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8 外の世界

 早朝に森の村(ルボレス)を出てからずっと白犬(ビーリー)に揺られているエリザベータは、全身に疲労を感じていた。

 いまだに森を抜けられていない上に、枝葉の間から差す陽の光は弱まってきている。ゾルターンは今日中に外の村に到着するつもりのようだけれど、本当に辿り着けるのだろうか。エリザベータの中で不安が募る。


 ミルシュカは大丈夫かしら……


 背後のミルシュカに呼びかけると、弱々しい声が返ってきた。彼女も疲れているようだ。黒犬(チェルナ)に乗る二人の様子を窺う。犬に乗り慣れているヤロミールはまったく疲れを見せず、朝と同じ調子で楽しそうにしている。後ろのイゴルは一度犬酔いを起こしているが、調合薬がまだ効いているようだ。けれど犬に揺られている状況に変わりはない。彼の変調には気をつけよう。

 そんなことを考えていると、ゾルターンが「森を抜けるぞ!」と声をあげた。


 そして眼前の鬱蒼とした木々が突然途切れた。


 初めて見る外の世界は、幻想的だった。もうすぐ夜だと思っていた空はまだ青く、低い草を生やした平野や、遠くのなだらかな山脈が黄金に染まっていくところだった。

 本当にこれは現実なのか、夢ではないのか。幼い頃に夢中になった絵本のような光景に、エリザベータは言葉を失った。一番にはしゃぎ出しそうなヤロミールも、珍しく無言で見惚(みと)れている。


「右を見てみろ」


 ゾルターンの言葉に振り向くと、思わず目を細めた。鋭い岩山の稜線にまばゆい太陽が沈もうとしていた。気のせいだろうか。森の村(ルボレス)で見上げる太陽よりも何倍も大きく感じる。


「あれが、この国が信仰している太陽だ。まさかお前たちに見せる日が来ようとはな――」ゾルターンは複雑な表情で笑った。


 流れる雲は赤く、気付けば我々も草原と同じように黄金色に染まっていた。


 ピィーーーーッ!!


 高い空からゾバークがヤロミールの肩に降りてきた。鳥籠に入れて森を駆け抜けるわけにもいかず、空を飛ばせていた相棒を、ヤロミールが労う。ゾルターンを乗せている(シェダ)が夕陽に向かって遠吠えを始める。仲間への合図だ。間を置かず、その返事は戻ってきた。


「見えるか? あの岩山の手前の村だ」


 逆光でわかりにくいが、確かに集落が見える。今夜はあそこに泊まり、早朝に目的地へ出発するという。太陽が沈みきる前に到着するぞと、ゾルターンは再びシェダを走らせる。チェルナとビーリーが続いて走り出す。森の中とは違い、三頭の犬が横並びになって草原を駆けていく。


「このまま聞いてくれ。村に到着したらマグ族の名は出すな。エリザベータたちを巫女と呼ぶことも、神の話をすることも禁止だ」

「なんで?」


 ヤロミールがゾルターンに尋ねた。


「異教徒だと知られると面倒なことになる。この国には巫女も太陽神以外の神も存在しない。貴族の前で月神(トゥカ)の話なんかしてみろ、悪魔崇拝者と見做されて即刻処刑されるぞ」


 ゾルターンの『処刑』という言葉にエリザベータは背筋が寒くなった。髪色の違いで侮蔑され、信仰の違いで命を奪われるとは――ソレイユという国は想像以上に我々にとって過酷な場所のようだ。


「練習だ、イゴル。エリザベータとミルシュカを名前で呼べ」

「なっ、巫女様たちに、そんな……」

「だから、その意識を変えろと言っているんだ。二人が処刑されてもいいのか?」

「そんなことは! けれど、その……」


 イゴルが不安そうに、エリザベータの背後――ミルシュカに視線を向ける。


「星の巫女様は、嫌だろう?」

「私? そんなの我慢するからさっさとやって。あんまりわがままを言うとゾルターンに村へ帰されるんだから。文句は言わないよ」

「えぇ……やっぱり嫌なんじゃないか。やりにく……」

「そんな気にするなって! なっ、ミルシュカ! ほらイゴルも!」


 ヤロミールに促されて、イゴルはしぶしぶミルシュカの名前を呼んだ。ミルシュカの表情は見えないが、身体が強張っている。


「これでもっと仲良くなれるね。ミルシュカ! ミルシュカ? ね〜ね〜ミルシュカ〜」

「うるさいな! そんなに何度も呼ばなくても聞こえてるよ!」

「あはは〜」


 ヤロミールはわざとミルシュカを怒らせている気がする。普段は避けられているので、かまってくれるのが嬉しいのかもしれない。


「そこまでだ。次、エリザベータに呼びかけてみろ」

「……エ、エリザベータ」

「はい、イゴル。その調子でどんどん呼んでね」

「あ、ああ……」


 彼は照れくさそうに頭を掻いた。

 森の村(ルボレス)で名前を呼んでくれるのは、おばば様とミルシュカくらいだった。初めてイゴルに呼ばれて気付いた。巫女様と呼ばれるよりもぐっと身近に、より親しくなれた気がする。それが嬉しい。

 次はヤロミールの番だ。そう思って期待の目を向けるが、まったくその素振りがない。どうしてだろう。


「ねぇ、ヤロミール。名前……呼んでくれないの?」

「へ? 俺? あ、いやぁ……何と言うか……」


 気まずそうに言葉を濁すヤロミールを、ゾルターンが急かす。


「あとはお前だけだ」

「巫女って呼んでないから、俺はいいでしょ?」

「そんなわけあるか。いい機会だから『ねえさん』はもうやめろ」

「えぇ〜?」

「あーーーもう! イゴルにはああ言ったくせに自分はできないの? さっさとやりなさいよ!」

「……」

「言いなさいよっ!!」


 ミルシュカとゾルターンに叱られたヤロミールは、ためらいがちに名前を口にした。


「っ……エリ、ザベータ……」

「はい。よくできました!」


 エリザベータが褒めると、ヤロミールはみるみる顔を赤くして、チェルナの足取りを早めた。シェダとビーリーもそれについていく。

 我々は、太陽が完全に隠れてしまう前に、目的の村に辿り着くことができた。

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