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6.5 焚き火を囲んで

おばば様、ヤロミール、イゴル視点の話です

 薄暗くなった広場で、村人たちが焚き火を囲みながら食事をしている。バルボラは皆から離れたところで、木の枝がパチパチと弾ける音に耳を傾けながら焚き火にあたっていた。


「おばば様。お待たせしました。熱いので気をつけてください」


 そう声をかけてきた村人から渡されたスープには、細かく刻まれた肉が入っていた。木匙ですくい、少し冷ましてから口へ運ぶ。肉は年寄りの歯でも簡単に噛み切れた。


「食べやすくしてくれたんだね。美味しいよ」

「良かった! いっぱい食べてくださいね!」

「ふふ、あたしはこれで十分だよ。若いのに食べさせてあげな」

「はい!」


 村人は嬉しそうに戻っていった。


「あの子は元気だけれど、他の奴らは湿っぽいね」


 いつもなら馬鹿騒ぎが始まる頃合いなのに、広場全体の空気が重い。皆の表情は暗く、すすり泣く者もいる。

 声をあげて泣いている村人たちの中心にいるのはエリザベータだ。村人たちを慰めているようだが、誰も泣きやみそうにない。


「生まれた時から知っている子どもが旅に出るんだ。そりゃあ皆寂しいだろうさ」


 ゾルターンがそう言ってスープを飲み干した。

 あの陰気な空気が嫌で、離れた場所に座ったのはいいが、一緒に焚き火を囲むのがコイツだけとは……村人たちがいらぬ気遣いをしたのではないかと疑ってしまう。


「みんな! 踊りましょう!」


 エリザベータがそう呼びかけて、人だかりから抜け出した。両手を広げ、クルクルと回りはじめる。手首を返す姿は、あの子が踊り慣れた儀式の舞そのものだ。


 神聖な舞をあのような使い方をして――と説教したくはあるが、あの子なりの場の収め方なのだろうと言葉を飲み込む。


 とても楽しそうに踊るエリザベータに、ヤロミールが横笛を合わせる。見知らぬ世界に旅立とうとしている当人たちが、いつもの宴を望んでいるのだ。二人に追随して一人、また一人と立ち上がり、踊りはじめた。


 手拍子がどんどん大きくなる。村人たちが互いに腕を組み、大きな輪になった。皆が陽気に歌う姿に、エリザベータはほっとした表情を浮かべると、その輪にまざって踊りだした。


「あーあー。あんなに足を上げて……はしたないね。立派な《月の巫女》になるように育ててきたつもりなんだがねぇ……」

「皆を笑顔にしているんだ。十分立派だよ。これ以上、何を求めるんだ?」

「お前にはわからないさ。《月の巫女》は畏れ敬われる存在でなければいけないんだ。……まあ、今夜は目をつぶるよ。そろそろ一杯いくかい?」

「ああ」


 酒壺の口に伏せてあった陶器をゾルターンに渡し、黄金色の酒を注ぐ。食べ終えたスープの器に自分の分を注ぎ終えると、頭の位置まで掲げて乾杯した。


「「我々の安寧に」」

 

 ゾルターンは喉を鳴らしながら一気に酒を飲み干した。


「はぁ……やはりこの酒を飲むと、懐かしさを感じる。ここで暮らした記憶なんか残っていないのにな」

「伝統的な蜂蜜酒だ。材料のベリーや蜂蜜の味を舌が覚えているんだろうさ」


 村で金髪の子どもが生まれると、長旅に耐えられる年齢になるまでは村で育てられる。それはコイツも例外ではなかった。ここで暮らし、森の歩き方を学び、そして外界へ連れていかれた。


 あのチビが、今では行商(ヴィーニック)(おさ)だというのだから……互いに歳をとったものだよ。


 再び酒を注いでやると、今度は味と匂いを楽しむように少しずつ飲みはじめた。しばらく無言で酒を酌み交わす。ゾルターンの酔いが回り、気が緩んだのを見計らって、気になっていたことを問いただす。


