表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/18

7 旅立ち

 行商(ヴィーニック)を歓迎する宴は焚き火を囲んで少し贅沢な食事をとり、秘蔵の酒を飲み交わすことから始まる。

 食事を終えると、横笛の音色を合図に村人も行商(ヴィーニック)も関係なく輪になって踊りはじめる。大人たちの酒が進むと、横笛に合わせていた手拍子がどんどん早くなる。音色がそれに引っ張られ、踊りは自然と激しいものとなる。

 足がもつれて一人が転んでしまえば、腕を組んでいる者たちが次々に転んでいく。それを見てまわりが笑い、地面に倒れた者たちも笑う。そしてまた、輪になって踊りだす。


 《月の巫女》はあの輪に入れない。そういう習わしだ。エリザベータはいつもおばば様の横に座り、彼らの踊りをじっと観ていた。

 なぜ彼らは踊りを失敗しても笑えるのか――不思議に思いながらも、楽しそうに笑い合う彼らがただただ羨ましかった。



  *  *  *



 今回の宴は、結果的には大いに賑わった。《月の巫女》の旅立ちに涙を流していた村人たちも酒を飲み交わし、輪になって踊った。

 宴の主役の一人となったエリザベータは、今回限りという条件で村人たちの踊りに参加することができた。

 実際に踊ってみると、まわりに合わせるのがなかなか難しい。足の運び方から指先に至るまで細かく動きが決まっている儀式の舞とは違う。腕を組む隣の人の動きが予想できず、振り回されてばかりになる。

 上手くいかず焦る自分に対して、村人は「楽しめばいいんです」と笑った。上手く踊る必要はない。転んでもいい。仲間との時間が楽しければ、それでいいのだと。


 ――とても楽しい時間だった。

 これまでに経験したことのない高揚感に包まれながら、エリザベータは宴を途中で抜け出した。姿が見えないミルシュカを捜して、村近くの高台へ向かう。彼女は宴に一度も顔を出したことがない。一緒に踊れなかったのがとても残念だ。


 せっかくの機会だから、ミルシュカも参加すれば良かったのに……


 夜空がよく見えるいつもの場所に、彼女はいた。熱心に望遠鏡を覗いては、紙に何やら書き込んでいる。


「星がよく見えるわね」


 声をかけると、彼女は振り返った。


「宴はもう終わったの?」

「まだみんな踊っているわ」

「そう」


 素っ気ない返事が寂しくて、エリザベータは大げさにむくれてみせた。


「もうっ、どうして参加してくれなかったの? しばらくみんなと会えないのよ? せっかくだから一緒に食べたかったわ!」

「だからだよ。普段はそっとしてくれるのに、ここぞとばかりに絡まれると困るもの。それに食べながらみんなお酒を飲むでしょ? 私、酔っ払いは嫌い」

「飲まない人もいるわ。大勢で食べるのは楽しいわよ?」

「……馴れ合うつもりはないの。私は《星の巫女》として森の村(ここ)に来ているのだから」


 彼女は再び望遠鏡を覗きはじめた。星の観測と記録は《星の巫女》の務めだ。これ以上邪魔するのも気が引けて、静かに座って待つことにした。

 さわさわと木々が音を立てる。ときおり風に乗って陽気な歌声が聞こえてくる。


 ここまで届いていたのね。

 いつも宴に参加しないミルシュカにも、少しでも宴の雰囲気が伝わっていたらいいな。いつか気が変わって、一緒に広場で食事をして、腕を組んで踊れたら、どんなに楽しいかしら。


 エリザベータは思わず旋律を口ずさんだ。


「……今夜はエリザベータも、踊ったの?」

「あ、ごめんなさい。うるさかったかしら」

「大丈夫。それで、踊ったの? 楽しかった?」


 相変わらず視線は望遠鏡に向いていて、素っ気ない言い方だけれど、興味を持ってくれたのは嬉しい。


「ええ、とっても! 一人で舞うのと全然違うわ! みんなに合わせるのが大変だったけれど、手を繋いだり腕を組んで……」

「それ、男の人もいたの?」

「え?」

「男の人と手を繋いだり腕を組んだりしたのかって聞いているの!」


 強い口調で問いただされる。

 何をそんなに怒っているのだろうか。入れ代わり立ち代わり踊っていたから、当然男の人とも腕を組んだ。


「一緒に踊ったわ」

「エリザベータ!」


 ミルシュカはぐっと近づいてきて、胸元に人差し指を突きつけてきた。


「あなたは《月の巫女》なんだよ! 敬われる立場なの! そんな()()()()()ことしないで!!」

「は、はしたないだなんて、そんな大げさな……宴の夜は男女分け隔てなく踊るものよ」

「それがはしたないって言っているの! 年頃の男女が気安く触れ合っては駄目よ!」


 森の村(ルボレス)の古くからの風習がこれほど怒られるとは思ってもみなかった。湖の村(コロエゼロ)では男女で踊ることを禁止されているのだろうか。それとも《星の巫女》たちが禁止されているのだろうか。

 慣れない大声を上げた彼女は、肩で息をしている。とにかく落ち着いてもらいたくて、「ごめんなさい」と一言謝った。


「……もう、いい」


 力なく言うと、彼女はエリザベータに背を向けた。


「ミルシュカ……」


 様子を見守っていると、ぶつぶつと何やら呟いているのに気づいた。声は小さく、言っていることは途切れとぎれにしか聞こえないが「誰が」とか「許さない」という単語が何度も出てくるのがわかった。


 すごく怒っているわ!!


