ディナー
夕暮れを迎えていた。この季節、私の部屋からは水平線に沈む夕陽が見える。
「綺麗でしょ」
私の部屋から見える夕陽も、海辺の喫茶店に劣らず素晴らしいものでしょ、だから今後も私の部屋においでよ。そんなニュアンスを滲ませながら私は話す。
清華は是と否とも判断付かない嫋やかな笑みを浮かべただけだった。
なんとも反応に困るが、それでも最初に海辺の喫茶店で出会った時と比べたら大した進歩だ。
ディナーに選んだのは事務所の人がお勧めっていう個室の肉料理。ちなみに金額帯はお高めの店の中では安い方。値段的に清華は断固拒否の構えを見せたけど、そこはお昼ご飯のお礼ってことで押し通した。それに誕生日のディナーにって親からちょっとした額のお金を貰ってる。
清華は店構えを見るとなおも引き返そうとしたが私は腕をがっしり組んで阻止。2名で予約してるとスタッフに伝えると観念したのか途端に大人しくなった。しかし逡巡してる清華も珍しい。
個室に通されると、清華は慣れてないのかしきりにキョロキョロと周囲を窺う。別に見回したところで調度品以外なのだけれど。でもなんか可愛かったから止める気にもなれなかった。
顔を動かすたびにサラサラと清華の白髪が揺れる。揃った毛並み。艶。嫉妬するくらいには綺麗だ。ロングヘアーの私よりさらに長いのに私の髪よりコンディションが良い。
前菜が来て、意識が前菜に向いたことでようやく清華は落ち着いた。
前菜はプロシュートサラダ。生ハムとサニーレタスにドレッシングをかけてあるもの。ドレッシングはほんのり甘味と油分を感じるもの。レタスは無味だけど、ここに塩分のある生ハムとドレッシングが合わされば口に運ぶ手が止まらない。
チラチラと傍目に清華を見る。満足しているようだった。しかし洗練された所作だ。
前菜を食べ終えるとメインの肉が時間差なく提供された。このシームレスさ、さすが高級店。
私と清華は同じのを注文した。というより清華が私の注文に合わせた形になる。
注文は牛ヒレの中央部の肉、シャトーブリアン。フランスの貴族、シャトーブリアンが好んで食べた部位だ。牛の肉の中で最も運動量が少なく、ゆえに最も柔らかい部位。ちなみに黒毛和牛。
鼻腔をくすぐる甘い香り。ナイフはすっと添えるだけ。それだけで、わざわざ力を入れなくても切れる。舌に乗せると肉なのに甘味を感じる。
再び清華の様子を窺えば口に軽く手を当てていた。想定外の味に驚き、同時に感動しているようだった。
「どう?」
美味しいでしょ?と清華に尋ねれば一も二もなく首肯する。
私は食べながら清華の反応を見ていた。気付くのは静けさだ。テーブルマナーにおいて音を立てるのは良くないとされる。けど立てるとかそういう次元ではなく、全くの無音。あと一口一口が可愛らしいくらい小口。艶の良い唇の中に入れられるだけなのにエロティシズムまで感じさせる。……そこまでいくとさすがに私の感性がおかしいか?
乱入者があったのはそんな時だ。個室の扉が無思慮に開けられた。
「あ、やっぱりそうだ〜」
絡みつくような声音の女の人は私の事務所の先輩モデル、逢だ。さんを付けないのは私がデコスケ野郎だからではなく嫌いだから。
強烈な後悔が胸の内に湧き上がる。そうだ。同じ事務所なのだからこの女もこのレストランを知ってたって何もおかしくない。
その逢の興味は清華に向かっていた。外向きの笑顔を顔に貼り付けながら打算にのみ満ちた目で清華を見る。後輩で格下に見ている人間の友人だから同様に格下。そんな風に考えてるんだろう。
「こんばんは〜。初めましてだね〜」
清華は逢が入室した瞬間の私の嫌悪の表情から、逢がどんな人物か読み取ったようだった。そうでなくても清華は初対面の人物に対して非常に冷淡な態度をとる人間。それは逢も例外ではなかった。
一顧だにせず、ただ一瞥をくれると食事に戻った。初めて海辺の喫茶店で清華に会った時を思い出す無視っぷり。仲良くなった今ではむしろ好ましい。だって私以外に関心向かないし、柔和な笑顔も私だけが独占できるから。
逢は清華のような類いの人間には初めて遭遇したようで、どうしたら良いのか分からず固まっていた。だからお前は三流なんだよ。
それでも、さもそれが当然とでも言うように清華の隣に座った。酒精が香る。見てみれば頬が僅かに上気しており、どうやら既にそれなりに飲んでいるらしい。
「お名前聞いてもい〜い?も、もしも〜し?」
清華は逢が戸惑うくらいには無視した。存在を認知すらしない完全な無視。例えばイジメなんかの無視とは一線を画する。逢が元から存在しないかのように肉を食べ続ける。
よくそんな完全に無視できるなって感心しちゃう。そりゃ私も無視するだけならできる。けど表面上無視しててもあんな風に絡まれてたら鬱陶しく思うのは確実で、パフォーマンスとして肉を食べても味わえはしないだろう。けど清華は特に気にする風もなく舌鼓を打っている。
「無視は良くないと思うなぁ〜?」
逢が痺れを切らした。ついでに肉に手を伸ばす。美味しそうなの食べてるねぇ〜って。
ドスン、と清華がナイフで逢がつまもうとした肉を突き刺した。
「お前みたいな犬畜生にすら劣る奴を見たのは43年のワルシャワ以来だ。お前を見てるとあるものを思い出すよ。何かわかる?暑い日には特に不快な、どぶの中で時折、靴にくっつくもんだよ」
口を開いた清華から飛び出たのは罵詈雑言と形容しても烈度が足りない、それほどの痛罵だった。口が悪いどころの騒ぎじゃない。
逢も呆然としていた。額に青筋立ててるあたり怒ってる。
「えっとさ?」
「黙れよ駄犬」
反論しようとする逢を一刀両断のもとに切り捨てた。もう、というか最初から話す気は一切無いという意思表示。これひょっとして一歩間違えば私も海辺の喫茶店で言われてたのだろうか……。
逢は清華に散々に言われたことが許せないらしい。そのチンケで虚無なプライドゆえに。
けれど清華はどこまでも冷淡、ともすれば冷酷だった。尚も言い募ろうとする逢にグラスの水をかけた。
「君は化粧の前に性根の隠し方を学ぶべきだったな。折角おめかししてるのに腐った心根がダダ漏れだぜ?」
水をかけられた逢はまさかそこまでされるとは思っていなかったらしくて衝撃に唖然としていた。傍目から見て結構な無礼してたけど本人的には酔っていることもあってか、あるいは格下に見ていたからか、完全に想定外だったらしい。
清華はいつの間にやらホールスタッフを呼んでいて、この酔っ払いの頭を冷やしてやってくれと引き渡した。