「お前、はなからエリザベータを連れていく気だっただろう」

「んん? ああ、そうだ」


 悪びれもせずに認めるとは……


「我々を利用するように(そそのか)したのは誰だい?」

「それは……言えないな」

「少なくともお前たちの飼い主ではなさそうだね……」


 行商(ヴィーニック)を庇護している辺境伯が国王に進言したのなら言葉を濁す必要はない。自分がしたのであれば、コイツは素直に答えるだろう。

 マグ族の掟を破り、移民でもない人間を――それも金髪の人間を村に連れてくる行動は、コイツらしくないと思っていた。明らかに別の誰かの仕業だ。


「だとしたら、身勝手がすぎるお前の息子が一番疑わしいのだが、どうなんだい?」

「……」

「何も言わないなら、認めたと判断するよ」

「否定したところで、別の名前が出るだけだろう?」


 図星だった。互いに性格を熟知しているからやりにくい。しばらく睨み合いをしていると――


「なになに? 何か難しい話してる〜?」


 ヤロミールがひょいっとゾルターンの横に座り込んだ。笛は誰かと交代してきたようだ。


「ああ、大人の話さ」

(おさ)同士の話だ。入ってくるんじゃないよ」と手で追い払う仕草をするが、ヤロミールは去ろうとしない。興味津々でゾルターンが持つ蜂蜜酒を見ている。

「駄目だ。これは大人になってからだ」

「ちぇっ」

「大人になったら、一緒に飲もうな」


 ゾルターンが赤みがかった茶髪をくしゃくしゃと撫でると、ヤロミールは嬉しそうに笑った。


「さあ、お前は相棒たちの準備をしてやれ。白犬(ビーリー)黒犬(チェルナ)、それに(ゾバーク)も連れていっていいぞ」

「えっ、いいの? やったぁ〜〜!」

「忘れるなよ……行くのは戦場だ」

「わかってるよ! ねえさんは絶対俺が守るから!」


 ヤロミールは犬たちの旅の準備をするために走っていった。


 気がそがれてしまったな……


「……あの子の髪色でも、外界では厳しいのかい?」

「ああ。実感したと思うが、太陽の色以外は侮蔑の対象だ。特に貴族は金髪の中でも優劣をつけたがる。王都から離れればそれほどでもないが、肩身は狭いだろうな」

「こんな辺境の地に移住したくなるほどかい……」

「いっそ住む場所を分ければ、平穏に暮らせると思うがな。森の村(ここ)みたいに……」

「……」


 ソレイユ王国では髪色で優劣が決まるという。血筋などではなく遺伝現象による選民意識とは厄介なものだ。

 先祖に髪色が濃い者がいれば、両親が金髪だとしても子どもが金髪になるとは限らない。髪色で住む場所を決めるとすれば、親と離ればなれになる子どもが生まれてしまう。必ず不満を訴える者が現れるだろう。


 そんなことを思索していると、ゾルターンが唐突に語気を強めて取り乱した。


「ち、違う! 俺たちは差別されているとは思っていない!」

「は? 何を慌てているんだい。あたしも差別しているつもりはないよ。けれど……村から追い出していることに変わりはない。髪色で優劣をつけるソレイユ王国。髪色で村から追い出す我々。どちらも色で区別していることに変わりはないさ」

「それでも、やつらと同列に語るつもりじゃなかった。すまない!」


 そう言って頭を下げる態度は、はたして本音か、建前か――


「……ふん、どうだっていいさ」


 ()()()()あたしたちを裏切らない。そう()()()()()()信じているのだから、そこを疑っても仕方ない。やり方が気に食わず、口論になることもよくあるが、マグ族のために動いているのだと理解している。


 だが、今回は――


「これで……本当に良かったのだろうか」

「え?」

「あ、いや……」


 ずっと思っていたことが口を衝いて出てしまった。あたしも酔いが回っているようだ。ゾルターンはすでに話を聞く体勢になっている。仕方なく黄金色の酒を一気にあおり、深く息を吐く。


「……伝統を守るのが役目だと信じて、これまでやってきた。あたしは意地でも使者たちを追い返すべきだったのではないか? 今からでもお前を追い返して、行商(ヴィーニック)全体を敵に回してでも、あの子を止めるべきではないか?」

「おいおい。それは酔っ払いのたわごとではすまないぞ。知識を求め続けるのはマグ族の矜持だろう? 外の情報はもういらないっていうのか?」

「だが……もし、戦場であの子を失ったら……それこそマグ族の終わりだ……」


 言葉にすると、より不安が増してくる。あの子を失う未来を想像するたびに背筋が薄ら寒くなる。


「ったく……心配性だな。俺たちが支援するしヤロミールもイゴルもいる。ミルシュカは……ちと心配だが、エリザベータにべったりとくっついて、離れないだろう。大丈夫だ。エリザベータは、絶対に死なない!」

「ゾルターン……」

「こっちには国王の書状があるんだ。酷い扱いはさせない。だから()()()森の村(ここ)で帰りを待っていてくれ」


 あたしを悩ませている張本人がよく言うよ。それでも、心強い。


「ふふ、説得が上手くなったじゃないか。だが、その呼び方はやめろといつも言っているだろう。互いに立場があるんだ」

「誰も聞いちゃいないさ」


 ゾルターンが親指で指し示す。そこでは酔いの回った村人たちが肩を組んで踊っていた。人数はかなり減ったようだ。エリザベータの姿も見えない。

 そろそろ宴はお開きだな。


「今夜は一人だろう。うちに泊まったらどうだい?」

「女だけの家に世話になるのは遠慮するよ。いつも通り行商(ヴィーニック)の小屋で休むさ」

「なら後でお湯を持っていかせるよ。今日は疲れただろう。ゆっくりおやすみ」

「ああ、ありがとう」


 ゾルターンが寝る場所に向かうのを見送ると、早く家に帰るようにと酔っ払い共を急き立てた。



  *  *  *


 

 ヤロミールが旅の支度をしていると、叔父さんに声をかけられた。「持っていくといい」と手渡されたのは、金属製の犬笛だった。人間の耳では聞き取れない音を出すことができる道具だ。


