違和感
次の日の昼休み、碧はいつものように屋上にいた。
校則では立ち入り禁止になっているけれど、鍵の壊れた非常階段を通れば簡単に入れることを、彼女は一年の春に気づいていた。
ここは、誰にも見られずに“自分を演じなくていい場所”。
曇った空。冷たい風。錆びたフェンス。
足元には、誰かが捨てた小さな傘の骨組みが転がっている。
「……やっぱりここにいたんだ」
声がした。静かで、まるで霧の中から聞こえてくるような。
碧が振り返ると、昨日の少女―黒野 澪が、屋上のドアからひょっこり顔を出していた。
「……なんで、ここに?」
「なんとなく。……ここ、あなたがよく来る場所だって、聞いた気がしたの」
「聞いたって……誰に?」
澪は黙ったまま、フェンスのそばまで歩いてきて、碧の隣に立った。
その横顔は白くて無表情で、まるでガラス細工のように壊れそうだった。
「……ねえ、朝倉ちゃんって、本当は何も感じてないんじゃない?」
突然の言葉に、碧の心臓が小さく跳ねた。
「なに、それ」
「笑うけど、目が笑ってない。褒められても、うれしくなさそう。誰かに話しかけられても、ちょっと遅れて返す。……全部、覚えてるよ。あなたの反応」
「……監視でもしてたの?」
そう冗談めかして言ってみたけど、笑いは出てこなかった。
「監視しなくても、気づける。……記憶って、面白いよ。表情も、声も、間の取り方も、全部残るから」
そう言って、澪はまっすぐ碧を見た。目が、深い水底のように暗かった。
碧は思わず、目をそらした。
「……記憶って、そんなに大事?」
「ううん。嘘だらけ。だから、壊したくなる」
風が吹いて、彼女の黒髪がなびいた。
「たとえば。たったひとつの“優しい嘘”で、誰かの世界が壊れることもある。……逆に、“辛い記憶”をひとつ消すだけで、人は笑えるようになるかもしれない」
「……記憶を消すなんてこと出来るの?」
澪は答えなかった。けれど、その沈黙がすべてを語っていた。
そして、碧の胸の奥に、言葉にできない違和感が芽生える。
――この子、本当は前にも、会ったことがある気がする。
episode3に続く。