13.5 見知らぬ鍛冶屋に
関所を抜け、隣国のトルフビエ村に到着した一行は、ポセルボフ商会の支部に立ち寄ることになった。
行商たちが隣国まで勢力を広げていることにイゴルは驚いた。限られた土地で暮らす我々とは対照的だ。
バルナバーシュに案内された小部屋で、巫女様2人と時間を潰すことになった。室内には4人掛けの机と椅子しかない。月の巫女様が率先して椅子に座り、その隣に星の巫女様が座った。月の巫女様が着席を促すように微笑んでいる。残りの席は2つ。どちらの前に座るか。そして星の巫女様の刺すような視線はどういう意図を含んでるのか。
『エリザベータの前に座るな』か、『私の前に座るな』か、どっちだ?
イゴルはミルシュカの性格を計りかねていた。不機嫌そうなのに、俺の髪を《水神の力》で乾かして整えてくれた星の巫女様。この視線も『さっさと座れ』と言っているのかもしれない。どうにもわからない。迷ったあげく、どちらの席も選ばず壁に寄りかかった。
ゾルターンがやってきて俺を呼んだ。
「お前に会わせたい奴がいる」
ここから抜け出す好機だと思い、ゾルターンに従った。
* * *
村外れまでやってくると、川沿いに煙突から黒い煙を出す建物があった。軒先には蹄鉄とハンマーと火鋏の意匠が施された鉄製の看板が吊るされている。一目見ただけで鍛冶屋とわかった。
鍛冶師の俺に外の技術を見せたいのだろうか。
鍛冶屋に入ると少年が店番をしていた。ゾルターンに気付いて笑顔になる。顔馴染みのようだ。
「あいつはいるか?」
「うん、いるよ!」
「しばらく誰も入れないでくれ」
「任せて!」
ゾルターンは少年に何かを手渡した。
奥の部屋に入ると、そこは鍛冶場になっていた。火床の前に一人の男が立っている。顔は見えない。背丈は低くく、岩のような太い腕で力強くハンマーを振り下ろしている。
山の村の村人のような後ろ姿に、ゾルターンが声をかける。
「ドゴル、少し良いか?」
イゴルは耳を疑った。10年以上前に失踪した父親と同じ名前だ。
「ゾルターンか。何の用だ?」
振り向いた男の顔を見てさらに驚いた。目の色も同じだ。かぎ鼻の先は赤らみ、もみあげと繋がった髭は完全に口を隠すほど豊かで、少し老けているが、記憶にある父親にそっくりだ。
「……親父?」
「ああん? 誰だおめぇ? ……いや、どっかで見たことあるような面だな……」
「イゴルだ」とゾルターンが告げる。
「ああ? ふざけるな! あいつがここにいるわけねぇだろう……んん?」
そう言いながらも、まじまじと俺を見る。
ゾルターンは親父の居場所を知っていて、俺たちに黙っていたんだ。どうしてすぐに教えてくれなかった? わかっていれば、母さんが塞ぎ込むこともなかったのに……
「そんな……まさか……」
「親父。俺は正真正銘あんたの息子だ。山の村のイゴルだ」
父は勢いよく尻もちをついた。俯いて震えだしたかと思うと、膝を叩いて豪快に笑いだした。
「コイツは驚いた! ゾルターンよ、やってくれたな! ワシに尻をつかせるとは! がっはっはっ。それで息子よ。おめぇなんで髭がねぇんだ?」
「はー……久しぶりの再会で、最初に聞くことがそれかよ……」
イゴルは呆れながらも、森の村の鍛冶師に弟子入りしたこと、その親方夫妻に髭を剃られたこと、ここまで来た経緯を話した。
「がっはっは。それは災難だったな。だがその判断は正しい! 若者が毛むくじゃらじゃあ目立っちまう。二人に感謝しろよ」
「親父はどうして髭を剃っていないんだ?」
「あ? 髭は山の村の誇りだ。剃るわけねぇだろ」
「は?」
なんて理不尽なんだ。
「あー気分が良い! せっかくだ。見ていけよ。コイツだけ終わらせる」
そう言って再び鉄の塊を鍛えはじめた。勝手な男だ。中途半端にしたくない気持ちは同じ鍛冶師として理解できるが、どうしたものか――ゾルターンに確認しようとすると、彼は静かに頷いて、部屋から出ていってしまった。
