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第5章:記憶の川

 その夜、沙織は再び不思議な夢を見た。


 夢の中で、彼女は巨大な図書館にいた。天井まで届く本棚が幾重にも連なり、その間を細い通路が迷宮のように走っていた。沙織は、自分がなぜここにいるのか分からなかったが、何かを探しているという強い感覚があった。


 彼女が歩を進めると、本棚から本が飛び出してきた。それらは、まるで生きているかのように、彼女の周りを舞い始めた。よく見ると、それらの本の表紙には日付が書かれていた。


「これは……私の記憶?」


 沙織は呟いた。彼女の声は、図書館の静寂の中でかすかに響いた。


 突然、一冊の本が彼女の前に降り立った。表紙には「2024年4月15日」と書かれていた。沙織はためらいがちにその本を開いた。


 ページをめくると、そこには美咲との会話が鮮明に記録されていた。しかし、それは沙織の記憶とは少し違っていた。会話の内容は同じだったが、細部が異なっていた。


「記憶は……変化するものなのか」


 沙織は思わず声に出した。


「そうだよ」


 突然、背後から声がした。振り返ると、そこには年老いた自分の姿があった。


「記憶は固定されたものではない。それは常に再構成され、意味づけられ続けるものなんだ」


 年老いた沙織は静かに語りかけた。


「でも、それでは真実はどこにあるの?」


 沙織は困惑した表情で尋ねた。


「真実? それは簡単には定義できないものさ。むしろ、真実は常に形成されつづけるプロセスの中にあるのかもしれない」


 年老いた沙織は、ゆっくりと歩き始めた。沙織は、その後を追った。


 二人が歩くにつれ、図書館の風景が変化した。本棚の間から、小川が流れ始めた。その水面には、無数の映像が映し出されていた。


「これが記憶の川だよ」


 年老いた沙織が説明した。


「私たちの記憶は、この川のように流れ続けている。時に澄み、時に濁る。そして、その流れの中で、私たちの存在も形作られていくんだ」


 沙織は、川面に映る様々な記憶の断片を見つめた。そこには、彼女の幼少期の思い出、学生時代の苦悩、そして哲学者としての熟考の瞬間が映し出されていた。


「でも、もし記憶が常に変化するなら、私たちの自己同一性はどこにあるの?」


 沙織は、深い思索に沈みながら尋ねた。


 年老いた沙織は、優しく微笑んだ。


「それこそが、私たちが一生をかけて探求する問いかもしれないね。自己同一性は、固定された核にあるのではなく、変化の中の一貫性にあるのかもしれない」


 沙織は、その言葉の意味を深く考えた。彼女は、記憶の川に手を伸ばした。水面に触れると、そこに映っていた映像が波紋と共に広がり、新たな映像が形成されていった。


「私たちは、自分の記憶を選び取り、そして意味づけることができるのね」


 沙織は、ある種の啓示を得たかのように言った。


「その通りだ。そして、それこそが私たちの自由の本質かもしれない」


 年老いた沙織の声が、図書館全体に響き渡った。


 突然、図書館が揺れ始めた。本棚が崩れ、記憶の川が氾濫し始める。


「時間だ。君は戻らなければならない」


 年老いた沙織の声が、遠ざかっていく。


「でも、まだ分からないことがたくさん……!」


 沙織は叫んだが、すでに周囲の景色が霞み始めていた。


「答えは、君自身の中にある。探し続けることを忘れないで」


 それが、沙織が聞いた最後の言葉だった。


 沙織が目を覚ましたとき、彼女は自分の研究室にいた。机の上には、開かれたノートがあり、そこには夢の内容が克明に記されていた。


 しかし、不思議なことに、その筆跡は沙織のものではなかった。


 沙織は深く息を吐いた。彼女は、自分が大きな謎の入り口に立っているような感覚を覚えた。そして、その謎を解き明かすことが、自身の存在の意味を理解することにつながるのではないか、という予感がした。


 彼女は、ゆっくりとペンを取り、ノートに新たな言葉を書き加えた。


『存在とは、記憶という流れの中で常に形成され続けるものである。そして、その流れの中で自己を見出し、意味を創造していくことこそが、私たちの人生の本質なのかもしれない』


 沙織は窓の外を見た。京都の街は、朝もやの中にぼんやりと浮かんでいた。しかし、彼女の目には、その風景が今までとは違って見えた。


 それは、無数の存在と記憶が交錯する、壮大な舞台のように感じられたのだ。


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