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夜明けに向かって

作者: ゆずき


 おなかすいた。


 つかれた。


 さむい。



 おなかすいた、つかれた、さむい、が頭の中をずっとぐるぐるしている。

 箒で飛んでいる間は頭が暇だから、余計に。

 今は夜で、景色も見えない。


 地図を確認する。

 首に下げた飾りが小さく光る。

 目指す「チュウトンチ」までは、まだ距離があった。


 ぼろぼろになった地図を懐にしまう。

 風よけのまじないをしているから、多少の風なら目をあけていられるけど、風よけのまじないでは寒さまでどうにかできない。


 ああ、さむい。おなかすいた。つかれた。




 空を飛ぶことにワクワクしなくなったのって、いつからだっただろう。


 もう死んでしまったおばあちゃんの、ため息を思い出す。



 初めて箒で空を飛んだ時、いつも厳しいおばあちゃんが家の中から慌てて飛び出してきて、私を見ると大きくうなずいた。


「魔女の孫なんだから、これくらい当然さね」


 そう言って、褒めてくれなかったけど、誇らしそうだった。

 飛んだ、っていうより浮かんだ、ってだけだけど。

 でも、おばあちゃんがうれしそうで、私もうれしかった。


 一生懸命、飛ぶ練習をして、調子に乗って木に引っかかって落ちて。

 おばあちゃんに叱られながら傷薬をぬってもらって……。


 ケガをしたことは数えきれなかったけど、飛ぶ練習をやめようとは思わなかった。



 魔女の成人の日、自分用の箒をもらった時は飛び上がるほどうれしかった。

 箒をベッドの中に持ちこんだのがバレて、家から叩き出された。


 「魔女らしくない」んだって。



「もう本物の魔女は残っちゃいないんだ」

「あんたも魔女になんか、ならなくていいんだよ」


 それがおばあちゃんの口癖。



 おばあちゃんはいつも、魔女の何たるかを教えてくれた。

 私はその教えを全然守れなかった。



 おばあちゃんが亡くなる少し前。


「馬鹿なことをしたもんだね……」


 そう言ったおばあちゃんの眉間の皺が、さらに深くなった。


 私が戦争に行くと話した日。


 私たちの住む国が、隣の国と戦争を始めるという。

 戦争に行く兵隊さんを募集していた。

 そして魔女も。


 私は空を飛ぶくらいしかできない魔女だけど、手紙を運んだりする仕事があるらしい。


 おばあちゃんは大きなため息をついた。

 おばあちゃんの残りの寿命まで吐き出してしまいそうな、長いため息だった。


 喉に何かつまったような気がしながら、私は必死に話した。


「戦争はすぐ終わるんだって、それでね、戦争に行けば、魔女も国民として認められるって。お金もたくさんもらえるし。ちょっと働けば、私もおばあちゃんも、もう石なんて投げられなくなるんだよ」


