プロローグ 目覚めてはみたものの
人は考える葦である。
昔、アライグマのような名前の哲学者はそんな言葉を残したそうな。
この際葦が何を揶揄しているかはさて置いて、重要な事は人は考える事ができるのだ。
だから、今の状況を考えてみよう。
Q此処は何処ですか?
A分かりません。
Q今は何時でしょう?
Aわかりません。
Q俺は誰ですか?
Aわかりません。
考えた結果、何も分からないという事が理解りました。素晴らしき無知の知。
否、本来もう少し慌てるべきなのだろうけど、どうした事か焦燥感系統の感覚が全く沸いてこない。気を取り直し、改めて自分の置かれている現状に目を向けてみよう。
先ず、此処は何処なのか。一言で言ってしまえば部屋だ。生活感のかけらも無いオフホワイトを基調にした何とも無機質な部屋。広さは10畳程か。天井や壁に照明の類は見当たら無いが、暗くは無い。どうも天井自体が発光しているようだ。
部屋の中にある物といえば液晶モニターが乗っかった机とそれに付随した椅子。部屋の隅にロッカー。中には俺が今着ている服と小振りなトランク。そして、何故か日本刀?が一振り。
そう、日本刀?
鞘から引き抜いた刃の形は確かに日本刀だ。鋒両刃造で反りは緩やかかつ浅い。刀身は長く全長が胸の下あたりまである。棒で言う乳切木の長さ。
仮に俺の身長を180cmとすれば全長120cm前後。刀身だけでも90cmはある事になる。
さて、何故に日本刀?なのかと言えば、刃の形状こそ刀だが、そこからが違う。まず製造に使用している金属が鉄とは思えない。妙に軽い上、木目金やダマスカス鋼の様に水面に広がる波紋のような文様が大小刀身に浮かんでいる。そして、鍔が無く柄まで同じ金属で作られている。それどころか鞘まで同じ金属だ。納刀すれば一切の遊びが無く納まり、素振り用の木刀を髣髴とさせる形状になる。
切れ味に関しては試していない。所構わず、人の目が無いからと無闇に用も無く刃物を振り回すようなのは人として駄目だろう。
取りあえず刀はロッカーに戻し、部屋の中央に鎮座しているものに、この部屋で一番目立つ物体に座り込む。俺が今現在腰掛けているこの物体。丸みを帯びた流線型なボディが近未来的な棺桶とでも表現しようか。そこから出たチューブやらケーブルやらが部屋の中をのたうっている。
つい先ほど、目が覚めた時、俺はこの棺桶の中にいた。そして、この棺桶が何かも知ってる。総合生体医療システム「フラスコ」主に重病人や重症患者、手術に耐え切れない体の持ち主に対して用いられるモノで最新医療機器として鳴り物入りで発表された代物。
何でそんな事が分かるのか、コレは知っているからとしか言いようがない。なぜ知っているかについてまではもうどうしようもない。そして棺桶の中に入っていたという事は俺は病人か怪我人かその辺りなのだろうか?
さっぱり解らない。
取りあえず言えるのは記憶に関しては不明瞭だがある程度の知識はある。そういう事なのだろう。
次に自分の事だ。性別は男だろう。机上にあるモニターの黒い画面を見ればあまり目つきが宜しいとは言えないのが此方を見返してくる。短い黒髪に黒目。目つきは悪いというか鋭いというか。どう考えも万人に好かれそうは無いが、整った容貌と呼んで差し支えの無い表情。コレが自分の顔なのかと聞かれれば首を捻るしか無いのだが、そう悪くは無いので許容出来る。
格好は藍が濃すぎて黒に近い色合いのジーンズ。何の変哲も無い無地のシャツ。色はくすんだ赤。年季が入り落ち着いた風合いになったレザージャケットは設えたかのようにピッタリだ。このフィット具合からしてもしかしたら散々着込んだ物なのかもしれない。生憎覚えは無いが。足元に目をやれば素早い着脱が可能な用にシューレース部分にジッパーが編みこまれたレザーブーツ。底とつま先に鉄板が仕込まれていることを何故か知っている。このブーツも随分履きこなした感がある。つまりこの衣服は俺の私物なのだろうか?
これ以上考えて見た所で進展もなさそうなので立ち上る。
そういえばロッカーは開けてみたが机の方はまだ見てなかった事を思い出し其方に向かう。椅子を引き座った途端、今まで何も移していなかったモニターに人影が映る。
映ったのは女性。年齢は二十代後半位だろうか、パリッと糊の良く効いているであろう白衣を着込み此方を真っ直ぐに見てくる。その表情は余りにも真剣だ。可也美人の為かその表情には凄味すら漂う。
だから少し椅子を引いてしまった俺は悪くない。
さて、美人が真剣な表情で何かを語りだす。多分俺にとって物凄く重要な内容の筈だ。そんな予感に一言も聞き漏らすまいと耳を傾ける。
…………
…………
…………
…………ちょっと待て。
試しに手を叩く。パシンッと音が響く。つまり俺の耳は正常。ちゃんと聞こえている。にも関わらずモニターの音声全く聞こえない。
オイちょっと待て。
慌ててモニターの音量を探すが、其れらしき場所は無い。そもそもこのモニタースイッチの類が一切付いていない。
否、待てよもしかしたら俺には読唇術なんてスキルが………駄目だ、さっぱり分からん。
………どうするんだよ、コレ………
成すすべなく画面を見ているとモニターの中美人が最後泣きそうな顔で何かを告げ、消えた。後は叩いても揺すってもうんともすんとも言わない。
駄目だ。
状況に一向に改善の気配が見えない。
何だか諦めにも似た気持ちで机の引き出しを開けてみる。妙に軽かったので空かと思えば無難な茶封筒が一つ。中を確かめればタグも何も付いていない鍵が一つと名刺大のカードが一緒に出てくる。カードには八桁のナンバーが記してある。思い当たるのは一つしかない。
ロッカーからトランクを持ち出してくる。それ程大きいサイズでは無いのだが何が入っているのかずっしりと重い。両サイドにあるシリンダーを回し紙切れに書いてあったナンバーを合わせる。続いてトランクの中央部にある錠に鍵を入れて捻る。かちゃりと軽い音がして錠が外れる。
ゆっくりと蓋を持ち上げ、中身を確認し、ゆっくりと蓋を閉めた。
今すぐ何もかも投げ出したくなった俺に罪は無いと思う。
が、そういう訳にも行かない。覚悟を決めて、もう一度トランクを開ける。
先ず目に付くのは金色をした金属の塊。というか金のインゴット。まさか黄銅という事は無いだろう。
以上。
そう、このトランク金塊しか入っていない。トランクの容量約半分に金塊が固定され、残りは空と何とも男らしい仕様。
「いや………えー………??」
口から妙な呟きが漏れるのも仕方が無いのではないだろうか?




