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2 知らせ

 エリザベータの朝は早い。おばば様の怒声で目覚め、慌てて支度を済ませると、まず家の裏にある薬草園に向かう。村の畑と違い、薬草の中には毒草もあるので、ここに入れるのはエリザベータとおばば様だけだ。

 二人で薬草の手入れをしていると、ピィーーッという高い鳴き声が聞こえた。


「ゾルターンの鷹だね」


 おばば様が杖を掲げると、鷹が降りてきた。足についた鉄製の筒から慣れた手つきで紙を取り出す。


「何が書いてあるの?」

「二週間以内に行商(ヴィーニック)が来る。それまでにたくさん薬を用意して欲しいそうだ」

「二週間? 珍しく曖昧な言い方ね」


 行商(ヴィーニック)は外の世界で活動しているマグ族だ。彼らはポセルボフ商会を名乗り、大陸中を巡っている。旅慣れた彼らでも最寄りの村から森の村(ルボレス)まで丸二日かかるという。そう教えてくれたのは行商(ヴィーニック)(おさ)であるゾルターンだった。

 いつもの彼なら到着日を知らせてくる。あえて日にちを書かないということは、森に不慣れな人間を連れてくる可能性が高い。


「久しぶりに移住者でも連れてくるのかしら」

「それなら手紙にそう書くはずだ。外は国同士で戦争中のようだし、警戒した方が良いかもしれん」


 戦争――


 政治、文化、信仰。戦争の理由は多岐にわたり、規模が大きければそれだけ被害が増える。それが国同士ともなれば、想像もつかないほどの犠牲者が出るだろう。

 外の世界は今、何がきっかけで戦っているのだろうか。大勢の死傷者を出してまで手に入れたい利益とは、一体何なのだろうか。


 知りたい――


 ゾルターンに聞けば、詳しく教えてくれるだろうか。不謹慎だとわかってはいるが、胸が高鳴る。

 これはマグ族の(さが)だ。先祖は『知』を求めて大陸中を渡り歩いていたという。紙がない時代から知識を蓄え、語り伝えてきた。辺境の地に定住するようになってからも知識を求め、今も行商(ヴィーニック)から情報を得ている。村に書庫があるのはそのためだ。

 その先祖の特徴を色濃く受け継いだエリザベータは、物事への興味も人一倍強かった。


「来るのが楽しみだわ」

「はっ、楽しみ? ふざけたことを言ってないで、さっさと手を動かしな。朝食が終わったら調合を始めるよ」


 二人で薬草を摘んでいると、背の低い男が訪ねてきた。鍛冶師のイゴルだ。


「何だい? 朝早くから。珍しいね」

「預かっていた包丁が研ぎ上がったので持って来ました。朝困るかと思って……」と布を巻いた包丁をおばば様に渡す。

「ああ、わざわざありがとう」

「いえ……」


 お礼を言われた彼は、気恥ずかしそうにボサボサの頭を掻いた。

 彼に何かお礼をしたい。何がいいだろうか。


「そうだ。食事はまだよね? よかったら一緒に食べて行かない?」

「いや、でも、迷惑をかけるわけには……」

「迷惑なんて、そんなわけないじゃない。大勢で食べた方が楽しいわよ。ねえ、おばば様」

「ああ、それがいいね」



  *  *  *



 戸惑うイゴルを椅子に座らせ、朝食の準備を始める。

 エリザベータは上機嫌で生まれ変わった包丁を使った。硬い野菜も無駄な力を入れずに綺麗に切れる。調子に乗ってどんどん細かく切っていく。


「巫女様、どうだ?」

「うん、刃こぼれしていたとは思えない切れ味よ。ありがとう」

「ああ」


 背後から聞こえた返事は短かったが、心なしか嬉しそうな声だった。スープを作り終えると三人分をよそってエリザベータも席についた。おばば様が用意してくれたパンと一緒に食べはじめる。


