その8
“ブランカ”
あるいは“プーラ”や“リモ”とも呼ばれる人間が、この世界にいるとされる。
これは、魔法をはねつけるという特異的な体質を持つ人間を表わす、魔法使いの用語だ。
もともと魔法とは、人間や自然の持つ力を引き出すことである。
人間の持つ、見たり、聞いたり、しゃべったり、あるいは走ったり、飛んだり、そういった人間の動作や、感じたり、思ったりするようなことを、一時的に強めたり、逆に弱めたりするのが魔法なのだ。あるいは、自然の持つ、風の息吹、水の流れ、火の揺らめきなどを、操ることで用いるものなのだ。
走ることをさらに強化して瞬間的に移動したり、見ることを強くしてはるか遠くのものを見たり、逆に見ることを一時的に弱くして物を隠したり、気付かせないようにするのが、その例だ。
魔法使いたちは、人間や自然の力を引き出すことで魔法を作り出す。その力は、まったくの他人の力であっても、介入することができ、人の持つ能力を強めたり、弱めたりすることができるのだ。
万能に見える魔法にも、できないことはある。
空想をその通りに現実のものにしたり、願望をそのまま形にして出現させるといったようなことは、魔法ではできないのだ。
それともうひとつ。
魔法使いには、ごくごくまれに、魔法をかけることができない相手がいる。
それが、“ブランカ”という存在だ。
古代テルミノ語で“白”を表わす“ブランカ”は、魔法の力に染まらない、“白”という意味を表わすとされる。彼らに対して魔法使いは、引き出し、増強する力を見ることができず、魔法をかけることができないために、魔法に対して“空白”であるように思える人のことを指すのだ。
あるいは、魔法の力に“無垢”であり、人と魔法の力の間に“境なす”ともされる意味を持つ名称で、呼ばれることもある。
いずれにしても、“ブランカ”、“プーラ”、“リモ”、これらの名称は、魔法使いたちの中では、「魔法の力の及ばぬもの」を意味するのだ。
彼らには、魔法がかからない。
それどころか、どんな魔法も“ブランカ”は無効にしてしまうのだ。
幾重にもかけられた魔法の鉄壁、あるいは何人ものぞくことができないように秘匿された文書、あるいは魔法で起こされた風や炎などの影響を、まったく受けることがないのだ。
なぜそんなことが起こるのかは、わかっていない。
それというのも、“ブランカ”自体が、相当珍しい存在なのだ。
文献上も、はるか昔にそういった人間、つまり魔法が無効である人間がいたとの記載はある。しかし、“ブランカ”の存在を書き記した書物なども、古すぎてその記載はほとんど何を言っているか分からないほど回りくどい言い回しをされていたり、あらゆる比喩が使われている難解な文章で書かれたりしているのだ。ただ、血筋などで“ブランカ”となるわけではなく、“ブランカ”であることを表わす性別、年齢、職業、肉体的特徴などは、歴代の数人の“ブランカ”を文献上で読み解く限りは、まったくないといわれている。
“ブランカ”自体も、ほとんど伝説のような存在でしかなく、少なくともアルが知っている魔法使いたちのだれもが、 “ブランカ”に会ったことがないのだ。師匠であるアルディーナさえも、だ。
それでも、魔法使いであれば、“ブランカ”の存在を知らぬものはいないだろう。
自分たちの持つ力を無力化する相手。本来であれば、恐れ、倦厭する相手であるはずなのだが、魔法使いにとってみれば、“ブランカ”の存在は、自分たちの魔法の力の根源を見出すことができる、きっかけとなるかもしれない相手でもあるのだ。“ブランカ”の存在の謎を解くことができれば、魔法の力をさらに増幅することができるかもしれない。あるいは、新たな魔法の力を開発することができるかもしれない。研究、勉強熱心な魔法使いにとっては、“ブランカ”の存在は、ぜひ会ってみたい、その存在を確かめたい、魔法が本当に効かないのか、実際に試してみたいと思う、有名な存在なのだ。
魔法を無効化する、人間。
ジーナが?
一般人である、魔法に疎いジーナが?
まさか。
けれど、目の前で起こった、さきほどの出来事。
サルディナのかけた防御の魔法を、一瞬で消し去ってしまった。
サルディナが自分で魔法を解いたのではない。ジーナの体に残った魔法の残滓が、それを物語っている。
ジーナが。
あの“ブランカ”?
まさか、そんな。
“ブランカ”
………そんな存在が、いたというのだろうか。
呆然と、アルは、ただジーナを見つめていた。
「なに?ブランカ……?」
ジーナはアルの言葉を復唱する。
しかし、彼の言葉が何を表わしているのかわからず、首をかしげながら、アルにたずねた。しかしその返答は、ジーナを見つめるアルの茫然とした表情からは、得ることができなさそうだった。
アルに茫然と、しかし何かまぶしいものでも見るような目で見つめられ、ジーナは困惑していた。
(一体、アルはどうしたのかしら?)
