薫風
5月の気持ちの良い風に吹かれて思い付きました。
4月と言えど夜明けの頃はとても寒く、玄関脇の芝の上で夜を越した私はすっかり冷え込んでいた。
でも、絶対泣き言は言えない!! 私の肩に自分が着ていたダウンのジャンバーを掛けてくれた雅宗くんの寒さは如何ほどのものか!!
「紗久良さん!大丈夫? ほんとゴメンね! 付き合わせてしまって!!」
「私の方がゴメンだよ!! 全ては私のせいなのに!!ジャンバーまで貸してくれて!! 雅宗くんが風邪でもひいたら!!」
「オレは大丈夫!! 冬の蔵の寒さはこんなものじゃないから!!」
「でも、今は一晩中正座してるし……」
「オヤジが生きていた頃にはお姉もオレもよく正座させられたから」
「紗雪さんも??」
「うん!お姉は昔っから負けん気が強くて強情だったから……オヤジにはよく食って掛かってた!! そんなお姉だからオヤジが死んで、独りでウチの蔵をしょってしまったんだ!! だからさ!君から貰った分厚い手紙は、本当に本当に嬉しかったんだと思う! 『私に同士が!!妹ができた!!』って!! 今まで、病院のベッドの上でも泣き言ひとつ言わなかったお姉が泣いたのを、オレ初めて見た……」
この雅宗くんの言葉に、私は胸が詰まって……ハラハラと手の甲に落ちた涙は、ほのかに温かかった。
「紗雪さんに会ってお話したかった!! でも……今日のお葬式には!パパが何て言おうと、紗雪さんが送ってくれた切符で絶対に行くから!!」
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きっかけは、パパの地酒趣味だった。
子供だったにもかかわらずパパのご相伴をしていた私は“日本酒”に魅せらた。
そして中一の時に見つけた“紗雪の酒”!!
私と同じ字を名前に持つこの酒を利いた時、その馥郁たる香りと舌に複雑に語り掛ける味わいにあっけにとられた!!
利き猪口から口を離して出たひと言は
「お小遣い要らないから、このお酒をあるだけ買って!!」
「この酒呑童子が!!」
とパパに呆れられながらもこのシーズンは“紗雪の酒”が私のお友達になった。
ところが翌年、“紗雪の酒”は味が変わってしまった、そして次の年の新酒(別銘柄だけど)も前年の味の傾向のままだった。
「何が原因だったのだろう??!!」
専門誌やバイヤーコメントなどをつぶさに見ると
『若き女性杜氏のビギナーズラック』の文言が並ぶ中で『びぜん産雄町米の発育不全』の記事があった。
更に詳しく調べてみると『私の至福の年』にその酒米として使われた“はりま産雄町米”は発育不全で心白の形状がきれいな球状では無く、どちらかと言えば山田錦の様な線状に近い形だったのだ。
紗雪さんが醸すお酒はいずれの年も『オフフレーバー』を感じる事は無かったし、造りの手が至らなかったとはどうしても思えない。
ひょっとしたら『あの年』の心白の形状が私を魅了した複雑な味わいに奏功したのかも??
じゃあ、『あの年』の雄町米の心白の形状に近い酒米を使えば??
私は『夏休みの自由研究』と偽り、朝から晩まで酒米について調べ“秋穂錦”へのガンマ線照射により突然変異した“砧100号”が『あの年』の心白の形状に最も近いと判断した。
そして、その作付け条件と、パパのパソコンで調べた紗雪さんの蔵の登記内容を、地図や気象図と照らし合わせて……蔵の地所から最も作付けに向きそうな土地を特定し、それらをまとめ上げた文章(まさしく自由研究の体をなしていた)と元の資料をすべて詰め込んだUSBメモリーを用意した。
実は、私は“紗雪の酒”に感銘を受けてから何回も紗雪さんにファンレターを出していた。
それらの中で
「農大の醸造学科を目指します!! ゆくゆくは働かせていただけませんか?!」とのメールで未成年である事がバレて
「未成年の飲酒はいけまん!! あと将来の事はもっとキチンと考えなさい!」とお叱りをいただいた事もあった。
そういうやり取りがあったので、私はこの“お節介なファンレター”を紗雪に送ったのだ。
それから1週間ほどして、私宛に手紙が来た。
中にはJRの切符が入っていた。
「なるだけ早くお目にかかりたい」と言うお礼と蔵へのお招きの手紙と共に。
昨日の夜に突然、雅宗くんがウチへ訪ねて来て
「昨夜遅くに姉が亡くなりました。僕は姉の遺志を継ぎ、蔵を背負って行きます。しかしそれには娘さんの力が必要なのです!! どうか娘さんを僕に!!」とのたまったのだ!!
「私と同い年の弟が居る」
紗雪さんから、そう聞いた事があるけど…
見ず知らずの男の子からいきなり言われたこの言葉にはさすがに度肝を抜かれた。
だけど……
私は……
「先行きも分からない様な所へ娘をやれるか!!!」とパパから叩き出された雅宗くんにくっついて家の外へ出てしまって、そのまま一晩……
ウチのパパは……元は“ヤマ師”で成金だ!
