3 王国からの使者
村の猟犬たちが一斉に遠吠えを始めた。しばらくすると、エリザベータの耳にも犬の鳴き声がかすかに聞こえてきた。行商が連れている犬たちだ。
「どうやら来たようだね」
おばば様が腰を上げた。エリザベータもミルシュカと共に村の外れへ移動する。そこにはすでに数十人の村人が行商の到着を待っていた。ヤロミールの姿も見える。
しばらくすると、木々の間から顔馴染みの男3人と巨大な犬3頭が姿を現した。よく見ると、そのうちの2頭の背中で見知らぬ男がぐったりとしている。
行商の長ゾルターンの「到着した」という言葉を聞いて、その2人の男はよろよろと犬から降り、そのまま地面に座り込んでしまった。どうやら犬酔いをしているようだ。外の世界では犬に乗る習慣はないと聞く。道中はとても大変だっただろう。
彼らはゾルターンたちと同じ金色の髪に、金糸の刺繍が施された赤い服、腰には柄頭に宝石がついた剣を携えている。
これまで村にやってきた移住者とは明らかに違う。
行商以外の金髪の人間を見るのは、これが初めてだった。
背後にいるミルシュカに「下がって」と耳打ちをされて、エリザベータは静かに人混みに紛れた。
反対に、両手にコップを持った村人が一人、犬酔いしている男たちに近づいた。彼らのために急いで水を用意したようだ。
それに気付いた恰幅のいい中年の男が声を荒らげた。
「加護なしが! 気安く私に近づくな!」
慌てて行商の青年が代わりに受け取り、激怒している男に差し出した。男は無言でコップを手に取り、一気に飲み干した。もう一人の若い男も静かに受け取ったが、顔色は悪く、手が震えている。
嫌悪と恐怖。これが外の世界の人間……
マグ族の村がある地域を領土と主張しているソレイユ王国は、太陽神を信仰する一神教だ。国民は太陽と同じ金色の髪に誇りを持っている。金髪は明るければ明るいほど尊ばれ、反対にそれ以外の色は侮蔑される。
選民意識の強い国民性だ。
茶髪の彼女があれほど罵倒されるのなら、銀髪の私は何をされるかわからないわね……
いち早く気付いて腕を引いてくれたミルシュカに感謝した。
おばば様がゾルターンに問う。
「あの失礼な客人はなんだい」
「詳しい話は後だ。先に皆を集めてくれ」
「それは、全員かい?」
「ああ。そうだ。重要な話がある」
2人の会話を聞いたミルシュカが「広場に集まるように言って」とエリザベータに囁いた。
確かにここは全員が集まるには狭すぎる。エリザベータは頷いて、小さな声で呼びかけた。
「みんな、広場に集まって。そこで話を聞きましょう。ここにいない人は呼んできて。慌てないで、ゆっくり移動するわよ。隣の人にも伝えて」
エリザベータの言葉はまたたく間に村人たちに伝わった。あとは、離れた場所にいるおばば様とゾルターンにどうやって伝えるか。声をかければ、確実に赤い服の男たちの目に留まるだろう。迷っているうちに、ヤロミールが大きな声をあげた。
「ゾルターン! おばば様〜! 広場に集まろうだって〜!」
それを聞いたおばば様とゾルターンは、同時にヤロミールを見て、頷いた。
満足そうな顔のヤロミールと目が合う。彼の琥珀色の瞳は、褒めて褒めてとねだる犬のようにキラキラと輝いていた。エリザベータが小さな声で「ありがとう」と伝えると、彼は誇らしげに笑った。
* * *
来訪者の犬酔いが落ち着き、広場へ移動すると、村人全員がすでに集まっていた。鍛治師のイゴルも親方一家と共に来ている。
広場の中央でおばば様が来訪者と向かい合い、ゾルターンはその間に入った。
来訪者へ向けられる村人たちの視線は冷たい。さきほどのこともあり、農具や箒を持って警戒している村人もいる。相手は2人とはいえ、剣を抜かれてしまえば負傷者が出る。
何事もなく終わって欲しいとエリザベータは心の中で祈った。
「薄気味悪い……こんな加護なしの村があるとはな」
恰幅のいい男が露骨に嫌悪感を示した。その後ろで若い男が青い顔で震えている。
