4 《神の力》
茶髪の村人が水を差し出しただけで激怒するような人物だ。銀髪に対してどのような反応をするかわからない。
エリザベータはそんな不安を押し隠し、恰幅のいい使者と向かいあった。
「お前が一番、腕がいいのか?」
「ええ、そうよ」
「ふざけるな!!」
いきなり大きな声で怒鳴られ、反射的に顔をそむけてしまった。慌てて平然とした顔を作り、男と目を合わせる。
「お前のような不吉な人間を、重要な戦場に連れて行けるわけがないだろう! よりにもよって神の加護を持たない、こんな……」
「病気もケガも治療できるわ。力になれるはずよ」
「お前たちと我々を一緒にするな!! このっ、この髪は、死を呼ぶ色だ!」
「痛っ!!」
逆上した男に髪を乱暴に掴まれた。強い力。明確な敵意。何の抵抗もできず、息が当たる距離で怒声を浴びせられる。
「お前なんかに治療を任せたら、騎士団が壊滅してしまう! 神に見放された者に、我らを癒せるものか!!」
「なんてことするんだい! 放しな!」
「うるさい!!」
引き離そうとしたおばば様が突き飛ばされた。
「おばば様ぁ!」
酷く情けない声が出てしまった。
今すぐおばば様に駆け寄りたい。けれど振りほどこうにもしっかりと髪を握られていて身動きがとれない。
痛い。怖い。逃げられない。
こんな姿、みんなに見せてはいけないのに……《月の巫女》ならこんな事態もすぐに解決しなければ……でもどうしたらいいの?
どうすれば、誰も傷付かずにすむの!?
わからない……私にはわからないわ!!
すると突然、地面が唸り声を上げて大きく左右に揺れはじめた。風が方向を変えながら激しく吹き荒れる。森の動物たちも異変を感じて騒ぎはじめた。
どうしてこんな……
気付くと自分の銀色の髪が光を放っていた。《月神の力》が溢れ出ている。
けれど自分自身には大地を動かすことも、風を操ることもできない。まさかと思い、横目で確認すると、《月神の力》と呼応するように皆の髪も輝いていた。
――この現象には見覚えがあった
《月の巫女》の重圧に耐えられなくなったある日、エリザベータはミルシュカに《月の加護》を分け与えようとした。
結果は《星神の力》の暴走。通常の『星読み』は星の動きや位置関係を観ることで個人の性質や未来を読み解くものだが、この時のミルシュカは星を観ることなく膨大な情報が頭に流れ込んでしまい、高熱を出して何日も寝込んでしまった。
後で聞いた話では、ある人の過去と未来をその場にいるような感覚で視たというが、それが誰なのかは教えてくれなかった。
――《月神の力》は他の《神の力》を増幅させる特性がある。けれど使い方を間違えれば対象者が耐えられず、身体に深刻な影響を与える。最悪の場合、死に至ることもあるという。
二度とこのようなことが起きないように訓練をしてきた、はずだった。しかし、今まさにエリザベータから溢れ出た《月神の力》が、村人全員の《神の力》を暴走させている。
「な、何だ? 何が起きているんだ?」
「ボジェク様! なんだかまずいですよ!」
「ええい、鬱陶しい! お前は本当に使えんやつだな!」
男はすがりつく若い使者を突き飛ばした。
「ボジェク殿、手を放してください! これ以上彼らを刺激してはいけない――」
「うるさいうるさい! 商人ごときが私に指図するな!」
「そんなことを言っている場合では――」
ピィーーーーッ!
