チャイコフスキー
清華の調理したお昼ご飯は掛け値なしに絶品だった。鮭の塩見と旨みが染み込んだ炊き込みご飯、よりどりみどりの揚げ物。山菜やキノコの揚げ物は初めて食べた。キノコの肉厚さはこんなにも美味しいものだったのかと驚いた。滋味と旨みに富み、圧倒される食事だった。
ふへぇ、と感嘆、満足のため息しか出なかった。驚いたのは清華が料理と同時並行で食器洗いもこなしていたことだ。
洗い物は私がするよと張り切り勇んだものの、多分半分もない。結局清華に誕生日なんだから座ってれば?と半ば強引に勧められて座ってた。
ただ清華と一緒に台所に立ちたいという欲がにわかに頭をもたげてきた。それで紅茶を淹れることにした。この後バレエや映画を見る予定だからそのお供に。
はてさてでは茶葉は何が良いかな。選択肢は二つ。一つ、清華のバイトしてるあの海辺の喫茶店と同じもの。清華が喫茶店で紅茶を飲むたびに私のことも思い出すって寸法。もう一つは少し珍しい、少なくとも一般の喫茶店なんかでは提供されないような茶葉。これもやっぱり飲むたびにに私を思い出すように意図してだ。
どちらにせよ、清華の記憶に侵入してしまおうってわけ。結局飲む頻度のより高いだろう喫茶店と同じ茶葉にした。ダージリン。セイロン産の、それも最高級のやつ。喫茶店で飲むたび私の家で飲んだ方が美味しかったなって思ってほしい。
ちなみにティーカップはハンガリーのヘレンドという陶器メーカーのものだ。過去多くの国々の王侯貴族を魅了し、愛用された磁器。
「それでさ、バレエとか興味ある?」
私としては清華にバレエを勧める意味もあって、映画ではなくバレエの公演を録画したまのを鑑賞しようかと思った。あと清華の趣味を知るために清華お勧めの映画を見るのも良いかも。ま、時間はたっぷりある。
「特には」
好きも嫌いもないからそれで良いよって清華の言を受けて、私は白鳥の湖を再生した。私の一番好きなやつ。あとは『水兵の踊り』とか『夏』、『カルムイツェク人の踊り』、『シルタキ』が好き。ちなみに白鳥の湖だと第二幕の『四羽の白鳥の娘たち』ってシーンが好き。
私はそっと清華の横に座った。腕が触れるくらいの真横。なんでそんな近く?って清華は戸惑い半分、鬱陶しさ半分の目でチロリと私を見た。
私は涼しい顔して受け流す。別に?親しい女の子同士が家でくつろいでるんだから普通のことでしょ?って。やはりどうにも清華は人付き合いに疎いところがあるらしくて、そんなもんかと受け入れた。私が清華なら……現段階なら多分ここまでは許さない。
でも内心では心臓バクバク。長距離走の後みたいに心臓は張り裂けそうなくらい脈打っていた。
ほんの少し触れた箇所がずっと熱を持っている。ささやかな衣擦れの音でさえ大きく響き、清華の吐息がやたら淫靡に聞こえる。カチャリというカップの音が鋭く、耳障りだ。テレビに映る画面も流れる音楽もまるで意識に入ってこない。
ああ、紅茶はホットではなくアイスにするんだった。火照る体にそんな後悔をしても時既に遅く、私は清華に気付かれないようにそっと頬を手で仰いだ。
清華は黙してバレエを観賞していた。私の乱心とは無縁に真剣な眼差しだった。
「これか」
ポツリと清華が呟いた一言。
「何が?」
ひょっとして一幕だけでも見たことあった?と問い掛ければ清華は独り言のつもりだったらしく、ちょっと困ったような反応をした。
「あー、この音楽、妹の言ってたやつだなって」
「ふぅん?チャイコフスキー好きなの?」
いや……、と言い渋った後、清華はぼそっと言った。
「なんか、ソ連で非常事態に流れる音楽だって。八月革命の時に流れたって言ってた」
「……はい?」
ソ連?非常事態?八月革命?あのソ連崩壊を象徴する事件の一つである?私が首を捻っていると、だから言い渋ってたんだよ、と清華は抗議の目を向けてきた。
「妹、何者?」
ロシアで9年を過ごしてきた私ですら八月革命時に白鳥の湖が流れたって初耳なんだけど?それ絶対学校の勉強の範疇じゃないよね?
「まあ、オタク」
極々短く。ゆえに多大な情報を伏せて。多分、ただのソ連オタクってだけじゃなくて色々併発してるんだろう。
私は深く触れたりせずに受け流した。変わった人なんだなって。もっとも、それで言ったら清華だって相当な変人なんだけど。