「ミルシュカ!」


 腕にしがみつくと、彼女は狼狽した。


「本当にごめんなさい! これからは気をつけるわ! ――といっても、これから治療のために触れてしまう機会がたくさんあるわけだけれど……それ以外で触れ合うことはしない。約束よ!」

「……本当に?」

「本当。もう観測は終わったの? 終わったのならもう帰りましょう。明日から長い旅が始まるのよ。ねっ? ねっ?」


 ミルシュカは静かに頷くと、望遠鏡を片付けた。そして星空の下を二人で手を繋いで帰った。



  *  *  *



 翌日、森の入口にはエリザベータたちを見送るために、大勢の村人が集まった。エリザベータはその一人ひとりに声をかけ、健やかにありますようにと祈っていく。次はヤロミールの従妹、今年生まれたばかりのダナの番だ。ヤロミールの叔母が抱いている赤ん坊に手をかざす。


「ダナ。あなたに月の祝福を……健やかに大きくなってね」

「ありがとうございます。巫女様」父親が深く頭を下げた。

「巫女様。ぜひこの子を抱っこしてくださいな」


 母親にダナを差し出されて戸惑った。首がすわっていない赤ん坊を抱いたことがなく、抱き方もわからない。説明を聞きながら恐るおそる横向きに抱き上げる。腕の中のダナはこちらの心配をよそに無邪気に笑っている。


「ダナ、良かったな〜!」


 ヤロミールがダナのほっぺをつついた。ダナはその指を小さな手でしっかりと掴んで、自分の口に入れた。彼は「食べ物じゃないぞ〜」と言いながら笑った。年の離れた従妹は目に入れても痛くないほど可愛いようだ。


「エリザベータ。祈りはそれくらいにしておきな。これから長い旅が始まるんだ。後が辛くなるよ」

「大丈夫よ。おばば様。ここにいるみんなの分は終わったわ。それにしてもイゴルがいないのだけれど、どうしたのかしら?」

「珍しいこともあるものだね。なに、もうすぐ来るさ」

「遅刻だなんて、だらしない……」おばば様の後ろで、ミルシュカが呟いた。


 噂をすれば、鍛治師夫婦がにこにこしながら歩いてきた。


「あら? イゴルは一緒じゃないの?」

「おりますよ」

「ええ、おりますとも」


 二人は顔を見交わすと、背後に隠れていた人を押し出した。


「え!?」


 その場にいた一同が驚愕した。

 その男は背が低く、下半身よりも上半身の筋肉が著しく発達している。典型的な山の村(ストルホラ)の鍛治師の体型だ。しかし暗色の髪は綺麗に編み込まれていて、それに一番の違和感は――


 髭が……髭がないわ!


 顔のほとんどを隠していた髭がすっかり剃られている。おそらく眉毛も整えているのだろう。すっきりとした顔は、歳下と言われたら信じてしまうほど若く見える。

 当の本人は居心地が悪そうに視線を左右に泳がせている。


「イゴル……なのよね?」

「……ええ。そうですよ」

「本当に……若かったのね」

「はは、言ったでしょう……俺は巫女様たちと6歳しか変わらないって……」


 イゴルは視線を落として、力なく笑った。


「な〜んだ。意地でも剃りたがらないから、どんな顔かと思ったら……どこも変じゃないなんて、面白くないな〜」

「ちょっと、ヤロミール!」


 なんてことを言うの、この子は!