気を遣われてしまったな……
父は鉄の塊を黙々と鍛えている。火床で真っ赤に熱し、金床に乗せてハンマーで叩く。半分に折り返し、再び叩く。これを何度も繰り返すことで、強い鋼ができる。
こうして玉のような汗をかく父の顔を間近で見るのは初めてだ。
危ないから近づくなと言われた子供の頃、俺はずっと親父の背中を眺めていた。赤く輝くその姿は俺の憧れであり、目標だった。失踪した後もそれは変わらず、俺は鍛冶師になった。
懐かしい。
相変わらず無茶なやり方だ。この部屋に入った時とは違い、父の全身は火床の炎よりも眩しい光を発している。《火神の力》だ。渾身の力でハンマーを振り下ろすその顔には、鬼気迫るものがある。
今のマグ族には、これほど《神の力》を込めて鍛錬する鍛冶師はいない。
「イゴル」
ふいに名前を呼ばれて、イゴルは我に返った。
「おめぇ、やってみろ」
「……は?」
どうしてこうなったのか……俺は今、親父の前でハンマーを振り下ろしている。
「……ちっせぇ光だな。出し惜しみはよくねぇぞ」
「《神の力》が必要なのは鉄とハンマーの部分だけだ。《火神の力》と《石神の力》を合わせているからこれで十分だよ」
「ふぅん、つまらんな」
「むしろ《火神の力》だけで鍛錬する親父は変わり者だ」
山の村で一番の《火の加護》を持っていた父に《火神の力》だけで勝てるはずがない。だから《火神の力》と《石神の力》を使いこなす森の村の親方に弟子入りを願い出たのだ。
鍛え終わった鋼の出来栄えを父が確認する。何を言われるだろうかと身構えたが、父は何も言わず片付けをはじめた。
せめて一言くらい言ってくれ。
そう思いつつ片付けを手伝う。火床の炭をかき寄せると違和感に気付いた。燃えカスに、レンガのような茶色い物体が混じっている。ここで使われている炭は木炭でも石炭でもない。軽くて柔らかい繊維質だ。
「親父、これは何だ?」
「ああ、それは泥炭だ。近くの湿原の泥でな。乾燥させるとよく燃えるんだ。この地域で使われている燃料さ。火力はそれほど出ないから、ついつい力が入っちまう」
「へぇ……《神の力》の調整が難しいと思ったら」
場所が変われば素材もやり方も変わる。それを知るのは面白い。
「なぁイゴル……おめぇ……」
「なんだよ」
「ここに残らねぇか?」
「……は?」
何を……言っているんだ?
「おめぇはワシよりも器用だ。泥炭の火にもすぐ慣れるだろうよ」
「母さんを置いて……俺もここで暮らせって言うのか?」
悪びれもせずに「そうだ」と答える父に、イゴルは怒りが込み上げてきた。
「親父がいなくなって……村のみんなが、何度捜したと思っているんだ」
声が震えてくる。
「何も見つからなくて、みんなが諦めてしまっても……母さんだけは! あんたが生きていると信じて、何年も、何年も待ち続けたんだぞ! やっと心の整理がついて、親父は大地に還ったんだと思うようになったのに。今度は俺が消えるなんて……できるわけ、ないだろ……」
「……おめぇも母親を置いて、山の村から逃げただろう」
「あんたと一緒にするな!!」
イゴルは勢いよく胸ぐらを掴んだ。
昔から鍛冶にしか興味がなく、家庭を顧みない人だった。けれどこれほど薄情な人間だとは思わなかった。
「俺はあんたとは違う! 家族も仲間も裏切ったりしない!」
拳を振り上げても、父は抵抗せず、冷静に口を開いた。
「慣れないことは止めておけ。商売道具は大切にしろ」
「っ……! この馬鹿親父!!」
イゴルは勢いよく殴った。嫌な手ごたえだった。人を殴ったのは初めてだ。頬を狙ったつもりが、少し鼻に当たってしまった。それでも殴られた本人は平然としている。
「気は済んだか?」
こんなことで気持ちが晴れるはずもない。けれど俺はじんじんと痛む拳を再び振り上げた。
