9 初めての村
村に到着すると、見知った顔が出迎えてくれた。
「やあ、みんな。待っていたよ。ようこそザペス村へ」
金色の髪と磨かれた宝石のような緑色の眼を持つ彼はバルナバーシュ――行商の長ゾルターンの息子で、エリザベータにとって面倒見の良い兄のような存在だ。
ヤロミールがいち早く犬から降りて、彼の下へ駆け寄っていく。
「にいさん、久しぶり!! あっ……」
ゾルターンの鋭い視線に気がついて、ヤロミールは口を押さえた。にいさん、ねえさん呼びは誰に対しても許されないようだ。
呼ばれた当の本人は「ふふっ」と含み笑いをした。
「うん、久しぶりだね。ヤロミール。会わないうちにまた背が伸びたみたいだね」
「えへへ。村で一番大きいんだよ! バルナバーシュは小さくなったね!」
失礼な言葉に嫌な顔ひとつせず、バルナバーシュは笑顔で「そうだね」と返し、自分よりも背の高いヤロミールの頭を優しく撫でた。そんな二人を微笑ましく眺めていると、緑色の眼と眼が合った。彼は表情を曇らせ、こちらにやってくる。
「エリザベータ……こんなことに巻き込んでしまってすまない。けれど、今回は君の力がどうしても必要なんだ!」
「謝らないで。私に救える命があるのなら、喜んで協力するわ」
「ありがとう……」
両手で優しく包み込むように右手を握られる。
「しばらく会わないうちに、ずいぶん頼もしくなったね」
「ふふ。ありがとう」
「ミルシュカもありがとう。君も来てくれるなんて思わなかったよ」
「わっ、わわっ、……っ!!」
バルナバーシュはエリザベータの手を離すと、すぐに隣にいたミルシュカの手を握って感謝した。彼女は突然のことに驚いて、顔を真っ赤にして勢いよく手を振り払い、慌ててエリザベータの背後に隠れてしまった。
「ああ、驚かせてしまったかな。ごめんね。ところで……君は誰だい?」
バルナバーシュは身だしなみの整った低身長の男と向かい合い、記憶の中を探るように顎に手を当てた。彼に見覚えがないのも当然だ。同じ村に住む自分たちでさえ、この姿を見るのは今日が初めてだったのだから。
「……イゴルだ」
そう彼が名乗ると、バルナバーシュは眼を見開いて驚いた。
「えっ、鍛治師のイゴル? 本当に? なんてことだ……意外と歳が近いかもしれないね」
イゴルが歳を教えると、バルナバーシュは「一つ上じゃないか!」とさらに驚いた。「一番見違えたのは君だね」という言葉に、その場の全員が同意した。
「さて、俺はこいつらを小屋に連れて行く。バルナバーシュ、あとは頼んだぞ」
ゾルターンは我々の手荷物をまとめて犬に乗せた。彼はシェダに乗り、犬笛を吹いてチェルナとビーリーに指示を出す。疲れを知らない犬たちは、あっという間に走り去ってしまった。
彼らを見送ると、バルナバーシュは手を叩いた。
「さあ! みんな疲れただろう。宿に案内するよ」
バルナバーシュに先導されて村の中をゆっくりと歩く。初めての外の世界の村だ。エリザベータは好奇心を抑えきれず、あたりを見まわした。
森の村とは違い、建物はどれも木造だ。木造は石造よりも耐久性や耐火性に劣る。バルナバーシュに尋ねると、近くの森の木を建材に選んだ結果だという。
窓から光が漏れている。室内では家族そろって食事をしているのだろうか、それともすでに食事を終えて、各々の時間をすごしているのだろうか。
ときおり、すれ違う通行人が視線をこちらに向けてくるが、誰も森の村へ来た使者のように罵倒してくる気配はない。
「どうだい?」
バルナバーシュがエリザベータの横に並んで話しかけてきた。
「なんと言うか……普通、だわ。もっと冷たくされると思っていたの」
「意外だったかい? ここの住民は僕よりも髪色が暗い人ばかりだ。だから君たちの髪を見て騒ぎ立てることはないよ」
「でも、私の色は不吉だって言われたわ。死を呼ぶ色だって……」
「……ああ。確かに、ほとんどの貴族は金髪にこだわるよ。けれど、ここバルツァル辺境伯領はその点では寛容だ。噂はされるだろうけどね」
バルナバーシュはさらに顔を寄せて、耳元で囁いた。
「この小さな村はね、実は他の地域で髪色を理由に理不尽な扱いを受けた人が集まっているんだ……」
『加護なし』――そう蔑まされてきた人々にとって、銀色の髪はどう思うのだろうか。太陽と対極にある月の色。彼らの視線に込められた感情は同情だろうか、それとも嫌悪だろうか。
* * *
しばらく行くと、バルナバーシュは2階建ての立派な建物の前で足を止めた。1階は石造、2階は木造で出来ていて、入口の扉の上には『ポセルボフ商会』と書かれた看板が掲げられている。