「あたしはこの村の長バルボラだ。それで客人よ。マグ族の村に何用で来られた?」
「はははっ、『マグ』族だと? 本当にそう名乗っているのだな。古い言葉で『賢者』を名乗るとは……辺境の地にこのような尊大な民族がいたとは、知らなかったぞ!」
「……客人は本当に何もご存知ないようだ。我々は古代から『知る者』を名乗っているよ」
男は嘲笑をやめて口を閉じた。今にも噛みつきそうな顔でおばば様を睨みつける。
ゾルターンがわざとらしく咳払いをして、話を進めた。
「私から紹介しよう。こちらはソレイユ王国のダミアン国王陛下から遣わされた使者の方々だ。ボジェク殿……簡潔に、お願いします」
ボジェクと呼ばれた男は、フンと鼻を鳴らした。細長い木箱から丸められた書状を取り出し、封蝋をナイフで外すと、両手で広げて読みあげる。
「バルツァル辺境領のマグ族に命ずる! 我がソレイユ王国はスターリッヒ王国と交戦中である。現在、死傷者も多く、薬や人員が不足している。薬及び治療の心得がある者は第三騎士団野営地へ向かえ。同胞の命がかかっている。迅速に対応せよ!」
「……それは、戦場に出ろということか?」
「いや、戦場近くの野営地までだ。だが、戦える者がいるなら戦場に出てもらう。兵士は多い方がいい」
「何の訓練もしていない人間が行ったところで、死人が増えるだけだ。我々は年寄りも多いし、村の生活も維持しなければならない。戦争に参加できる者は一人もいないよ」
「何だと?」
「だいたい急に現れて人を寄越せだって? 馬鹿言っちゃいけないよ。我々はソレイユ王国とは何も関係ないんだ!」
「関係ないとは何だ!! 祖国の危機だぞ!?」
「別の地からやってきて、ソレイユ人が勝手に造った国だ。祖国でもなんでもない」
「これは王令だ。断れば、お前たちは反逆者だ! 王国を敵に回すことになるぞ!?」
「おや、今あたしたちに構っている余裕はないだろう? 国の内側で我々が暴れ出したら……困るのはそちらではないかい?」
「ぐぬぬ……」
「バルボラ、それ以上はよせ」
激しい言い争いにゾルターンが割り込む。
「我々にとって国王陛下の命令は絶対なんだ。はいそうですかと引き下がれるものではない」
「はっ、行商はいよいよあっちの犬になっちまったのかい?」
「事情を説明しよう。事の始まりは2ヶ月前。スターリッヒ王国に留学中の第三王子クリシュトフ殿下が暗殺された。国王陛下は直ちに事態の究明と遺体の引き取りを願い出たが、拒否されてしまった。殿下の遺体を取り返すための戦争だ。正義はこちらにある。だが、敵の抵抗は激しく、軍は後退するしかなかった。あちらは防衛だけでは終わらず、こちらに攻め込もうとしている。西の国境が破られれば、この辺一帯の森も無事ではすまないぞ」
ゾルターンの説明を聞いて、場は騒然となった。マグ族は外の世界とは隔絶した生活をしている。その唯一の例外が行商だ。おばば様の言う通り、国同士の戦争は関係ないと言ってしまえばそれまでだ。しかし、放っておけば、この地での暮らしが脅かされるというのなら、協力するべきだろう。
それに大勢の死傷者が出ていることが気がかりだ。今、この瞬間にも傷ついている人々がいる。
助けを求められているのに、傷を癒やす力があるのに、それを使わなくて本当にいいのだろうか。後悔はしないだろうか。
きっと私は、一生後悔するでしょうね。
前に出ようとすると、後ろから強く抱きしめられた。
「だめだよ、エリザベータ。あなたは行っちゃだめ」
「ミルシュカ……でも、助けられる命があるなら、私は……」
「戦争なら死傷者が出て当たり前だよ。エリザベータが気にすることじゃない。外の世界のことなんて、どうでもいいでしょう」
「どうでもだなんて……そこから移住してきた人が、森の村には何人もいるじゃない。関係あるわよ」
「あなたが傷つくことになるんだよ。その髪は、向こうでどんな扱いをされるかわからないんだよ」
「放して、私が行かないと……」
ミルシュカは必死にしがみついて、放してくれそうもない。
