その11
「どうして、私だったのです?」
ジーナが一階に向かい、階段を下りていく足音が消えたことを確認してから、アルはサルディナに尋ねた。
王宮からの依頼の解決方法は、非常に簡単だった。
国王に本当に簡単な魔法をかければ、十分解決できるものなのだから。おそらく、魔法使いの試験を受ける前の自分であっても、この問題を解決することができただろう。
しかし、サルディナはアルを指名したのだ。
先ほど誤魔化すように、“アルディーナの指名で”などと言っていたサルディナではあったが、そう答える彼の瞳が、一瞬だけ泳いだのをアルは見逃さなかった。その視線を見て、アルは気づいたのだ。
その言葉に、嘘が混じっている、と。
問い詰めるアルに、サルディナははぁ、と大きなため息をついた。
「………“イーディアの丘にひきこもった魔法使い”。お前さん、こう、一部の者に言われていることを知っているか?」
それは、アルも知っていた。
アルは、ほとんどイーディアの丘を出ない。
ギルドを介した依頼はほとんど受けず、周辺の街で直接される依頼しか請け負わないのだ。
たいていの魔法使いは、自分の魔法の力を試したい、もっと難解で、より複雑な魔法を使いたい、と考える。そのためにギルドに問い合わせて、自分の能力相応の、あるいはそれ以上の依頼を探し、こなそうとするのだ。
しかし、自分の力を示したい、試したいと思う魔法使い達とは違って、アルが果たす仕事は、『イーディアの丘周囲』での依頼しか、しないのだ。
イーディアの丘という田舎であるからこそ、大きな魔法の依頼はほとんどない。ささやかで、小さな依頼、例えば、「牧草の育ちが悪いのをどうにかしてほしい」、「川での漁獲量を上げてほしい」、「牛が食事を食べなくなったので見てほしい」など、魔法で解決しなくてもいいような依頼も含めて、アルのもとにもたらされるのだ。依頼の内容に対しては、アルはほとんど問わない。
そのことを揶揄するように、一部の魔法使いに“ひきこもり”と言われ、「魔法使いとしての実力がないから引きこもっているのだ」と、蔑まれていることを、アルは知っていた。
師匠であるアルディーナにも、「イーディアの丘から離れて、ギルトの依頼をこなしなさい」と、注意を受けていた。
しかし、中傷を与えられても、イーディアの丘をほとんど出ない彼にとっては、何の弊害もなく、イーディアの丘に引きこもることで、誰かに迷惑をかけているわけでもないので、その悪意ある発言を放ったままにしていたのだ。
「わしは、確かにお前さんに会ったことも、口をきいたこともない。………しかし、ひきこもった魔法使いだけはわしも知っていた」
そう言うと、彼は自分の長いひげをつかんで、なでた。
「お前さんの師匠であるアルディーナとわしは、懇意の仲なんだ。………あいつが、お前さんをどうにかしてイーディアの丘から出したい、と言っていたことを、―――だいぶ前から、あいつがお前さんのことを、心配していたことを知っていたんだ」
サルディナはアルを見る。
「今回王宮から依頼が来た時には、別に誰かにやってもらおうなんて思ってもみなかったが、ぎっくり腰になって、自分ではこの依頼が果たせないとなったときに、ふと、お前さんのことが、アルディーナのことが思い出されたんだ。………本当言うと、わしはだれでもよかったんだ。この依頼は、魔法使いであれば、目をつむっていても、できるような依頼だったし」
そう言うと、サルディナは小さくため息をついた。
「それで、今回アルディーナに相談した時に、お前さんは手が空いているのか、と聞いたら、アルディーナが喜んだように、自分から連絡しておく、と言ってくれたんだ」
そう言って、アルから受け取った手紙にもう一度目をやり、それをアルに返した。
「お前さんの師匠はなぁ、お前さんのことを、心配しておったぞ」
師匠愛だなぁ、とつぶやきながら、サルディナはうんうんと、うなずいた。
(まったく、アルディーナが元凶か)
アルはそう心の中で悪態をつく。
なんとなく、わけがわかったような気がする。
この厄介事は、自分の師匠であるアルディーナが仕組んだことなのだ。