ゾルターンが男を説得している中、鳥の鳴き声が聞こえた。強風が吹き荒れる上空を避け、低空飛行で近づいてくるその声の主は見覚えのある小さな鷹だった。――ヤロミールが育てているゾバークだ。
「うわっ、なんだこいつは! やめ、止めろっ! このっ」
後頭部を奇襲された男は片腕だけで追い払おうとしたが、執拗な攻撃に耐えられず、エリザベータの髪から手を放して逃げ回った。
開放されたエリザベータは膝から崩れ落ちた。ほっとしたと同時に、髪の輝きも消えた。
「おいおい、しっかりしろ! ぼうっとしている場合じゃないぞ。早くあいつらを安心させてやれ!」とゾルターンから檄が飛んでくる。
顔を上げると、皆はまだ《神の力》が溢れたままだった。震える足で再び立ち上がり、大きな声で自分の無事を伝える。
「みんな!! 私は大丈夫よ、ケガもしていないわ! だから落ち着いて!!」
そして精一杯の笑顔を見せる。
すると天変地異はぴたりと止まり、鷹はヤロミールの指笛を合図に飛び去っていった。全員の髪が元に戻っているのを確認して、エリザベータはおばば様のところに駆け寄った。
「ケガはない?」
「ああ、多少腰にきたくらいだ。なんともないよ」
「そう……良かった。ふふ、あとで湿布しないとね」
「エリザベータ……よく、泣かなかったな」
「うん……」
優しい手つきで頭を撫でられた。
おばば様が素直に褒めてくれるのは珍しい。嬉しくて涙が出そうになるのをぐっとこらえ、「《月の巫女》だもの」と微笑んだ。
まだやるべきことが残っている。
疲れ果てて座り込む使者に歩み寄る。
彼の服はところどころ破れ、手にいくつもの爪痕が残っていた。
痛々しい……
この傷は、自分の未熟さが招いたものだ。
誰も傷付かない方法がみつからなかった。《月の巫女》としてまだまだ力不足だと思い知らされる。
「ぜぇ……ぜぇ……鳥をけしかけるとは、野蛮人どもめ……」
「ごめんなさい。傷付けるつもりはなかったの。お詫びにはならないかもしれないけれど、あなたを治療させて欲しいわ。いいかしら?」
「ふん、もうどうにでもしろ」
意外にも拒まれはしなかった。彼の気が変わらないうちに、腰に提げている袋から傷薬を取り出し、祈りを込めて傷口に塗っていく。
ソレイユ人に対して《神の力》を使うのは初めてだ。効果がなければ、彼らに『加護なし』と言われるのも仕方がない。けれど心配は杞憂に終わった。薬は淡く光り、たちどころに傷は塞がった。
「……これは、どういうことだ?」
「よかった……ちゃんと効いたわね」
エリザベータは胸を撫でおろした。
傷口があったところをまじまじと見つめる彼を置いて、次は気絶している若い使者を起こす。
「うう……」
「大丈夫かしら?」
「ひぃっ、触るなっ!! この、加護な……」
「ごめんなさい。すぐ終わるわ」
怯える男の手を取り、突き飛ばされた際にできた擦り傷へ祈りを込めて薬を塗ると、さきほどと同じように傷は塞がった。
「……奇跡だ」
若い男は目を輝かせた。
「今、何をしたのですか? 薬を塗っただけで傷が塞がるなんて、まるで魔法のような……」
「《神の力》で治癒力を高めたのよ」
「……え? 今、何と?」
「え? だから《神の力》で――」
「エリザベータ。古代語はソレイユ人にはわからないよ」
「あっ」
そういえば、中年の男は『マグ』の語源を知らないようだった。外の世界では古代語は学ばないのかもしれない。
「それならどう言い換えればいいかしら……」
人の力では不可能なことを可能にする《神の力》、例えるなら、そう、おとぎ話に出てくるような――
「やっぱり『魔法』が一番近いかしら」
「ああ……魔法は実在したのですね!」
ずっと怯えていたのが嘘のように、若い男は《神の力》に興味を示す。
「ふん、魔法……か。さっきの地震や暴風や、これもそうだというのか? にわかには信じられんが……」