「おばちゃんびっくりしちゃたわぁ。イゴルちゃんってば、とっても綺麗な顔をしているの! 王国に行けばきっと若い子にモテるわよ〜!」


 外の世界育ちのおかみさんが興奮気味にイゴルの顔を褒める。


「え〜〜? でもイゴルの髪はほぼ黒だよ? 背も低いし。本当にモテるの?」

「そこはねぇ。王都では金髪じゃないと視界にも入らないのよねぇ。それに背は高いほうが好まれるわ」

「ふ〜ん。やっぱりそうなんだ〜」


 二人が残念そうにイゴルを見る。


「おかみさん……勝手に盛り上がって、勝手に憐れまないでくださいよ」

「地方では髪色なんてあまり気にしないから、きっとモテるわ! 元気出して!」

「モテたいわけじゃありません!」

「大丈夫、大丈夫。きっとまだ背は伸びるって〜〜」

「俺の成長期はとっくに終わってんだよ! というかお前にだけは身長のことを言われたくねぇ……」


 イゴルは頭を抱えてしゃがみ込んでしまった。その背中をヤロミールがぽんぽんと叩く。エリザベータも励ましの言葉をかけると、彼はすっと立ち上がった。


「巫女様。俺はもう大丈夫だ。気にしてねぇ。だから、さっさと行こうぜ……」


 明らかに大丈夫な顔ではない――が、同意するしかなかった。


「お前たち、これを着けていきな」


 おばば様が糸を細く編んだブレスレットを一人ひとりの腕に結んでいく。


「あたしの髪を編み込んである。《土神(ハニス)の力》を込めたお守りだ」

「いつの間に作ったの? おばば様こそ《神の力》の使いすぎよ。無理をしないで」

「あはは〜。こんなに一気に髪を抜いたら、おばば様、禿げちゃうよ〜〜。いてっ!」


 杖で膝を叩かれたヤロミールは涙目になってしゃがみこんだ。


「外界に出るお前たちに、あたしができることはこれくらいだ。無理でも何でもするさ」


 節くれだった指先がエリザベータの頬に触れた。顔を近づけてやっと気付いた――彼女の目には涙が滲んでいる。


「エリザベータ、必ず帰ってくるんだよ。お前の笑顔を、また、あたしに見せておくれ……」


 生まれてからずっと――ミルシュカが移住してくるまでは――おばば様と2人きりで暮らしていた。儀式のために他の村を訪れる際も、彼女は必ずついてきてくれた。厳しい時もあるけれど、ずっとそばで見守ってくれていた。

 けれど今回の旅には、おばば様は来ない。


 そうか……おばば様と離れるのは、これが初めてになるのね。


 そう気付くと、急に寂しさが込み上げてきた。思わずおばば様を強く抱きしめる。彼女は幼い子どもをあやすように優しく背中を叩いてくれた。


「絶対に帰ってくるわ! それまで元気でいてね!」

「っ……ああ。お前も、あっちでケガなんかするんじゃないよ!」


 身体を離して、笑顔を交わす。


「全員揃ったようだな。そろそろ出発するぞ。お前たちも早く乗ってくれ」


 大きな荷物を背負い、シェダに乗ったゾルターンが話しかけてきた。あの荷物の中には我々の分の物資も入っている。慣れない旅路で負担にならないようにという彼の配慮だ。

 エリザベータ、ミルシュカ、ヤロミール、イゴルの4人は、ビーリーとチェルナに分かれて乗ることになった。さて、誰と乗ろうかと考えていると――


「ねえさん、俺と――」

「エリザベータ、一緒に乗ろう」


 ヤロミールを押しのけて、ミルシュカが腕に抱きついてきた。


「ええ、いいわよ」と返すと、ミルシュカは満面の笑みを浮かべた。

「ちぇっ、仕方ないな〜。イゴル、一緒に乗ろう〜」

「うわっ、何で俺を前に乗せようとする! 荷物を背負っているのが見えないのか?」

「え〜、振り落とされない? 俺が代わりに持つから前に乗りなよ」

「俺の上腕を見てそんなことが言えるのか……親方から預かった大事な荷物だ。自分で持つ」


 ヤロミールは「わかった〜」と言って、軽やかな身のこなしで黒犬のチェルナにまたがった。


「それじゃあ、危ないからちゃ〜んと俺に掴まってね! 犬乗りは俺のほうが詳しいんだから、言う通りにするんだよ!」


 イゴルは露骨に嫌そうな顔をしながらも、指示に従った。


「そういえば、その大きな荷物は何?」エリザベータは革張りの鞄が気になって、イゴルに尋ねた。

「これは巫女様のための医療道具だ。親方が作ったものらしい。向こうへ着いたら渡すよ」

「えっ、私の? だったら今もらうわ。持ってもらうのは悪いもの」


 受け取ろうと両手を差し出したが、「こんなに大きい荷物を巫女様に持たせられない」と拒否された。


「エリザベータ、早く前に乗って」


 ミルシュカが白犬のビーリーを指さした。言う通りにすると、彼女はエリザベータの背中にしっかりと密着して座った。これなら振り落とされる心配はないだろう。


「皆、準備はいいな?」


 ゾルターンの呼びかけに4人は返事をした。


「では出発だ」

「しゅぱぁ〜〜つ!!」

「おばば様、みんな、行ってきます!」


 村人たちの大きな声援を受けて、エリザベータたちは出発した。


 向かうは外の世界、第三騎士団野営地。戦争で傷ついた人々を治療するための旅だ。決して遊びではない。

 けれどエリザベータは、本でしか知らないものを自分の目で見ることができる機会に、心躍らせた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