決別
どうやら清華は親友ときっちり話をつけることができたようだ。安堵した表情から読み取れる。私としても悪い結果を惹起しなかったことに胸を撫で下ろす思い。
けれどしばらくして、清華がいつになく真剣な表情になっているのに気付いた。一体どうしたのだろうと不安に思うけれど、清華の表情には鬼気迫るものがあって簡単には聞けそうにない。
意外にも清華の方から話してくれた。
「私、私ね、決めたんだ。逃げないって」
立ち向かうんだ、と悲壮なまでの調子で清華は言う。
何に対するものかは直感で理解できた。そして、だから驚いた。一体何が清華をしてこの短時日で変化させるに至ったのだろうか。
満穂と仲直りした時に心情に変化があったと見るのが一番妥当な線か。
「でも、でもね、私やっぱり怖いんだ」
風船が萎むように清華は言う。
「私は、永遠の別れに耐えられるほど強くはない」
恐怖に囚われている清華に私はそっと近寄って、それから優しく清華の両肩に触れた。
「あのね、私思うんだ。人が亡くなったとしてもさ、その人との繋がりが全部断たれるわけじゃないんじゃないのかなって」
どういうこと?と首を傾げる清華に私は続ける。
「受け継がれるものってあるでしょ?その人のDNAとか意思とか。私気付いたんだけどさ、清華と清華のおばあちゃんが作ってくれた料理ってさ、同じ味がするんだよ。それってさ、おばあちゃんからお母さん、それから清華へ、って連綿と受け継がれたからでしょ?そんな風にさ、その人が死んだからっていって何もかもが失われるわけじゃないんだよ」
清華は驚きに目を丸くしていた。発想というか着意というか、とにかくそういうことに考えが及んでいなかったらしい。じっと自分の両手を見ている。
私は思う。清華は料理だけじゃなくて、教育とか諸々母親から受けていて──つまり母親の意思を受け継いでいるから──、だから生物的にも社会的にも母親との関わりは絶たれていないって。
「会えないのって辛いし悲しいよね。早過ぎる別れだったんだもんね。でもね、会えないだけで繋がってはいるんだよ」
清華はハッとして私を見た。それからツッと一朶の涙が頰を伝う。しずしずと流れていた涙はやがて2条3条となりついには滂沱の涙となった。
「あのね清華、あなたの悲しみ、私が受け止めてあげる!それくらいならできるから」
私には清華の痛みの肩代わりはできないし、清華の感じている喪失感も想像できないをけれど受け止めることはできるから。だから安心して悲しんでほしい。悲しんで悲しんでキッチリ気持ちに整理をつけてほしい。
清華はアルバムを何冊も持ってきた。それを赤ちゃんの時から順々に見ていく。
これがお母さん、これが私、という風に紹介しながら色々見せてくれた。言われてみれば清華の、特に笑った時の顔は写真の中の清華の母に似ている。特に口元のあたり。それから清華と妹ちゃんも良く似てる。お互い同じ年齢の写真を抜き出してみると時に見分けがつかない。
時折り往時を懐かしんでふと微笑む清華だったけど、小学生になったあたりから、まだ記憶が鮮明なのかだんだんと涙ぐむようになった。それくらいがお母さんの記憶も一番鮮明なんだろう。そして何より死別した時の姿に近付いていってる。
いよいよ清華は感情を堪え切れなくなってきて、堤防が決壊したようにわんわんと泣き始めた。
妹ちゃんが現れて、次第に清華は妹ちゃんに寄りかかった。清華に一番寄り添えるのは妹ちゃんだろう。私は陰でそっとしてた。
清華は延々と泣いていた。何年も年々も自身の内側に押し殺していた悲しみが一挙に溢れて出てきたようだった。
清華のお父さんにおばあちゃん、おじいちゃんが来て場所を居間に変えるとお母さんのこと、お母さんと清華のことを色々話してた。