「お前たち、何をやっているんだ!」
騒ぎに気づいたゾルターンが駆け込んできて、俺たち親子を引き離した。ゾルターンの影から出てきた少年が「師匠!」と叫んで父に駆け寄る。
「師匠、血が……」
「ああ、どうってことはない」
父は自慢の口髭を鼻血で濡らしていた。少年は自分の師匠を守ろうと、両手を大きく広げて俺の前に立ちふさがった。
「師匠をいじめるな!」
子どもを押しのけて殴るわけにもいかず、握った拳をゆっくりと下ろす。
「ドゴル、息子と会えるのはこれっきりだ。素直に語り合え。後悔のないようにな」
「……」
暴れる少年を抱えて、ゾルターンが部屋を出ていった。
「…………すまなかった」
それが父が発した初めての謝罪の言葉だった。
「アイツは、細工を続けているか?」
「ああ……今は宝飾品を作っているよ」
《石の加護》を持つ母は貴金属や宝石を加工する細工職人をしている。昔は父が作った武具に見事な装飾を施していた。母が《石神の力》を込めれば格段に壊れにくくなると行商たちに好評だった。
二人で一つの物を作り上げていた。口数は少なくても、仲の良い夫婦だと思っていた。
だから父が家族に何も言わずに消えたことが信じられなかった。
「そうだろうなぁ。アイツは今の山の村でもやっていける。だが、おめぇはどうだ? あそこでは自分の鍛冶ができねぇから森の村に逃げたんだろう?」
「だから、俺は逃げたわけでは……」
「ワシは逃げた」
荒っぽい性格の父が静かに語りはじめた。それはかつての山の村の様子だった。
古くから山の村では製鉄と加工が盛んだった。
鉄鉱石の採掘時に宝石の原石が出てくることがある。それを《石の加護》持ちの村人が片手間に加工して見事な宝石に磨き上げていた。それが外界で評判になり、行商は武具よりも宝石を求めた。その結果、村人は原石の採掘に注力するようになり、武具を作る職人は減っていった。
規模縮小のために古くからあった製鉄場が閉鎖された。鉄を溶かす温度を保つために、昼夜問わず稼働していた大きな溶鉱炉も止められた――
「あの溶鉱炉は山の村の誇りだった。誇りを捨てたあの村に、ワシは失望した。ゾルターンの奴が協力してくれてな。マグ族の禁忌を犯して村を出たんだ」
「俺たちに何も言わずに、か」
「知ってしまえば同罪になる。知らなければ同情される。知らないほうが幸せだろ」
「勝手だな」
「ああ。勝手だ。勝手ついでに、巫女様が森へ帰るまでの間だけでもいい――ここにいないか?」
贖罪のつもりなのか? それで俺が許すとでも思っているのか?
親父のしたことは許せない。それなのに、ここに留まりたい自分がいる――駄目だ。
イゴルは奥歯を食いしばった。脳裏にヤロミールの不安げな表情が浮かぶ。
――大丈夫だ。約束したもんな。俺は、仲間を裏切ったりしない。
「悪いな親父。それが親父の最初で最後の頼みでも、俺にはやらなきゃいけないことがあるんだ」
「そうか……ならこれを持っていけ」
「これは――」
「お前が鍛えた鋼だ。好きに使え。……死ぬなよ」
「ありがとう。親父……」
渡された包みを持って、鍛冶場を出る。
「もういいのか?」
今にも飛びかかってきそうな少年を抱えながら、ゾルターンが言った。
「はい」
「俺たちを、恨むか?」
イゴルは首を振る。
「許すことは……できません。でも恨みもしません。今更……俺には関係ないですか……ら…………え?」
「イゴル?」
ゾルターンの驚いた顔がぼやける。頬を伝う涙で、自分が泣いていることに気付いた。大人になって、人前で泣くことになるとは。
ゾルターンが気遣って、少年と共に後ろを向いてくれた。
この涙は怒りでも、悲しみでもない。俺の素直な気持ち――
「良かった……生きていてくれて……っ」
壁の向こうの父親には聞かれないように、声を押し殺した。