「さあ、着いたよ。ここがポセルボフ商会ザペス支部だ」
ポセルボフ商会は行商が外の世界で名乗っている名称だ。しかし現在は周辺諸国にも規模を拡大させており、マグ族とは関係のない従業員も大勢働いている。
「宿屋に行くんじゃなかったの?」
「ここが今日の宿だよ。この村で一番頑丈で安全な場所さ。常駐しているのはみんな行商だから緊張しなくていいよ」
そう言って、バルナバーシュは両開きの扉を開いた。中は広間になっていた。数人がけのテーブルがいくつか置かれているが、今は誰もいない。入っていくと、受付の奥から声が聞こえてきた。ゾルターンと青年が椅子に座り、もう1人の青年が立ったまま2人を見守っている。どちらも見覚えのある顔だ。
「父さん、何があったんですか?」
バルナバーシュが駆け寄っていく。彼は事態を把握すると、こちらを呼んだ。エリザベータが急いで向かう背後で、ヤロミールがイゴルに不満をぶつける。
「ねえ……バルナバーシュはあの呼び方していいの?」
「は? 親子なんだからいいだろう。別に……」
ゾルターンはケガ人の手当をしていた。右手の第二関節のあたりに複数の刺し傷――大きなささくれがあることに気づかず重い木箱を運ぼうとした結果、深く刺さってしまったのだという。
「すいません、こんな日に……こいつ作業中にドジっちまって……」と付き添いの男がエリザベータに謝った。
「情けないです……このくらいのケガで……」
「このくらいだなんて、軽く見ないで! 放っておくと悪化して病気になるところよ!」
「刺さっていた木片は取り除いた。だが、当分は運搬どころかペンを握るのさえ痛いだろうな」
「そう……ですか……」
ゾルターンの説明を聞いて、男は肩を落とした。その様子を見兼ねたバルナバーシュが縋るような眼でこちらを見る。
「見せてくれないか? 君の力を」
「……エリザベータ、頼めるか?」
バルナバーシュとゾルターンに請われ、エリザベータは大きく頷いた。ゾルターンと場所を替わると、手を清めてから軟膏を受け取る。それは見覚えのある物だった。
「あら、これは――」
「ああ、バルボラが作った傷薬だ。お前の作った物は商品にしているからな」
「おばば様、きっと喜ぶわ」
「……いいから。始めてくれ」
エリザベータは軟膏を指に取った。祈りを込めながら傷口に塗ると、強い光を発してみるみるうちに傷が塞がった。まるでそこに傷などなかったかのように。
青年が指を曲げたり伸ばしたりして感覚を確かめる。
「痛みがない……ありがとうございます! ありがとうございます!」
「巫女様の《月神の力》初めて見ました! すばらしい癒しの光でした!」
エリザベータを称賛する青年二人に対して、ミルシュカが「そうだよ。エリザベータはすごいの。だからもっと敬いなさい」と煽り立てる。二人はさらに頭を下げて感謝した。
「ちょ、ちょっとミルシュカ。そういうのはやめて……2人も顔を上げて……ねっ?」
大げさに持ち上げられると気恥ずかしくなる。
「いやいや、謙遜するな。2つの《神の力》を同時に込めるとはたいしたものだ」
「ねえさん、いつの間にそんなこと覚えたの?」
「ヤロミール、名前、な・ま・え!」
「今はいいでしょ。知らない人いないしさ〜」
「ちょ、ちょっと待ってみんな!!」
皆が口々に話していると、バルナバーシュが大声で制止した。彼が大声を出すのは珍しい。
「どうしたの? バルナバーシュ……」
「今、一瞬でケガが治ったみたいだけど、みんなは何をしたかわかるのかい?」
「あれ? にいさんって見えない人?」
「おい、ヤロミール……」
イゴルがヤロミールを肘で小突く。
「見えない? ヤロミールには何が見えたの?」
「んっとね〜。銀色と緑色の光が、こうモヤモヤ〜っと混ざった感じ!」
ヤロミールの手振りを交えた説明に、ゾルターンが付け加えた。
「《神の加護》にはそれぞれ色があり、《神の力》は光を伴う。だから光を見れば何を使ったのかわかるんだ。エリザベータの場合は《月神の力》と《木神の力》を合わせて治癒力を高めたんだ」
それは本当なのかと問いかけるように、バルナバーシュは全員の顔を見まわした。
「そうか……僕だけ、なんだね……」
いつも自信に満ちた態度の彼からは想像できないほどの落胆ぶりだった。ゾルターンが息子の背中を叩く。
「そう落ち込むな。行商の中にも光が見えない者はいる」
「そうよ。それに移住者でも見えるようになった人がいるの。だから、バルナバーシュがこれから見えるようになる可能性は十分あるわ」
「エリザベータ……君はいつも優しいね……ごめん、かっこ悪いところを見せて」
バルナバーシュは自嘲気味に笑った。