「戦場に行けば、静かに行動したい時もあるだろう。吹き方は覚えているね?」

「うん。ばっちり!」

「では首にかけておきなさい。いつでも使えるように」


 そう言って、犬笛を首にかけてくれた。


「ありがとう、叔父さん! 帰ってきたら、向こうのこといっぱい話してあげるね!」


 叔父さんは少し困ったような顔をした。


「……私たちは猟師だ。獣のことは熟知している。私が教えられることは全て教えたつもりだ。けれど人間の兵士のことはわからない。決して無茶はしないでくれ。危なくなればすぐに逃げるんだよ。いいね」

「うん。わかった」

「よし、それじゃあ……おやすみ。良い夢を」


 自室に戻る背中を見届けて、俺は猟犬が眠る小屋に向かった。すでに犬たちは眠りについていた。ひときわ大きなシェダのそばには、彼女が産んだ子どもたちがぴったりと寄り添っている。


「みんな、かあさんのことを覚えているんだね。良かった……」


 ビーリーとチェルナの間に入りこみ、チェルナの身体に頭を乗せる。においで気づいたのか、シェダが鼻を近づけてきた。そっと下顎を撫でてやると、顔を舐められた。


「もう少しだけ一緒にいられるね。今日は俺もここで寝るよ」


 こうして皆と眠るのはいつ振りだろうか。

 温かい。生命の鼓動を聞きながら、ゆっくりと目を閉じる。


 幼い頃に、子どものいなかった叔父夫婦に引き取られた。二人はとても優しくて、本当の子どものように接してくれたけれど、俺は素直に甘えることができなかった。


 そんな時、支えになってくれたのは犬のシェダとエリザベータ(ねえさん)だった。


 夜眠るのが怖くなると、この小屋に来てシェダに寄り添って眠った。シェダに子どもが産まれると、叔父からビーリーとチェルナの世話を任された。それからはシェダを『かあさん』と呼び、小さな仔犬たちを弟と思うようになった。


 ねえさんは幼い俺を心配してよく遊んでくれた。俺のことを気にかけてくれる2歳年上の彼女の姿はとても大きく見えたが、いつしか俺は彼女の背を追い抜いて、見下ろせるまでに成長した。村一番の力持ちだともてはやされるようになると、ねえさんの役に立ちたい、ねえさんを守るのは自分の役目なのだと考えるようになった。


 王国の使者が来た時、俺は良い機会だと思った。

 密かに外の世界に憧れているねえさんに土産話ができればいい。そんな軽い気持ちで志願した。

 結局、ねえさんも行くことになってしまったけれど。大丈夫。俺は強い。


 絶対にねえさんを守るんだ。



  *  *  *



 イゴルは世話になっている親方に頭を下げた。


「すみません。無理を言って弟子にしてもらったのに、また自分のわがままで旅に出ることになりました」

「いい、いい、気にせんでくれ。ほれ餞別だ」


 布で包まれた物を渡された。とても軽い。


「これは……」

「木炭だ。お前、好きだろう?」

「好き……ですが、旅に持っていく物では……」

「軽いから邪魔にはならんだろうて。はっはっはっ。それとこれもな」


 革製の収納袋に入った鍛治道具一式を渡された。


「これは、明らかに重いのでは?」

「どうせ向こうでも武具の修理をするだろう。慣れた道具は肌身離さず持っておけ。あとこれもだな」


 今度は革張りの長方形の鞄だった。鍛治師には似つかわしくない物を渡されて困惑する。


「それは巫女様用の医療器具が入っている。割れ物は緩衝材で包んではいるが、落としたりぶつけたりするなよ?」


 外の世界では外科医は下賎の者がなると聞く。外科技術の低迷は酷く、医療器具も満足に揃わないと思った親方が使える物を詰め込んだらしい。


「巫女様なら使い方を知っている。どうしてもかさばってしまうからお前が背負っていけ。()()()()()()()()()()()


 笑顔から圧を感じる。俺は「はい」と返すしかなかった。


「イゴルちゃん、イゴルちゃん。ちょっとおいで」


 おかみさんに呼ばれて椅子に座ると、親方に後ろ手を縄で縛られ、両足も椅子の足に固定されてしまった。


「は? え?」

「ごめんねぇ。山の村(ストルホラ)の人は嫌だろうけれど、外じゃあ若者が立派な髭を生やしていると変に思われちゃうからぁ」


 柔和な笑みを浮かべるおかみさんの手には、剃刀が握られている。何をされるのか察した俺は震えあがった。必死に拘束を解こうと暴れるが、緩む気配がない。


 くそっ、親方め! 馬鹿力な上に丁寧な仕事だな!


「じっとしてろ。ケガするぞ」

「大丈夫。怖くないわよぉ」


 分厚い手でがっしりと頭を固定する親方。

 笑顔で剃刀を近づけてくるおかみさん。


「う……ぁ……嫌だ…………嫌だああああああああ!!」


 情けない叫び声が、家中に響き渡った。

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