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三度目の運命  作者: 霜月栞那
序章
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開かれる運命の狭間(後)

コートに隠された身体と身長差が功を奏したのか、男たちは二人の側でペースを落としたものの、割り込むようなまねをしてこなかった。

見られているのは感じても、窺うような真似はしない。今は完全に彼らが立ち去るのを待つのが最善だと蒼は知っている。

ふいに、壁についていた男の腕が動いた。それは蒼の後頭部へと回され、掌が項を包み込むのを感じ、蒼は仰向かされる。

「ちょ……っ」

「静かに」

文句を言いかけた蒼は涼しげな男の言葉に声を失う。

見上げた先に欲が秘められているわけでもなく、まるで観察するように蒼を見下ろす相貌。店に来た男たちの視線とはかけ離れたそれに、蒼は抵抗を止めた。口を閉ざし、大人しく彼を見つめる。

もし自分が女性だったらうっとりと瞳を蕩けさせたことだろう。それだけの魅力が彼にはある。それを認めはしても、自分は男だ。冷静に相手の感情を見るだけの余裕もある。

やがて二人以外の気配が闇に紛れる。

近づいてきた唇を指で押しとどめていた蒼はにこりと微笑んだ。

「人で遊ぶのはやめてくれませんか?」

軽い口調でいいつつ腰に回された腕を無理やり解くと、苦笑混じりに反論が返ってくる。

「遊ぶとは、そりゃまたえらく誤解されたものだな。俺は恩人じゃないのか?」

「それに関しては感謝していますよ」

複雑な色をする心中を他所に、営業用のスマイルを浮かべ、蒼はあっさりと返す。

あのときとっさに体が動いたのは本能だと思う。今まで蒼に迫ってきた客とは違い、抱く嫌悪は明らかに少なかったけれども。

「助けた礼の一つと思えばいいだろうが」

「……ノーマルじゃないんですか?」

「いろいろな意味でな」

彼が含むのは二人が出会った場所だと蒼は気づく。同時に彼は店の中で不機嫌そうだったのを思い出した。あの場所を好むのなら、ノーマルと言われても素直に頷くことはできない。


蒼が働いていたのは、治外法権的な会員制の場所だった。未成年の少女を腕に抱いて酒を飲む連れの側で、つまらなそうに周りを観察していた彼を思い出す。

わかりやすい答えに苦笑すると、ふいに男が懐へ手を動かした。彼の目的を知り、蒼は癖で火を差し出す。煙草に縁がなかった蒼だが、この行為だけは店にいる間に慣れてしまった。

無言のままそれを受け取ると、男はしばらく煙を燻らせる。その先から昇る紫煙をぼんやりと見やっていると、不意に声をかけられた。

「――どうするんだ?」

「どう、とは?」

「その格好だと、店から抜けてきたんだろう? ということは店に出した履歴書の場所には帰らないほうが身のためだ。今ごろ間違いなく張られてる」

「…………」

悔しいが、彼の言う通りだろう。今から向かっては捕らえてくださいと自分から進んで首を差し出すようなものだ。

あの店で働くことを決めたとき、用意された仮の家が履歴書に書かれている。何かあった時用の対策にとの用心が功を奏したわけだ。

唯一の救いは、同じく店に入っていた仲間が今夜の出来事を連絡しているだろうこと。あとは向こうから接触してくるだろうから、それまで己を守らなくてはいけない。日中動くにしてもそれまでまだ時間はたっぷりとあるし、この格好も何とかしなければ。

だが、服装を変えるにも今の蒼には持ち合わせがまったくない。店の規定にか違反するからと固いことを言わず、財布くらい身につけておくべきだったと後悔しても後の祭りだ。

後悔するより動くのが先決。それがわかっていても、とるべき行動が沈んでいては動き出せない。

空回りする思考を止めるように、蒼は唇を噛んだ。

「匿ってやろうか」

強い言葉に、蒼は我に返る。顔を上げれば、煙草に視線を向けたままの男がこちらを向くとことろだった。

二人の間に距離ができたせいで彼の表情を読むことはできない。ただ、含むような彼の視線だけを感じる。

少なくとも今夜一晩は身を隠せる場所ができるし、蒼の背後にいる人物との連絡をとることも可能になる。しかし、蒼を匿うことで彼に何のメリットがあるというのか。

見上げる戸惑いの視線に男は小さく笑う。

「ただし、条件がある」

「……条件?」

「そう、条件だ。それを呑むならほとぼりが済むまで逃げ場所を提供してやる」

どうする? と返答を待つ姿は先ほどと変わらない。

後は蒼の出方次第というわけだ。

「――条件の内容は?」

「おまえが頷けば教える。受けないのであれば、必要ないだろう?」

ここで手酷く拒んだらどんな表情をするのだろうか。初対面のときにこの会話があれば間違いなくそれが見られたに違いない。

こんなところで時間がかかれば追っ手が戻ってくるかもしれない。蒼は俯き、深い溜息をついた。

目の前にあるのは確信の笑み。蒼が受けるだろうことを彼は知っているのだ。

「……ひとつだけ。言えないことは話さない」

「善処してやる」

勝ち誇った笑みとともに、男はあっさりと頷いた。

早まった決断かもしれないという思いが胸をよぎる。しかし、これが今の最良なのだと信じるしかないのだ。


これで話は終わりだというように、男は短くなった煙草を地面へ落とした。爪先で火種を消すその仕草は慣れたものだ。何を言うでもなくそれを無言で見つめていると、ふいに男の指が蒼の眉間をつつく。

「な……っ」

「皺が寄ってる」

これといった意味はないのだろう。触れられたところに手をやり慌てる蒼を男は静かに笑った。


二人がぶつかった角を曲がると、そこには臨時駐車場が広がっていた。先を歩く彼が止まったことからも、それが彼の車だと蒼は判断する。

運転席に回った男は、ふと思い出したように顔を上げた。ボンネットの前で所在無く立つ蒼を見やる。

「おまえ、名前は?」

なぜ突然言い出したのか判らなくて、目を瞬かせる。蒼の表情で読み取ったのだろう。彼は小さく笑った。

「俺の名前だけ知られてるってのは公平じゃないだろう?」

一度も呼ばれた覚えはないけれどな。付け加えられた言葉はこの際無視することにする。

数瞬迷った末に、蒼は口を開いた。

「――アオ、です」

彼の視線が胸につけられたネーム・プレートに走るのを感じた。そこには”SOU”と書かれている。

「草冠か?」

「はい」

頷きながら、蒼はまっすぐに視線を返した。それが本名であることを彼に伝えるために。

そして、後悔しないことを自分に言い聞かせるために。


――二人の取引が今、幕開けする。



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