私はやるべきこと、できることは全て終わったと思って布団に横になった。とはいえなり行きが気になってあまり眠れなかった。日にちが変わっても居間には明かりが煌々としていたし、話し声もまた耐えなかった。
さらに1時間ほどして、泣き腫らした清華が部屋に戻ってくると押し入れから楽器ケースを取り出した。形状から推測するにバイオリンだろうか。
清華は部屋を出てすぐの縁側で弾き始めた。痛々しく寂寥としていて、時折り感傷的。曲名はわからないが葬送曲であるのはわかる。時にたゆらうように優しく、時に運命の激流を表すかのように激しく。
母親への哀悼の意を、そして永遠のさよならを曲に乗せて清華は延々と紡ぐ。
私は葬送曲を聞きながらいつの間にか寝てしまった。時間も遅かったし、不謹慎なんて言わないでほしいけどとても綺麗な演奏だったから。
×××××
清華が墓参りから帰ってきた。昨晩も相当に泣いてたと思うが、やはり実際に母親の眠るお墓を眼前にすると感じるものがあるのか、両目は赤くなっている。
「遅くなっちゃった」
隣に座った清華が言う。母親の死からおよそ7年、ようやくの墓参りだという。
寂しげに微笑む清華。けれどどうやら、ようやく過去と向き合うことができたらしいと私はそっと安堵の息を漏らした。
『ママは死んでない』の発言に代表される、清華の過去の否定はここに終わったよう。
心に穴が空いたようだ、と清華は続けた。母親の死と向き合っているからこそ、母親の不在が寂しくてたまらないという。よく言われるように、ぽっかりと穴が空いたように感じられるのだとか。
「あのさ、清華」
「うん?」
声をかけたけど、言葉にするのにかなりの勇気が必要で、私はすーはーと深呼吸した。
「あのさ、私を見てよ」
未だに清華は過去にだけ、母親にだけ目を向けている。
清華には今がある。未来がある。妹ちゃんがいるしお父さんも祖父母もいる。だからどうか、今に。悲しみに囚われ続けるのはやめてほしい。
そしてもし私に意識を向けてくれたら。私は恋慕の情ゆえに貴女のそばにいる。これからもいたい。だから。
「あのさ、貴女、私のことを好きって言ったよね?」
戸惑うように聞くのは私の目頭が熱くなっているせいか。
「うん、言った」
「その、好きってどういう……」
友達として?そう言外に聞く清華。
「恋人として」
私は直截に言い切った。今更何を隠すことがある。
「貴女が好きよ、恋人として」
この情熱よ届け。私はもう一度、真っ向から真摯に清華に伝えた。
清華は放心しているようだった。無理もないと思う。
「……私は、さ。恋とかそういうこと、良くわかんないんだ」
まして同性同士なんて、と困惑が滲む。
「うん。だと思う。別に今すぐどうこうしようとかいう話じゃないの。ただ、私を貴女の横にいさせてほしい」
最後の一節を力強く私は言葉にした。
清華は受け止めて、それから俯いた。それからキッと顔を上げると私を自室に引っ張った。
何かあるのかと訝しむ私の前で清華は上衣を脱ぎ始めた。
「え、ちょ、ちょっと!?」
慌てる私を押し留めて清華は背中を見せた。一面のケロイド。
「これを見てもまだ好きでいられる?」
清華の抱える不安を私は一蹴した。
「私は貴女の外見に惹かれたわけじゃないの。舐めないで。その傷ごと愛してあげる」
大体傷なんて今更だ。ていうか傷だけじゃない。私は散々清華の暴力的な面を見てきている。今更火傷くらいで私の心は微塵たりとも揺るがない。
清華は少し呆気に取られていた。まさかこんなに力強く言われるとは思ってなかった、という感じ。次いでホッと安堵の息。
「あ、あの……。私もね、貴女のこと、その、上手く言えないけど憎からず思ってるの。……だから、その……。よろしくお願いします」
律儀にペコリとお辞儀する清華を前にして、私は今日が満願成就の日なのだと知った。




