車椅子の少女6
私は姫舞家の縁側で無聊を囲っていた。清華は絶賛仲直りした満穂と遊び回っている。
当たり前の話だが、清華が私以外の友人と遊ぶということは私に割く時間が減るということに他ならない。
ともあれ、まずは清華が親友と仲直りできたことを喜ぶべきだろう。私の助言を参考にしてさらにお互いの溝が深まる結果になりました、なんて最悪の事態は避けられた。のみならず最大限良い方向に転がったよう。時折り遠くから2人の声が聞こえてくる。
そのお礼として今日のお昼ご飯はなんと清華が作ってくれて、私は狂喜乱舞した。
今姫舞家には私以外には妹ちゃんしかいない。その妹ちゃんもすやすやと心地よさそうに寝ている。
そのかたわらには本が一冊。妹ちゃんが寝る前に読んでたやつ。この光景だけみれば文学少女っぽいがお生憎、本のタイトルは『資本論』。共産主義を生み出したカール・マルクスの著作である。
なんでも最近妹ちゃんは文学はさっぱり読まないらしい。読む本のほとんどは戦史を筆頭に戦争関連なのだそう。大変な読書家であることには違いない。
その妹ちゃんの横の机の上には妹ちゃんの夏休みの宿題がうず高く積まれている。それよりもなお高いお菓子の包装紙の山。宿題やりながら糖分補給してた跡。
当初妹ちゃんは『圧倒撃滅セントス』と意気込んでいたのが、最後にはもう終わりだ!とばかり放り出して『赫赫タル戦果を収メルニヨリ、他方面へ転進セントス』と宿題を投げ出した。
何はともあれとても牧歌的な光景だ。
遠く快晴の空に湧き立つ雲、少しやかましいくらいの蝉の声。季節柄、少々汗ばむ暑さに湿気には慣れない。が、扇風機と風鈴のチリンチリンと鳴る音、時たま吹く爽やかな風の前ではなんてことはない。うつらうつらと眠気を誘ってくる。風情だ。
おやつ時を過ぎて、私はむっくり起きた妹ちゃんと連れ立って散歩に繰り出した。
ただブラブラと歩き夕方、せっかくだから夕陽を見に行こうと妹ちゃんが言う。なんでも絶景スポットがあるらしい。
それならと足を伸ばした先は村に1つの神社のある山。さして高くないその山の麓から裏手中腹にかけて整備された遊歩道があり、そこからは夕焼けがよく見えるのだとか。
「お姉ちゃんも来てるみたいだね」
妹ちゃんが地面に残る轍を指差しながら言う。さらに足跡と足跡の間隔を自分の靴を使って測って、うん、間違いないと確信を深めている。
やがて遊歩道に設けられたちょっとした広場──中腹と呼ばれているらしい──に差し掛かった。
「お姉ちゃんだ」
妹ちゃんに釣られて視線を向けると、確かに清華と親友がいた。そして何やら深刻な雰囲気である。
ただならぬその様子に、私は妹ちゃんの制止に直ちに従った。
×××××
中腹へ向かう途中、最初は昨日は楽しかった、とか話していたのに満穂は段々と口数が少なくなっていった。
清華はどうしたのかと不思議に思いつつも、多分未舗装路に苦戦してのことだろうと考えていた。
「おおー、綺麗だねぇ」
2人が中腹に着いた頃は鮮明な夕陽が差していた。
「だねえ。いい景色だ」
一拍置いて満穂は昔の事を聞いてきた。
「憶えてる?病室が同じだったの」
満穂はどこか遠くを見ながら、問い掛ける口調は独白に近かった。
「うん、憶えてるよ」
「私の方が早く回復したじゃん?それでさ、昏睡してるあんた見て死んじゃえばいいのにって思ったんだよね」
「……え、ええ?」
思いもしなかった告白には困惑するしかない。からかうような調子でもなかったから本心でそう思っていたのだろう。
「ひどいな、死んじゃえなんて」
清華にできる返しはどこか混ぜっ返すようなようなものだけだ。それでも満穂は無視するように続けた。
「でもそしたら苦しまずに済んだ。私、あんたのお母さんが死んだの知ってたからさ、そのまま目覚めない方が幸せなんじゃないかって。実際今も苦しんでるでしょ?」
「それは……、まあ、確かに」
「……生きててなんか良いことあった?」
「まあ。冴月は可愛いし高校で新しく友達できたし。消極的だけど生きてるよ。満穂は……」
聞こうとしてとてつもなく嫌な予感に襲われた。なぜ生きて良かったか?なんて聞くんだろう?背中を悪寒が走る。それはつまり、
「そう……。私は何も無いよ、良いこと」
そう思ってるから聞きたかったのだろう。そしてその言葉が意味することは……、
「あのさ、殺してほしいんだよね、私のこと」
普段何気なく友人を遊びに誘うかのように発された。でもその目はあまりに真剣で希うような光をたたえている。
「……そんなことしないよ。できるわけないでしょ?大切な友達なんだよ?」
知らず口が戦慄く。
「……ありがと。でも私は死にたいんだよ。どうしようもなく。知ってるでしょ?私遊びまわるのが好きなの。走ったり泳いだり、そーゆうことが大好きなの。」
知ってる。それはもうよく。小学校入学前からの友人だもの。とにかくはしゃぐのが好きで、全部知ってる。だからこそ、今の満穂の絶望もよくわかる。
でも、清華は納得できない。
「……なんでよ。昨日、あんなに楽しかったじゃん」
「うん、楽しかったよ。だからもういいかなって。何て言えばいいかな、ぱぁーってはしゃいで未練が無くなったって感じ。なんか区切りがついたし死ぬにはいいと思ってね」
満穂はため息をついたあとまた続ける。
「見てよ今の私を。足は右膝、左の太ももの半分から無いしそもそも腰から下は動かないし何も感じない。左腕もぼろぼろ。握力なんか本を持つぐらいしかない。指だって同じ。小指は付け根の下あたりから無くて薬指だってほとんど無い。もし結婚できたとして指輪をはめるところすら無い。まったくお笑いものだよ。中指でも立てる?」
皮肉に笑いながら高く掲げた左腕を、掌を見る。それから私を見て、何も言えないでいるのを見てとるとまた話し始める。
「今までさ、何度も死のうと思ってきたんだ。でも全部失敗に終わってきた。そこの崖から飛び降りようとしたときは柵乗り越えるのに苦戦してるうちに見つかった。首をくくろうとしたときはなんて言うのかな、段差用意できなくてさ。七輪炊いたときも包丁で喉刺そうとしたときも見つかったし」
またため息ついて、次に一拍おいて、さっきより切実な調子で言う。
「お願い。私を殺して。わがままなのは分かってる。清華に負担を掛けることも。それでもお願い、叶えてほしいの。……ほらこれ。清華が罪に問われることはないから」
そう言ってバックの中から出したのは果物包丁だ。訳がわからずに戸惑っていると満穂が説明する。
「私はあなたのことが妬ましかった。その感情を爆発させて殺そうとして返り討ちにあった。ね?これで何も問題無い」
満穂の置かれてしまった環境は理解している。だから殺してほしい、願いを叶えてほしいという切実極まる願いは、心を揺さぶり、そして思い起こさせる。大切な人を失った痛みを。だから、清華の理は感情の洪水で押し流された。
けれど、ただ1つ厳然として動かない事実があった。私は親友を殺しはしない。いや、傷付けることすら拒否する。
清華の峻拒に満穂は激情でもって応えた。
「うるさい!こっちはお前が自殺したことも何人も殺したことも知ってて言ってるんだ!」