そう言って、中年の男は自分の手を示した。
「完全に塞がっているでしょう? 私の魔法は誰よりも効くのよ」
「後から何もなければよいがな……」
彼の懸念は当然のことだ。《神の力》を使った急激な回復は、慣れない身体には負担になるかもしれない。しばらく体調に変化がないか様子を見るべきだろう。
「ボジェクさん」
「……なんだ、小娘」
中年の男は気安く名を呼ばれても怒らなかった。治療したことで気を許してくれたのか、鷹に襲われて怒る気力すら失ったのかどうかはわからないが、今なら会話ができる。
「私は傷を癒したわ。あなたたちの言う『加護なし』でも、負傷者を助けられるのよ」
「まさか……そのためにあの鳥をけしかけたのか!?」
エリザベータは首を横に振って否定した。
「……でも私にも責任があるわ。本当にごめんなさい。その服も後で縫い直させて?」
「それはお前の役目ではない。元はといえば、この男が掴みかかったのが悪い。むしろこちらが謝罪を受けるべきではないのか?」
「彼らは協力を仰ぎに来たんだ。争いに来たわけではない。バルボラよ、頼むから少し黙っていてくれ」
突っかかろうとするおばば様をゾルターンが抑える。
「私たちも争いたいわけではないわ。ボジェクさん、マグ族で一番の医者が行くのなら、一人でも十分でしょう?」
「……お前とその薬があれば十二分の働きができるだろうな」
「それは良かった! 安心して。私の魔法は、死さえも退けるわ!」
「死を……退ける? それは……」
パンッ!!
彼の言葉を遮るようにゾルターンが手を叩いた。
「これで決まりだな。行くのはエリザベータだけでいい」
「ま、待て! それはそれとして、あの大弓の男は連れていきたい!」
急に指をさされたヤロミールが驚いた顔をした。
「えっ、俺? もちろん行くよ! だから行くのは2人だね!」
「わ、私も行く!」
人混みから飛び出してきたのはミルシュカだった。人前に出るのが苦手な彼女が、大勢の前で声を上げたことに驚く。
「わっ」
彼女は力強くエリザベータに抱きついてきた。よく見ると身体が震えている。
こんなに怖がっているのに……それほど、私のことを心配してくれるのね。
「戦場はきっと男の人だらけよ。あなたには精神的な負担が大きすぎるわ。無理しないで。治療は私だけでもできるから」
「嫌っ!! 私、患者が男の人でもちゃんと治療するよ。だから私も連れて行って!! エリザベータの力になりたいの!!」
彼女の決意は固かった。彼女の熱意に当てられたのか、他の村人たちも続々と声を上げた。
「お、みんなも行く気になった? いいね! イゴルも一緒に行こう〜!」
ヤロミールは嬉しそうにイゴルと肩を組む。
「うわっ、やめろ! 俺は行かねぇぞ!」
「え〜? イゴルも興味あるでしょ。外の世界の武具が自分の目で見られるんだよ? 絶対見たいよね〜。ほらほら〜」
「うっ、そりゃあ、まあ……少しは……」
「よし、決定〜!」
「ばっ、勝手に決めるな! せめて心の準備をさせろ!」
先ほどまでの張り詰めた空気が嘘のように皆が盛り上がっている。このままヤロミールが全員で行こうと言い出さないかと、エリザベータはひやひやした。
「待ちな、お前たち! そんなに大勢で行ってどうするんだい!」
「マグ族が協力したという事実があればいいんだ。無理に行くことはない!」
おばば様とゾルターンが、行きたいと言い出した村人たちを説得して、大半の人は行くのを諦めたが、ミルシュカ、ヤロミール、イゴルの3人は諦めなかった。
「絶対にエリザベータについていく!」
「俺はもう行くの決定でしょ? イゴルも連れて行っていいよね?」
「あいつの言った通り、武具は確かに気になるので……まぁ、行きたいです ……」
こうして、彼らとエリザベータを合わせた4人が戦地へ赴くことになった。