だけど、雅宗くんみたいな男の子は実は大好きなはずで……
私もパパ似だったりして……
「しかし、門から玄関まで、すっごい距離!! 今の顛末、表から見えてたらちょっとした騒ぎになったかも」と肩を竦める雅宗くんに私はケラケラ笑って、そこからふたり芝生の上で一晩中語り明かした。泣いたり笑ったりして。
切符は持ってるし、着の身着のままだけど雅宗くんのお家へ行こうかと話していると
玄関のドアが開いてパパが海外旅行用のキャリーバッグを二つも転がして出て来た。
「紗久良!!さっさと制服に着替えて来い!!」
「私、学校へ行かないよ!! 雅宗くんのお家へ行くんだから!!」
「バカヤロウ! 御霊前にそんな恰好でどうする!!」
と、私を窘めたパパは雅宗くんに丁寧に頭を下げた。
「こんな世間知らずの娘で本当申し訳ない! 君を馬鹿にするつもりは毛頭ないが、今日は“子供”で居てくれ。くだらない大人の諍いは大人同士でケリを付けるから! ちょっとクルマ持ってくる」と言ってくれた。
パパはご自慢の“ポルシェ・パナメーラ スポーツツーリスモ”を私達の前に停めるとリアハッチを開け、私と雅宗くんとですっごく重いキャリーバッグを中に放り込んだ。
「この重いカバン!一体何が入ってるの??」
「向うについてのお楽しみだ!! 雅宗くん!近くまでいったらナビ頼むぞ!」
そう言ってパパはエンジン音をゴウン!と響かせ、高速道路をすっ飛ばした。
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「喪主をなさってるウチの婿さんに文句のあるヤツはウダウダ言ってねえで今すぐこっちへ来い!! コイツでぶっ叩いてやるから!!」
お座敷にうず高く札束を積んで、両手に二束ずつ掴んで凄むウチのパパに皆ブルってしまってお葬式は極めて粛々と行われた。
全てを滞りなく済ませた後、今ではただ一人の雅宗くんの身内となってしまったおばあちゃまの肩をパパと私でかわるがわる揉ませていただいた。
「ふつつかな娘ですが、末永くよろしくお願いします」と
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札束の山は作って見せたけど、その日パパが出したのは香典だけで、実際に蔵へ融資したのは“後見人”として取締役に就任してからだった。
翌年の春に、私と雅宗くんは私のお家から同じ農業高校へ進学した。
パパは「お孫さんを取ってしまったみたいで申し訳ない」と仕事の用事が無くともしばしば雅宗くんのお家へ行ってはおばあちゃまのお相手をしていた。
ママはママで「息子を持ちたい夢が叶った!!」と雅宗くんにゾッコンで、私がヤキモチを焼いてしまうくらいだった。
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それから何年か経って……今日は田植えの日、今植えている苗が育って……無事に“紗雪錦”が収穫できれば、新生“紗雪の酒”を醸す事ができる。
一足先に紗雪姉様のお名前をいただいた、この“砧102号”で……
“紗雪錦”の苗は優しく手植えしてあげるのが一番なので、今日は“素人”のお母さんにも手伝いに来てもらっている。
「紗久良!今年はどうなの?」
「今年? 野口杜氏に来ていただけるのは次の造りまでだし……“紗雪錦”についての論文は私主導でまとめなきゃいけないから……もっと勉強が必要! ダンナ様のご都合は私よりお父さんの方が把握してるんじゃないかな! 『お前にはまだまだ修行が必要だ!!』って今年は海外まで連れ回すみたいよ! だから二人揃っては、帰れそうにないわ。お母さんは残念だろうけど……」
「そうじゃなっくって!!」とお母さんは視線を少し下へ……
「ん?」と私は自分のお腹を指差す。
「そうそう!!」
「……それか……」
ちょうど苗箱を抱えてやって来た雅宗くんを捉まえる。
「ねえダンナ様! この母が『赤ちゃんはまだか?』と催促してますゾ! 植え付けだけなら今日にでもできちゃうんだけどね~肝心の畑が……」
こう言ってやると、ダンナ様は苗箱を取り落としそうになった。
「紗久良ちゃん!!」
私はグフフフ!と悪戯心が止まらなくなる。
「なんなら、お母さんの畑を借りる?」
「紗久良!!」「紗久良ちゃん!!」
二人から同時に叩かれそうになって身をかわしたら
ボスン!と長靴を畦に取られ、グラリ!と体が傾いた。
慌てて抱きかかえられたダンナ様から頭をポン!と叩かれ、テヘペロする私を……
ツバメが届けてくれた薫風が撫でて行った。
おしまい
黒楓姉様の様にはエロくなくてすみません<m(__)m>
このお話、ほんとは童話にしたいくらいです(#^.^#)
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