「あの……星の巫女様は?」

「ミルシュカは真夜中に星の観測をするから、朝は遅いのよ」


 《星の巫女》は《月の巫女》とは違い、湖の村(コロエゼロ)で修行を積み、《星の加護》を授かった者をいう。ミルシュカは最年少で《星の巫女》になった天才だ。


 ミルシュカは()()()()より頭がいいのに、どうしてあんなに自信がないのかしら。あ、だめだめ。私ったら、すぐ卑屈になるんだから。


 エリザベータは首を横に振って、悪い思考を振り払った。

 気を取り直してイゴルとの会話を楽しんでいると、ミルシュカが寝間着のまま起きてきた。

 

「ふぁあ……なんだか賑やかね」

「あ、おはようミルシュカ。今日はね――」

「きゃーーーー!!」


 イゴルの存在に気付いたミルシュカは悲鳴をあげて扉に隠れた。


「ななな、なんでおじさんがいるの!? 若い女性がいる家に朝から来るなんて非常識だよ!」

「ち、違うのミルシュカ、私が朝食に誘ったの」

「もうなんで……おじさんに寝間着姿見られるなんて最悪だぁ……」

「人のことをおじさん、おじさんと……言っとくが、俺は巫女様たちと6歳しか違わんからな!」

「は、はあ!? もっと最悪だよ! 山の村(ストルホラ)の人は本っ当に、わけわかんない――」

「静かにしな!!」


 おばば様が一喝する。


「ミルシュカ、口が悪いよ。さっさと着替えておいで!」

「……ごめんなさい」


 ミルシュカの足音が遠ざかるのを確認してから、おばば様はイゴルに謝った。


「気分を害しただろう。すまなかったね。食べ終わったら親方のところへお帰り」

「……星の巫女様って、素ではあんな感じなんですね」

「お前さん、怒ってないのかい? 故郷も悪く言われて」

「え? ああ、年相応の反応でしょう。気にしません。それに、山の村の住民(あいつら)がよくわからんのは、俺も同じですから……」


 彼が鍛治師に弟子入りするため、山の村(ストルホラ)からやってきたのは知っていたが、折り合いが悪かったのだろうか。

 食事を終えた彼を外まで見送ると、エリザベータは改めて謝罪した。


「ごめんなさい。私が誘ったせいで……」

「いや、何も悪くないさ。巫女様たちも()()()ってことがわかって面白かったぜ」と無精髭を撫でながら軽い口調で笑った。「まあ、それはそれとして……俺はそこまで老けて見えるのか?」


 エリザベータは唐突な質問にぎくりとした。口調はそのままだが、彼の目は真剣だ。

 なんと答えればいいのだろうか。彼の故郷の山の村(ストルホラ)は鉱山にあり、狭く暗い坑道に身体が順応した結果、暗色の髪に髭を蓄え、低い背丈ながら筋肉質な村人が多い。そんな典型的な姿を彼はしており、本当の年齢よりも随分年上に見える。


 まさか6歳違いだなんて思わなかった。どうしよう、変なこと言ったら傷付けちゃうよね……


「……やはり、巫女様から見ても俺はおじさんか」


 言葉を詰まらせたのを肯定とみなしたイゴルは、肩を落とした。


「えっと、違うのよ? 髭……そう髭がね、この村では髭を伸ばす人は珍しいから。どうしても印象が大人びて見えるんじゃないかしら、なぁんて……」

「そうか、髭か。あっちじゃ蓄えているのが普通だから気にしてなかったな……」


 思いつきで言ってみたが、イゴルはそうかそうかと繰り返し呟きながら、妙に納得して帰っていった。

 安堵したエリザベータは調合室へ向かい、おばば様と共に薬を調合した。



  *  *  *



 知らせから5日も過ぎれば、依頼された最低限の量の薬を揃えることができた。調合作業が落ち着いたことで、エリザベータはおばば様から行商(ヴィーニック)に返す本をまとめるように指示された。

