『世界は、特に問題なかった。』民衆視点
この物語には、
派手な戦闘も、明確な勝者も登場しません。
勇者は剣を抜かず、
魔王は滅ぼされず、
世界は「救われた」と記録されます。
それでもなお、
同じ出来事を見た人々が、
同じ感想を抱くとは限らない。
これは、
何も起きなかった世界を、どう受け取ったか
その差異を描いた二つの記録です。
その日、鐘は鳴らなかった。
誰も逃げろとは言わず、空も赤くならなかった。噂だけが先に走った。「勇者が城に入った」「魔王城で話し合いがあったらしい」と。
剣を抜かなかった、と聞いたのは夕方だ。
酒場で誰かが言った。
「戦わなかったんだってさ」
別の誰かが笑った。
「じゃあ、明日も畑に行けるな」
それだけの話だった。
でも、夜になってから、胸の奥がざわついた。
世界が壊れなかった理由を、誰も説明できなかったから。
もし、あの人たちが剣を抜いていたら。
もし、怒鳴り合っていたら。
もし、血が流れていたら。
私たちは「救われた」と実感できたはずだ。
けれど何も起きなかった。
だから明日も同じ朝が来る。
子どもは笑い、パンは焼け、恋人は喧嘩をする。
全部、昨日と同じ。
世界は、特に問題なかった。
それが少しだけ、怖かった。
だって、
誰かが剣を抜かないと守れない世界だと、
信じていたから。
世界が壊れなかったとき、
私たちは本当に安心できるのでしょうか。
英雄の剣も、悪の炎もなかったなら、
救済は「実感」されないまま通り過ぎてしまいます。
この物語は、
戦争が回避されたこと自体よりも、
それをどう観測したかに焦点を当てています。
問題が起きなかった世界は、
本当に「問題がなかった」のか。
その答えは、
読む人の立つ場所によって変わるはずです。




