけれど」

「……なるほど。観察をされていたわけだ」

「貴方は目立つんですよ。いろんな意味で」

ふふっと笑うその表情は、先ほどから見せていたものとは違う。勝ち誇ったようでもあり、純粋な笑みにも見える。

一本獲られた尚貴の檻から彼は抜け出し、扉のほうへと向かう。それを目で追いながら壁に背を預けると、振り返った彼と視線が合う。やけに真剣みを帯びたそれに尚貴は眉を顰めた。

「……なんだ?」

「興味がないのなら、早くこの店を出たほうが身のためですよ。あらぬ噂を立てられないように、ね。――小説家の、都さん?」



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