 言葉の最後はしりすぼみになった。

 受け売りの言葉はむなしく散っていって、おばあちゃんは白く濁った目で天井を見ていた。


「人間の争いになんか、関わるべきじゃないんだ」


 何を言っても私の意志を変えられないと思ったのか、それきりおばあちゃんは黙ってしまった。


 ほどなくして。

 私が戦争に行く前に、おばあちゃんは亡くなった。


 支度金という名目でもらったお金で、お墓に供える上等なお花を買った。

 それも「魔女らしくない」と怒られそうだったけど。




 戦争はすぐ終わる、とみんな言っていた。


 最初は陽気に、魔女にも気さくに話しかけてくれた兵隊さんたちが、何かおかしいんじゃないかと思い始めた。

 すぐ終わるはずの戦争は季節が変わっても終わらず、年が改まっても終わらなかった。

 生まれ育った家を出てから、三つ年を重ねた。

 戦争は終わる気配がない。



 最近は食料もあまりもらえない。

 私はまだいい方だと思う。

 手紙を届ける途中で、木の実を見つけて食べることができる。


 だけど寒くなってきて、木の実を見つけるのも大変だ。

 満腹になったのは、どのくらい前だろう。



 兵隊さんたちは、いつもお腹を空かせている。


 さっき行った「チュウトンチ」では、私の持ってきた手紙を偉い人がひったくるように取って読み始めた。


「隊長! 今度こそ食料が来るんですよね!」


 偉い人の横にいた赤髪の兵隊さんが、はやく手紙の内容を知りたくて飛びかかりそうに見える。


「隊長」と呼ばれた偉い人は、何度も何度も手紙を読み返して、


「いつもと同じだ。食料も救援も来ない」


 絞り出すように声を出した。


 偉い人の横にいた赤髪の兵隊さんが、私の胸倉をつかんだ。

 兵隊さんの方が背が高いから、吊り上げられるような格好になる。

 喉が締め付けられて苦しいのと、突然のことで混乱して、何もできなかった。


「おまえが! 手紙をすり替えたんだろ! そうじゃなきゃおかしいだろ! おまえが! おまえのせいで!」


 ただ苦しくて、もがく。

 手紙をすり替えたりしてないと、言いたかったけど、うめき声さえ出せない。


「やめろ!」


 気づいたら、私も赤髪の兵隊さんも地面に座りこんでいた。

 偉い人がなんとかしてくれたんだ、とその時は考える余裕がなかった。


「俺だけじゃ、ここの全員を止められない。あんた、もう行ってくれ……」


 偉い人が疲れたように言った。


 急いで箒をひっつかんで、空に飛び上がった。

 本当は疲れていたし、息が苦しかった。


 私の胸倉をつかんだ赤髪の兵隊さんは、前にビスケットをくれた。

 笑っていた。その時は。


 震える手が、箒をちゃんと握ってくれない。

 箒を握ることだけ考えた。

 何かを考えると飛べなくなりそうだった。



 次の「チュウトンチ」が見えてきた。

 あそこにも、優しくしてくれた兵隊さんがいる。


 さっきの「チュウトンチ」でのことを思い出してしまう。

 また、暴力を振るわれるかもしれないと思うと、行きたくなかった。



 私の持っている手紙は、いい内容ではない。

 わかっているけど、手紙をもっていかなきゃいけない。


 夜の森の中で何かが光っている。

 獣の目じゃない。灯りのようだった。


 ゆっくりと降りて行った。

 灯りを持った兵隊さんが、森の中にいた。


 私が降り立つと、兵隊さんはほっと息を吐いた。

 きっと他の兵隊さんには内緒で待っていたんだ。


「あんたがそろそろ来ると思って、待ってたんだ。頼みたいことがあってさ」


 兵隊さんはそう言って、手紙の束を出した。


「手紙ならチュウトンチに行ってから受け取るのに」

「うん、そうなんだけどさ……」


 取り上げられてしまうような手紙なんだろうか。

 内緒で持っていくくらいのことは、してあげたかった。

 このそばかすの兵隊さんは、同じ故郷の出身で、故郷の話をしたり、故郷の歌を歌ったりしたことがある。


「あんたは駐屯地に行かない方がいい。みんな、何をするかわかんないから」


 体が強張る。逃げた方がいいか考えるが、そばかすの兵隊さんは苦笑する。


「何かするつもりなら、わざわざこんな場所で待ってないよ。あんたに手紙を預かってほしかっただけさ」


 もう自分では伝えられないだろうから、と消えそうな声で言う。


 とっさに、そんなことない、と言おうとした自分に気づいて口をつぐんだ。

 戦争が始まってから、兵隊さんの顔ぶれはどんどん変わった。


 同じ仕事をしていた魔女も、いつの間にか見なくなった顔がいくつもある。



 そばかすの兵隊さんは、夜の森ではあまりに頼りない灯りを見つめながら口を開いた。


「あんたが持ってきた手紙は俺が持っていくよ。……中身は見なくてもわかってるがね。

食料も救援も出せないから、俺たち全員で敵に突っこめって命令だよ。

もっと前から同じ命令が来てたけど、俺たちがなかなか実行しないから、催促の手紙だろうな。

……結構、粘ったんだけどさ、とうとう食料が尽きたし、最後は敵に突っこもうって決まったんだ。

だから……」


 だから、に続く言葉はなかった。


 私は何も言えず、そばかすの兵隊さんはこらえるように口を閉ざした。


「なぁ、あんた、魔女だろ。

箒で飛んで、どこまでだって行けるじゃないか。

国の境も越えて、どこまでだって……。

行けばいいじゃないか……行ってくれよ……!」



 一緒に故郷の歌をうたった声が嗚咽のようで、心臓を掴まれたみたいな気がした。


 預かった手紙を懐に入れて、空に飛びあがった。

 自分に出せる一番の速さで空を駆けていく。


 風よけのまじないの効果がないほど真正面から風を受けて、目を開けていられないほど痛かった。

 涙がぼろぼろとこぼれる。


 東を目指して飛んでいく。

 目指す場所なんてわからないけど。


 空はまだ暗い。

 何も見えない、でも。

 夜明けは近いのだと、そう信じた。


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