「はいは〜い! 俺、行ってもいいよ!」
手を挙げたのはヤロミールだった。人混みを掻き分けて前に出る。膠着状態を打開した無邪気な若者に、使者は興味を示した。
おばば様が慌ててたしなめる。
「遊びに行くのではないんだよ?」
「わかってるよ。戦争でしょ? 生きるか死ぬかなんでしょ?」
なぜか楽しげに話す。彼は戦争が怖くないのだろうか。
「危険だとわかっていて飛び込む馬鹿がいるか。お前は外の世界の薬草なんて知らないだろう」
「偵察だったら得意だよ。戦いに協力するなら、薬師じゃなくても森の外に出ていいってことだよね? 俺、本物の外の世界を見てみたいんだ!」
恰幅のいい男が品定めをするようにヤロミールを凝視する。恵まれた体格と言動の幼さにきっと困惑していることだろう。
「頭が良さそうには見えんが、お前は何ができるんだ?」
「俺はヤロミール。鹿や熊だって狩れる猟師。村一番の力持ちで、弓が得意だよ。ね、俺ってお得でしょ? おじさん」
「お、おじさ……」
「実際に見せたほうが早い。ヤロミール、弓を持って来い」
「わかった〜」
ゾルターンに提案されて、ヤロミールは嬉しそうに弓矢を持ってきた。
「なっ、なんだあの、やたらでかい弓は!」
「イゴルと俺で作った特別製だよ〜。森じゃあ大きすぎて使えないから、試し打ちしかできないんだよね〜」
普段狩りに使うのとは違う、エリザベータの身長を超えるほどの大弓だ。彼は森の手前ではなく少し奥まった場所の木を的に指定した。ゾルターンがナイフで印をつけて戻ってくる。
「いくよ〜!!」
背中の矢筒から引き抜いた矢は、通常より太く、矢じりも大きい。矢を番えるとヤロミールの顔から幼さが消えた。姿勢を崩すことなく、大弓を引く。彼には的しか見えていない。弓が折れるのではないかと思うくらい引き絞ると、息を止めて、放つ。
矢はあっという間に印をつけた幹に突き刺さった。
「お見事」とゾルターンが手を叩く。
「おお、使える奴がいるじゃないか! これほどなら即戦場に――」
「だめだ」
おばば様と使者が再び睨み合う。ゾルターンが割って入り、使者を宥めた。
「まあ落ち着いてください。ヤロミールは他の兵士との連携が全く取れません。連れて行くなら、斥候として我々に同行させてください」
「フン、まあよかろう。それで? 肝心の薬と治療の心得がある者はどこにいるのだ? 我々は優秀な者がいると聞いて、こんな辺境までわざわざ来たのだぞ?」
「あたしには両方の心得があるよ。だがこの老体だ。とてもじゃないが、遠征はできない」
「ちっ。他に誰もいないのか? 早く名乗り出たらどうだ! 私は暇じゃないんだぞ!!」
誰も使者と目を合わせようとはしない。
「こうなれば、誰でもいい! 治療の手伝いだけなら、どいつでもできるだろう!」
痺れを切らした彼は、荒々しい足取りで取り囲んでいる村人たちに近付いた。そして最初に目についた村人の腕を乱暴に掴み、連れて行こうとする。
「もうお前でいい! さっさと来い!」
「い、いやっ!」
もう見ていられない!
エリザベータはミルシュカの腕を振りほどいて使者の前に出た。
「待って! 代わりに私が行くわ!」
おばば様が慌てて近寄ってくる。
「エリザベータ! ならん、ならんぞ……お前だけは絶対に行かせん!!」
「いいえ、行くわ。おばば様……この村で薬に一番詳しいのは私。治療が得意なのも私。そうでしょう?」
「おお、おおお……どうしてこんな、こんなことに…………」
狼狽するおばば様をそっと抱きしめる。
私は《月の巫女》だから、みんなを守らないといけない。王国との争いの種を蒔いてはならない。この使命を達成すれば、またいつもの生活が戻ってくるはずだ。
だから私は行くわ。外の世界へ。戦場へ。
「使者さん、はじめまして。私はエリザベータ。この村の薬師……そして医者よ。彼女を放してあげて」
「お前が?」
鋭い視線が突き刺さる。これほどの敵意を人に向けられたのは、生まれて初めてだった。