5 和解
皆が見守る中、エリザベータ、ミルシュカ、ヤロミール、イゴルの4人は行商の長ゾルターンが用意した紙へ署名した。
ソレイユ王国の使者たちは、辺境の地の住人が自分の名を書けることに驚いていた。
マグ族は幼い頃から読み書きを学ぶ。それは『知る者』としてさまざまな分野の書物に触れ、新たな知識を書き残すために必要だからだ。
外からの移住者を除いて、森の村の村人全員が読み書きを覚えている。さらに巫女のような祭事に関わる人間は、古い文献を読むために古代語も学ぶ。それを知った彼らはさらに驚いていた。
「村の大事な若い者たちを、外界の戦場に送り出すことになるとはね……」
おばば様がこめかみを押さえてぼやいている。
森の村の長である彼女は、マグ族の掟を破る者に罰を与える立場にある。そんな彼女が外の世界へ出る許可を、それも《月の巫女》と《星の巫女》の両方が村を離れる許可を出すことになったのだ。
伝統を重んじる彼女には受け入れがたいことだろう。
「ちゃんと無事に帰ってくるわ。ほら、経験は何物にも代え難いって、おばば様がよく言うじゃない。外の世界を実際に見て知ることは、マグ族にとって悪いことではないと思うの」
「そうだよ〜。そんなしょんぼりしないでくれよ。ねえさんのことは、俺がしっかり守るからさ!」
「わっ私も、エリザベータのこと、守ります」
エリザベータに続いてヤロミールとミルシュカもおばば様を気遣い、イゴルは大きく頷いてみせた。
「お前たち……」
おばば様が力なく微笑んだ。
その横で、書状に封蝋を施したゾルターンが淡々と告げる。
「今日中に出発の準備と皆への挨拶をすませてくれ。明日には村を出てもらう」
「明日だって?」
おばば様は怒りを込めて彼に掴みかかった。
「そんな急に! お前には情ってものがないのかい!?」
「急を要するんだ。バルボラ……手を離してくれ」
「ふんっ」
「あっ、おい! 返してくれ!」
「落ち着きな。破るわけじゃないよ。客人へ渡すのだろう?」
おばば様はゆっくりと使者のボジェクに近付き、ゾルターンから奪い取った書状を見せつけた。彼は眉をひそめた。
「この書状を渡す前に……二つ、頼みがある」
「なんだ?」
「我々を加護なしと侮辱したこと、そしてエリザベータに暴力を振るったことを、謝罪してもらいたい」
二人の間に張り詰めた空気が漂う。
おばば様……それでは『謝罪しなければ渡さない』と言っているのと同じだわ……
エリザベータは内心ヒヤヒヤしていた。
「それは頼みというよりも……脅しではないか?」
「どうとられてもかまわないよ。こっちは腹わたが煮えくり返りそうなのをずっと我慢していたんだ。さあ、どうするんだい?」
「私は……」
「申し訳ございませんでした!!」
ボジェクの後ろに控えていた若い使者が勢いよく頭を下げた。その場にいた全員が彼に注目する。
「私は、魔女様の慈悲深さに感服いたしました! 髪が太陽の色ではないからと、ただただ恐れていた自分が恥ずかしい……長老様の気がすむまで、このマルツェル、いくらでも謝罪いたしましょう! そして必ず魔女様に戦地へ向かっていただくのです。そうすればきっと、ボジェク様の懸念も解消されるでしょう。さあさあ! ボジェク様の分まで謝罪いたしますよ! 痛い!」
マルツェルと名乗った若者はボジェクに頭を叩かれた。
「……お前、少し黙っていろ」
おばば様が改めてボジェクに問いかける。
「……さて、お前さんはどうするんだい?」
「ふん、敬虔な神の信徒として、お前たちに加護がないという考えは変わらない。だが、礼儀に欠けていたことは確かだ……そこは謝罪しよう。おい、そこの小娘!」
「え? な、何かしら」
「手荒なまねをしてすまなかった。第三騎士団には私の馬鹿息子が所属している。どうか無事に帰れるように、協力してくれ」