実際のところ、アルは好き好んでイーディアの丘に閉じこもっているのではない。
もちろん、他人とともにいることが、あまり好きではないのも、イーディアの丘に引きこもっている一つの理由ではある。
しかし、大きな理由の一つが、彼の生まれにあった。
彼は、生まれが定かではない。
彼は赤子の時に、絹のおくるみに包まれたまま、森の中に捨てられていたのだ。
しかし幸いなことに、イーディアの丘の、先の魔法使いとして居住していたアルディーナが、赤子の存在に気付き、アルを発見したのだ。
アルディーナの遠視の力では、アルと肉親のつながりを感じることはできなかった。そのために、アルは、アルディーナのもとで魔法に囲まれながら育つこととなったのだ。
そうして、アルは、イーディアの丘から離れることなく幼年時代を過ごし、魔法使いとなったのだ。
自分の両親は、生まれてすぐの自分を捨て去ったのだ。もちろん、自分は生まれてこなければよかったのか、と悩んだ時期もあった。なんとしてでも、自分の血族者を見つけ出し、父母に会いたい、会ってどうして自分を捨てたのか、問いたいと思っていた時期もあった。
しかし、アルディーナのもとで、魔法の書物、医術書、薬草学などの小難しい書物を、絵本代わりに育っていった彼は、次第に魔法使いの存在に興味を持つようになった。なまじ、魔法をひとつの学問として確立しようとしていたアルディーナのもとであったということも、アルが魔法使いになりたいと思うようになった原因の一つであったかもしれない。
そうして、徐々に魔法使いという、天職のような仕事を見つけることができたのは、両親が自分を捨ててくれたからなのではないか、と賢しい彼は、思うことができたのだ。
そうであれば、捨てられたことさえも良かったことなのかもしれない、と思えるようになったのだ。
そんなアルにとって、イーディアの丘を離れることは、もしかしたら自分を捨てた肉親に出会う可能性があること、ではないかと思っているのだ。
様々な場所を訪れ、仕事をするということは、たくさんの人に会うということだ。中には、自分の血と連なる人物に出会うことになるかもしれない。
今更、自分を生んだ人たちには会いたくない、自分の出生など、改めて知りたいなどとは思わない、という気持ちから、できるだけアルは、イーディアの丘を離れないのだ。イーディアの丘を離れることをしたくないのだ。
そんな彼を見て、「捨てられた場所にとどまることこそ、両親に会いたい気持ちがあるからではないか」と、アルディーナに言われたが、アルはそうは思ってはいない。
両親は、もう二度と自分に会いたくないから、魔法使いの住まうイーディアの丘に自分を捨てたのだ。そうでなければ、教会や託児施設に預けるだろう。それなのに、魔法使いのもとへ、彼は預かられたのだ。そんな両親が願うことは、アルに二度と会いたくない、それ以外に何があるというのだろうか。
こちらとしても、もはやこんな年にもなって、両親と涙ながらの再会をしたいとは思ってはいない。
(アルディーナのお節介ほど、いい迷惑だ)
そうアルは思っていた。赤子のころから、まるで親のように自分を見ていてくれているからこその心配であるとは思うが、アルにとっては、血のつながりのある両親などもうすでに他人でしかなく、引き込もるのも、他人が煩わしいのであって、さらに血族者などという存在に振り回されるようなことがあっては嫌だ、と思うからなのだ。
「そういえば、さっきわしの防御の魔法が消えたのは、なんでだ?お前さん、わしの魔法を一瞬で解除したのか?」
いろいろ考えていたアルに向かって、サルディナが聞いた。
サルディナの疑問に、アルは答えた。
「そうですよ。それ以外に何があるのですか?」
痛みのために、魔法の力が弱っていたんじゃないですか?ほとんど解除に、魔法は使いませんでしたけどね、とアルは、サルディナの疑問こそが、疑問であるかのように答えた。
そう、なのか?などと呟きながら、サルディナは腰をさすった。
そうして、サルディナとの話を終えたアルは、自分のこなす仕事の準備を行ってから、一階の客室で待っているジーナの元へ、と向かった。