 植物誌や医学書などの挿絵が重要な情報である本はそのまま保管されるが、ほぼすべての本は行商(ヴィーニック)に返すのがきまりなのだが、今回は――


「調薬ばかりしていたから、写本は進んでいないわ。返す本はまだないわよ」

「いいや、凝りもせず持ってきていただろう。お前の好きなおとぎ話の書物だよ」


 そう言われて、エリザベータは冷や汗をかいた。物語の本は、おばば様に見つかる前に部屋に隠したはずだ。どうして知っているのだろう。


 エリザベータは幼い頃から行商(ヴィーニック)が持ってくる冒険譚やおとぎ話が大好きだった。成長するにつれて恋愛物語なども届けてくれるようになり、物語の自由な世界にどっぷりはまってしまった。

 そのことをおばば様は良く思っていない。

 物語は虚構、我々が求める情報はないから持ってくるなと、彼女はゾルターンに何度も怒っていた。それでも供給が絶えないのは、ゾルターンの息子がこっそり持ち込んでいるからだ。


「今回はいつもの巡回とは違うでしょう? 余計な荷物は渡さないほうが、彼らにとってはいいんじゃないかしら?」

「そんなもの知らないね。懲りずに余計な物まで渡してきたのはむこうだ。どんなに重くても、持っていってもらうよ」

「でも……」

「ずいぶん嫌そうだね。お前がやらないなら、あたしがお前の部屋へ取りに行ってもいいんだよ」

「い、行ってきます!」


 エリザベータは慌てて部屋へ戻った。


「これはまだ読んでないし、これはもう一度読み直したいから……え? 返せる本なんてないわ。どうしよう……」

「エリザベータ?」


 驚いて振り返ると、ミルシュカが呆れ顔で入ってきた。おばば様に言われて来たのだろうか。


「読み終わったのなら返そうよ」

「……気に入った本は何度も読み返したいの」

「手元に残しておきたいなら、自分用に写本すれば?」

「挿絵や表紙も素敵なの! 全部ひっくるめて一つの作品なんだから、このままじゃないと!」


 エリザベータは本をギュッと抱きしめた。


「はぁ……あなたって本当に、おとぎ話に関しては子供みたいに駄々を捏ねるよね。おばば様に叱られるってわかっているのに」

「物語って、とっても素敵なのよ。ねえ、ミルシュカも一緒に読みましょうよ」

「私は興味ないよ」

「主人公の女の子になりきるのはどう? 最近は恋のお話も色々あってね、王子様だけじゃなくて、敵対する男性と恋に落ちたり、主人公自身が悪い子だったりするのよ! ね、気になるでしょう?」

「興味ない」

「じゃあこれはどう? ミルシュカが好きな星の物語で星座――」

「誰がおとぎ話を薦めろと言った?」


 地響きを立てて、おばば様が部屋へ入ってきた。熊より恐ろしい形相。脳を揺さぶる低い声。エリザベータは震えあがった。


「知らない世界の他人になれる? 素敵な内容? それが村の役に立つのかい? お前は常に冷静に判断し、村人を導いていかねばならない。そしてマグ族全体をまとめるんだ。お前に虚構は必要ないんだよ。それが何故わからない!?」


 おばば様の《土神(ハニス)の力》が漏れ出て、床を揺らす。物語を否定する言葉が石壁に反響する。

 床に座り込んだエリザベータは俯いた。


「物語の中くらい、自由でいさせてよ……」


 微かな声で呟くと、頭を包み込むように抱きしめられた――ミルシュカだ。背中をゆっくりと一定の間隔で撫でられる。


「おばば様――」


 見兼ねたミルシュカの説得によって、本の回収は見送られた。その代わり、溜め込んでいた本は必ず別の訪問時にまとめて返すようにと念を押された。


 行商(ヴィーニック)がやってきたのは、知らせから10日目のことだった。

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