彼は少し薄い頭頂部が見えるほど、深く頭を下げた。馬鹿息子と乱暴な呼び方をしているが、よほど我が子の安否が心配なのだろう。そうでなければ、自尊心が高そうな彼が小娘に頭を下げるはずがない。
ボジェクさんは私を認めてくれた。この期待に必ず応えてみせるわ。
エリザベータは決意を固めた。
「もちろんよ。最善を尽くすわ」
「フン、最初からその態度であればな……もういい。それを持って、さっさと帰っておくれ」
おばば様は書状をボジェクに押しつけ、さっさと家に戻ろうとする。
「お、おばば様! せっかくだから宴に参加してもらいましょうよ」
「だめだ。陽が沈む前に帰ってもらえ」
「せめて旅の安全を――」
「もういい。確かに我々は急ぐ必要がある。お前たちに用意させた薬は、戦地へ届かなければ意味がないからな」
「待って! せめてお守りを持っていって。すぐに用意するわ」
彼らがそのまま帰らないよう、ヤロミールに見張ってもらい、エリザベータは急いで調合室に向かった。
「必要なのは虫や獣が嫌う匂いの強いもの……犬酔い対策も欲しいかしら」
入れる薬草は決まった。机に置いている小さな布袋の中に、ミント、フェンネル、ラベンダーの他にもう数種類の薬草を詰め込んでいく。酔いを防ぐものはどうしても眠気が出るが、行商の犬たちなら振り落とすことはないだろう。
「あとは祈りを……」
傷薬と同じ要領で《月神の力》を込める。これで薬草の効果が増す。紐で口を締めれば、熊さえ寄りつかないお守りの完成だ。手早く人数分を作ると、急いで彼らのもとへ戻った。
おばば様とイゴルはいなくなっていたが、ヤロミールのおかげで彼らはまだ残ってくれていた。一人ひとりにお守りを手渡す。
「これがお守りだと? ただの匂い袋じゃないのか?」
「私の魔法をかけてあるわ。森の動物が寄り付かないし、犬酔いにも効くはずよ」
「ほう、それはいい」
やはり二人共、犬酔いには参っていたのだろう。すぐにボジェクはお守りを腰にぶら下げ、マルツェルは両手で握りしめて何度も感謝の言葉を述べた。
「マグ族の若者たちよ、覚悟しておけ。森の外は私のような人間ばかりだ。お前たちが考えるよりも理不尽な目に遭うだろう」
「髪の色で差別するのは、本当に悪習ですよね! 痛い!」
また頭を叩かれている。この二人の関係は、いつもこうなのかもしれない。
「馬鹿者が。ここが王都なら異端者として捕まるところだぞ。二度と口にするな。行くぞ」
人の手を借りて使者たちは犬に跨った。そして大きな荷物を背負った行商の若者たちと共に帰っていった。
「行ったわね……」
「ところでさ〜。何でゾルターンは一緒に行かなかったんだ?」
ヤロミールがその場に残ったゾルターンに尋ねる。彼は手渡されたお守りを腰紐に結びつけながら答えた。
「お前たちだけで森を抜けられるわけがないだろう。明日俺が先導する」
「え? ということは、ゾルターンは今夜泊まるの? じゃあ俺ん家でかあさんを預かってもいい?」
「ああ、好きにしろ」
「やった〜!」
ヤロミールは大喜びでゾルターンの犬に抱きついた。
「かあさん! ビーリーとチェルナも元気にしてるよ! 一緒に行こう〜」
その犬はシェダといい、ヤロミールが世話をしている二頭の母犬だ。シェダは嬉しそうに喉を鳴らしてヤロミールについていった。
「相変わらずだな、あいつは……図体がでかくなっても精神は幼いままだ。まだお前のことを『ねえさん』と呼んでいるのか?」
「ええ。そうよ」
エリザベータが頷くと、ゾルターンは呆れたように溜め息を吐いた。
「……まあいい。お前たち二人はこっちに来てくれ」
エリザベータとミルシュカが連れていかれたのは『水鏡の間』だった。