知らない単語を呟いて、アルは茫然と、まるで固まってしまったかのように、ジーナを見つめるだけであった。一体なにが原因で、そうなったのかは、ジーナには分からなかった。
ジーナはそんなアルも気になるが、自分たちが入ってきた、割れた、あるいはアルが割ったとも言うが、窓のほうも気になった。相変わらず男たちは、サルディナの家に入ろうと、躍起になって、押し入ろうとしているのだろう姿が、汚れた窓からのぞき見ることができたのだ。
憎々しげに悪態をつくような表情を浮かべて、口を動かしているのだが、その声はサルディナの家の中にいるジーナたちには、全く届いていなかった。また、彼らは裏家の塀越しに、こちらに入ってこようと、サルディナの家の窓を手や棒でたたいたり、あるいは時折石のようなものを窓に向かって投げつけたりしていたのだ。しかし、そのすべてがうまくいかなかった。手や棒でたたいているのに、窓は割れたりすることもなく、しなったり、ゆれたり、あるいはその衝撃の音を響かせることもなかったのだ。
(これも、魔法の一種なのかしら………?)
そう思いながらも、サルディナの家に入り込もうとしている男たちの姿になんとなく落ち着かず、ジーナはアルの顔を覗き込むように見ながら言った。
「ねぇ、アル。大丈夫?………早くサルディナに会いたいのだけれども」
アルは、目の前で発せられた彼女の言葉に、呆然としていた目をぱちくりと瞬かせ、もう一度、まじまじといったように彼女を見る。
ねえ、といってジーナはアルに手を差し出した。
飛び込んだときのままアルは膝をついたままだったのだ。伸ばされたジーナの手をしばらく見ていたが、思い出したようにその手を借りて、立ち上がった。
「そうだね。そろそろサルディナに挨拶しないと」
そう言うと、アルはやっとジーナの姿から目を離し、部屋の中を見渡した。
窓の外からは、あんまりじっくり見る時間もなく、汚い窓だなぁくらいのことしかアルの頭の中にはなかったのだが、彼らが飛び込んだこの部屋は、台所であるようだった。
窓の下にはちょうど何もなかったのは、よかった。もう少し離れたところには、流し台があり、その横には火を起こすためのかまども構えられており、そこに飛び込んだのであれば、けがをしていたかもしれないな、とアルは思った。
台所の流し台には、何枚もの皿が無造作に積み重ねられており、流しの下には、切れかけの少ししなびた野菜が転がっていた。
人の気配はここにはなかった。
そうして、アルは台所から入口のほうへ顔を出し、きょろきょろと探るように見た。
台所には扉はなく、顔を出したところはちょうど廊下であり、廊下の先には、左右と、正面方向に閉ざされた扉があった。どちらに進もうか、と一瞬思ったアルは、とりあえず一番近い、真正面のドアをあけることとした。
「サルディナ!」
大きな声を上げながら、ノックもなしにアルは扉を開けた。
その声と行動に、ジーナはびくりとなる。
「ちょ、ちょっと」
そんな呼びかけでいいの?
そんなことを言いながら、彼においていかれないように、ジーナはアルの後ろ姿を追いかけて行った。
彼らが入って行った場所は、アルが受け取った手紙にあった通りの、たくさんの色とりどりの水晶が並んだ部屋であった。映像で見るよりも、圧巻的であり、目に騒がしいほどの、色彩の嵐であった。
「サルディナ!」
その部屋でもう一度呼びかけるが、反応するものはいなかった。それを確認して、アルは次の扉を開ける。
「サルディナ!いるんだろ!?」
その水晶の部屋からでて、今度は右手の部屋に向かった。
ここは、おそらく研究のための部屋だ。背の高い本棚が部屋の四方に立ち並び、その書棚は大小そしてさまざまな厚さの書物が、隙間を空けることなく、むしろ棚からはみ出るほどに詰め込まれていた。そして中央には書机があったが、その机の上にも乱雑に書物が置かれていた。
ここにもサルディナの姿を見つけることができず、アルはずんずんと家の中を、勝手に扉を開け、見て回っていった。
そんな中、ジーナが、アルを呼び止めた。
「……ねぇ、アル。どうも声がするんだけど」
おずおずと言うジーナに、アルは足と口を閉ざした。
遠くで何かわめいている声がする。
(どうも、この感じは、………二階か?)
そう思いながら、アルは見つけた階段を上っていった。




