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執心

 七月も中旬になり、高校の前期終業式を迎えた。以降九月初週まで学校はなし。代わりに膨大な宿題があるけど……。仕事は八月中旬あたりまでない。というわけで丸々一ヶ月くらい予定が空いてる。


 だから清華と一緒に過ごしたい。んだけど、どうも清華から避けられてる。特に学校ではそれが顕著で、休み時間話しかけようとしても清華の姿を見つけることができない。


 元より清華と学校で関わることはあまりなかったが、しかし目を合わせることもない。合いそうになると清華はふいと逸らした。無視されている、と考えていいだろう。無視することに慣れてなくてかわいいのは愛嬌だろう。むしろよく女子がやるみたいな陰湿な無視の仕方じゃなくて安心する。


 さて、清華が私を無視するのはやはり私にその責を求めることができるだろう。


 私は私の欲望に基づき清華の深層へと迫った。けれどそれは清華の傷口を暴く行為でもあった。そのことに無思慮とまでは言わなくても、配慮が足りなかったのは間違いない。清華が私を遠ざけるのはむしろ当然なのだ。


 「ただいまー」


 帰宅に応える声もなし。まあもうマンションに移ったからあったら怖いんだけど。清華の家での生活に慣れてたのもあって漠然とした寂寥感を感じる。なんか生活感を感じられない。空っぽの箱の中にいるみたい。


 家具や日用品を詰めた段ボールがまだいくらか残っていて、それらの荷解きをすれば生活感はいくらか出るだろう。けれどそれも表層的で、人の温もりというか、そういった感覚的な部分は満たされないだろう。

 

 さてさて、空いてる期間をどう過ごそうかな。実家に帰るかどうかも悩みどころ。現状においては保留するしかない。


 会いたい、会おう、会える?予定空いてる?メッセージアプリで清華宛てに何度も入力し、そして消した。


 最終的になんと入力したものか分からず、送信しなかった。今清華と会おうとしても、その意思のせいで余計に清華に距離をとられてしまうのではないか。そう考えると怖くてとてもじゃないが会いたいなんて言えなかった。


 失意に心を支配されていると、スマホのリマインダー機能から通知が来た。バレエ公演のチケットの販売開始日のだ。


 各国のバレエ学校の生徒が演舞を行うもので、過日友人から『私、プリマドンナを務めることになったわ』と歓喜の報告が来た。


 プリマドンナ、つまり主演。明朗闊達、英気才気に溢れる彼女にこそ相応しい。当然の結果だろう。


 無二の親友として我がことのように嬉しく思う。憧憬の人だった。共に習って踊って減量して、つまりは切磋琢磨して。


 親友は私より上達が早かった。明らかに天賦の才があった。……だから、たまに嫉妬していた。


 退学になった後、バレエとは距離を置いたつもりでいた。けど何の躊躇も無く二日分のチケットを購入した。一日目は最前列で親友を観て、二日目はステージ全体を観る。


 どうやら私は執着深い。執着、と表現した通り一生懸命とか辛抱、忍耐強いというようなポジティブなものじゃなくて偏執、妄執、頑固頑迷というようなネガティブなもの。


 だからバレエとすっぱり別れることができずこうしてウジウジと引っ付いてる。こんなだから清華を諦めることができない。こんなだから清華が私と距離を取るというのは到底受忍できない。



×××××



 バレエ、白鳥の湖。前四幕からなるこの演目は、悪魔ロットバルトによって白鳥の姿に変えられた王女オデットと王子ジークフリートの真実の愛の物語。


 舞台で舞う親友のスカーチカは綺麗だった。豊かで絹のような栗色の髪を蓄え、緋色の目をした彼女。今は髪を後ろに結い、与えられた王女オデットという役を完璧にこなしていた。


 主演であるスカーチカは清廉な白鳥オデット、そして悪魔ロットバルトの娘である王子を誘惑する妖艶な黒鳥オディールを演じ分ける。


 ある時は楚々に、またある時は妖香ようこうを漂わせ。歓喜と哀切と、その場その場に合った感情を演じる。


 あるいは表情で、あるいはその指の一本一本、全ての関節に至る演舞で。むしろ表情よりも体を使った演舞の方が遥かに多くの感情を、その機微に至るまで表しているように思われた。


 スカーチカ演じる白鳥は、本当に白鳥であるかのようだった。彼女のその卓越した、関節一つ一つに及ぶ体使いによって、私は舞台上に凛とした白鳥の姿を幻視した。


 実のところ、スカーチカは──このような例えば彼女の持つ美しさを損ねてしまうから良くないと思うけど──タコのような軟体動物なんじゃなかろうか。あまりに馬鹿げていることはわかってるんだけど、それでもそう思ってしまった。

 

 舞台を席巻する彼女は全て観客の目を釘付けにしていた。私も不思議な魔力で強力な磁石に引きつけられるように彼女を一心不乱に追っていた。


 彼女の才幹が優れているのは間違いなく、ゆえに彼女の前途は、有望視ではなく絶対視されている。彼女が所属している学校の卒業生にはロシア、ウクライナ、イギリス、ドイツ、フランスと世界各国の一流の劇団からオファーが舞い込む。


 私が退学してから2年。彼女だけでなく、その数を減らしたかつての学友達も、かつてより遥かにその技量を向上させていた。


 不意に私は納得した。これが正しいバレエとの関わり方なのだ、と。


 彼ら彼女らに私の技量が及ぶ可能性は元より絶無だった。思い返してみれば、一度たりとて私は在学中あらゆる面でスカーチカに比肩したことなどなかった。


 だから、ダンサーとしてではなくこうして観劇するのが良い。私のバレエに対する執着は、新しい関わり方を見つけたことで唐突にすっかり解消された。


 では翻って私と清華の関係は?もし恋慕の情が届かなかったとして、私はやはり清華に執着し続ける?それともいつの日か、今日みたいに唐突に納得するのだろうか?事実を受け入れ、新しい関係を模索したりするのだろうか?


 ステージはクライマックスを迎えていた。


 白鳥の湖には大きく分けて2つのフィナーレがある。1つは王子ジークフリートと白鳥オデットは愛に殉じ、来世において結ばれるというもの。


 もう1つは2人はその愛の力により悪魔ロットバルトを打倒し、今世において結ばれるというもの。


 今回のフィナーレは後者だった。


 スカーチカは演劇の最初から最後まで完全に踊り切って見せた。彼女はその天恵と普段の修練からなる比類なき圧倒的な魅力で観客全員を魅了した。


 終演後の役者挨拶の時、私は心底からなる拍手を彼女に捧げた。


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